- uchida_kawasaki
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それが我が国で宣言されたのは、ゴルバチョフが権力を握った1985年からであったが、1987年にはその兆しはこの地方にはまだ及んでいなかった。
2014-05-15 17:13:59チェルノブイリ事故後はじめてナロヂチ地区を訪れた最初の土曜日、私は、災難と欺瞞のおおよその規模を、私たちの州(ジトーミル州)の範囲ですら把握することはできなかった。
2014-05-15 20:45:49新聞で私は、1986年夏にいくつかの村から251世帯500人以上が避難させられたことを知っていた。その人たちはどこへ移住させられ、どのように暮らしているのだろうか。まず私が関心を持ったのはその事だった。…なによりも人々が心配していたのは健康のことだった。
2014-05-15 20:49:13(移住者自身に語ってもらおう) ・私には12歳と9歳の二人の娘がいます。オーリャは州のこども病院に最近入院しました。リューダも病気です。今は2カ月分の錠剤をもらっています。子どもたちは甲状腺が1-2段階に肥大しているのです。
2014-05-15 20:51:57・私の二人の子ども6歳のボクダンと14歳のスヴェトラーナは、ジトーミルとキエフに送られました。ボクダンは肝臓が肥大しており、胆嚢炎です。 ・私たちの村は管理村だとは見なされていませんが、子どもたちは病気にかかかっています。
2014-05-15 20:55:49検査が行われ、検診がなされ、多くの子どもが研究のため連れて行かれました。子どもたちはみな甲状腺が肥大しています。学校では医学検診が行われました。
2014-05-15 20:56:45(1987年10月1日 ナロヂチ地区執行委員会議長(地区の首長)ワレニチン・セミョー・ノヴィチ・ブヂコへの取材を行った) 彼は地元で起きていることに対して衷心から胸を痛めていた。彼を茫然自失させた惨事は、自分の家族や肉親や親しい人々に直接関わるものであったことから、
2014-05-15 22:14:30不正義や黙殺が突然に彼を別人にした。わが国ではこの様な職務についている人々は上から命令される事をしているのが常である。おそらくブジコも事故以前は、そうした人物であったことだろう。彼が考えていたのは指導者の椅子ではなかった。この人は人々のことを考えていた。
2014-05-15 22:18:09私は彼に、地区内の健全な村と「死んだ」村を体当たりで取材したことを話した。人々の健康状態、地区での放射能濃度について情報が欲しいと頼んだ。助けたい、全てを公開したいのだ、と私は彼に言った。 セミャーノヴィッチは手を貸すことには同意してくれたが、これまでにもジャーナリストたちが
2014-05-16 17:55:48やって来て、誰もかれもが情報を取り、記事を新聞に載せるという約束をして帰って行ったが、それなのにこの1年半、誰もどこにも何も載せてくれなかった、と言った。
2014-05-16 17:57:34地区の子ども達についての唯一の報道が、1987年4月21日『夕刊キエフ』に載った。ウクライナ共和国保健省母子医療予防本部の部長が次のように書いていた。
2014-05-16 18:01:00「プリピャチとチェルノブイリの子どもたちは被災しなかったが、ナロヂチ地区の一定の範疇の若い住民の間では、放射性ヨウ素による甲状腺被曝線量の上昇が記録された。彼等は一時入院したが、現在は子どもたちの健康に危険は無い」と。 これが報道のすべてである。
2014-05-16 18:02:21地区民間防衛隊長のデータによれば、1986年4月27日16時にナロヂチでは3R/hが記録されていた。翌日9時に0.6R/hが記録されていた。(このレントゲンはひとり一人、全員をその情け容赦のない光で焼き、被曝させた)」
2014-05-16 18:19:23議長は各村がどのように避難したかを話してくれた。 「…5月27日に避難させました。万事急ぎで行われました。…女性たちは泣き喚きながら自分の家を後にしたのです。まるで永久の別れであるかのように。やっぱり永久の別れだったんですよ。体験した者でなければ、これは解りっこありません。
2014-05-16 18:25:29先祖代々、何千年も彼等はここに住んできました。最も水が澄んだ、風光明媚なウクライナの川…太古からの土地で人々は耕し、種を撒き、死んでいった。…その全てが無残に、無責任に、限りなく破壊されてしまったのです。いつか人間はこうしたことに慣れっこになるのでしょうか」
2014-05-16 18:30:07当時ナロヂチ子ども病院と診療所で聞いたことは、さらに心をかきむしられた。医師たちは証言する。1987年7月10日のことである。
2014-05-16 18:32:23ナロヂチ地区病院小児主任 リュボーフィ・イシチェンコの証言> 放射性ヨウ素を一定量私たちが接種してしまったことは確かです。私の意見では、甲状腺障害はおよそ60%に達しました。特に重い場合は"G"と"D"という印で分類されます。これらの子どもたちは、キエフが引き受けてくれました。
2014-05-16 19:06:35子どもの健康にとってこのゾーンは完全に安全でしょうか?私はそう言いきれません。やって来た専門家たちはこう答えているのです。「3年から5年たったら判るでしょう」と。
2014-05-16 19:08:15ナロヂチ地区病院主任医師 レオニード・イシチェンコの証言> われわれは地区全体の子どもを再三診察しました。80%の子どもが甲状腺肥大になっていました。正常値は100%中10%です。
2014-05-16 19:11:40以前は、われわれの所では、甲状腺肥大は10-15%でした。別の何かではなく、まさに事故のせいだとわれわれは見ています。
2014-05-16 19:12:00ナロヂチ地区診療所 アレクサンドル・サチコ の証言> 子どもの健康は万全だとか、甲状腺肥大はかつてもあったとか、今もあるとか、これは全然事故とは関係ないとか、そういったことを私に確信させてくれる人はひとりもいません。
2014-05-16 19:14:04万事良好だというような振りをしてはなりません。最近私は一週間かけてすべての子どもたちの分析を検討しました。500例中180例に血液の異常が見られました。 (これらはすべて1987年7月10日の証言である)
2014-05-16 19:16:28共和国保健省は知っているのかを私は聞いた 知ってますともと医師たちは答えた。「われわれの所へいろいろな専門家がたくさんやって来て分析のために採血しました。それなのに結果を送ってこない。われわれは皆"放射能恐怖症"に罹っている。子どもの健康は問題ない心配ないと信じ込ませられている」
2014-05-16 19:21:09地区の子どもと大人のセシウム137体内蓄積量の調査結果をもらった。…頭が厚くなるような調査結果であった。それを見ると、地区の子ども5千人全部が被曝しているという結論になる。115人の子どものデータは「秘密」扱いになっていたー
2014-05-16 19:24:15