アラ・ヤロシンスカヤ 隠された事故報告書『チェルノブイリ極秘』より抜粋

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チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

腫瘍、甲状腺腺腫、その機能の亢進あるいは低下といった甲状腺障害に罹っているので、知恵遅れやその他の重い結果になりかねない危険度であったからである。この戦慄の情報を持って、私はジトーミルに戻った。

2014-05-16 19:27:16
切り取り線 @kiri_tori

✄------------ 5/17(土) -----------✄

2014-05-17 00:00:00
切り取り線 @kiri_tori

✄------------ 5/18(日) -----------✄

2014-05-18 00:00:00
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

ジトーミルに戻った翌日、保健所の州支部に行き説明を求めた。長々と私は専門家の間をたらいまわしされた。納得のいくことを言える者はひとりもいなかった。或いは、もっと端的に言えば、言う気のある者はいなかったのである。明らかに誰もが恐れていた。

2014-05-18 15:35:00
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

ここで私には最終的に、被害を受けた地区の本当の状態についての情報は、秘密であることがはっきりしたのである。次のような言葉はいっそう私にそう確信させた。

2014-05-18 15:37:46
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

保健省州母子保護部長 ヴィクトル・シャチロ の話> 病気と放射能の関連ははっきりしません。我々は過去四年間のデータを比較していますが、増加は無いんですね。

2014-05-18 15:41:58
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

>肝臓肥大の問題は、別の補足的な基準で説明が付きます。甲状腺機能の偏りは見つかっていない。権威ある人々は異口同音にどんな後遺症も怒らない、と主張しています。

2014-05-18 15:42:56
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

聞いたり見たりしたことを全部私は原稿に書いたが、それをそのまま発表することは不可能であった。「彼女(私のこと)をナロヂチの村で見た」ということが編集者党員集会で問題になった。急遽別の記者が同地区へ派遣された。彼も移住者についてしかるべき原稿を書いた。

2014-05-18 15:46:23
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

我が同僚はこれらの不幸な人々を非難することの他には、何ひとつ良いことを思いつかなかった。紙面の半分をつぶした大きな記事の趣旨はこうであった。"彼らは新しい家を建ててやったのに、まだ不平を言っている!" その後で私に残されていたのは、中央の出版物に自分の文章を投稿する道だけだった。

2014-05-18 15:50:20
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

某紙では私の論文はほとんど発表される寸前になっていた。ところが「載せられない。このテーマは発表禁止なのです」と…時はすでに1988年1月になっていた。1987年末から1988年初めに記事が掲載されていれば、汚染地帯に無駄なアパートの建設を止めさせ避難民の健康を守る力になれただろう

2014-05-18 15:54:03
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

(彼女は論文を出版物に掲載する機会を求め、考えられる全ての行動をした。しかしその結果、彼女自身の論文は彼女の元に返ることは無く、それどころか、問題を知らせる為に個人宛に出した手紙も宛先人から「届いていない」と言われる状況だったことが語られています。)

2014-05-18 15:58:10
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

<第一部 わが内なるチェルノブイリ 3. 廃墟のそばで>より

2014-05-18 15:59:29
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

<日本の読者へ>本書の第一部は、1991年に『わが内なるチェルノブイリ』という題字で出版されました。それから数カ月して、ソ連は崩壊しました。共産主義体制の崩壊後、ソ連邦共産党中央委員会の地下室で長く誇りをかぶったままになっていた、

2014-05-18 16:03:54
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

チェルノブイリ原発事故の新しい秘密文書が公開されました。共産党指導者たちはお互いの間の会話や秘密会議では、チェルノブイリ事故のことを「ヨーロッパ中央部で起きた核戦争」と呼んでいたのです。

2014-05-18 16:06:26
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

ソビエトの人々や世界の人々に向かっては、「恐ろしいことは何も起こらなかった」、「西側のラジオはソビエトの中傷をしている」、「心配するには及ばない」と言っていながら…。私は新たに、前著にソ連邦共産党中央委員会政治局の機密文書を収録し『チェルノブイリ極秘』を出版しました。

2014-05-18 16:10:12
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

<第一部 4. ジトーミルでの政治戦争> 私はチェルノブイリについてのドキュメントにこの章を入れることにした。そうしないと、つまり被災地で起こっていることについて情報公開しようという無数の上手くいかなかった試みのあとで、私の身に起きたことを説明しないと、

2014-05-18 16:16:03
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

私の話は不完全な、一面的なものになってしまうからである。いろいろな非公式的な筋から我々が知り得たことからしても、汚染区域での真相、さらにいえば、チェルノブイリというエコロジー問題はますます政治化していった。

2014-05-18 16:18:49
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

州の北部で見た全貌を発表する可能性を持たないまま、私は自分の論文をコピーし、友人たちに配布した。彼らは読んで、さらに人から人へと回してくれた。

2014-05-18 16:20:44
切り取り線 @kiri_tori

✄------------ 5/19(月) -----------✄

2014-05-19 00:00:01
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

その頃ーこれも明らかにしておきたいー私は中央紙の『イズヴェスチャ』と『プラウダ』に、地方新聞におけるグラースノスチの凍結状態、新聞に対する共産党州委員会の圧力、その指導力スタイルと方法について書いた二つの論文を発表していた。忘れもしないが、それはペレストロイカの始まりとなった。

2014-05-19 20:52:27
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

「一地方ジャーナリストの告白」というタイトルで私の最初の論文が『イズヴェスチャ』(1987年7月)に載ると、私の編集部のオフィスでは何日も電話が鳴り止まなかった。特に感情をたかぶらせた何人かの女性は、電話口で泣いていた。

2014-05-19 20:53:28
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

この日を多くの人は、地方都市ジトーミルの解放の日だと言ってくれた。 私の同郷人たちは、自由は可能であると実感したのであった。 プラウダ(真実)はあるのだ、と。善が悪に勝たないはずはない、と。

2014-05-19 20:54:48
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

 もとよりこれは、ジトーミルの圧倒的多数の受け取り方だった。しかし、不満だった人々もいた。基本的には、党州委員会の腐敗した上層部、数十年にわたって国民をお決まりのやり方で騙してきた、お金のために身を売っていたノーメンクラトゥーラ(任命ポストに登用されている特権階級)たちである。

2014-05-19 20:56:27
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

長い彼らの支配の中から現れた、唯一の、一介の地方ジャーナリストの論文に 自分たちの体制への脅威を感じ取って、彼らは自分たちの特権を守る闘争に突入した。…私の同僚は上からの指令で私を猛烈に非難し始めた。

2014-05-19 20:58:29
チェルノブイリ極秘 @AYaroshinskaya

ウクライナ共産党州委員会第二書記長が出席してこの論文が検討された党集会は、ほぼ7時間にも及んだ。 …彼らはみな、ポケットの中に党員証を入れていた(私は党員ではなかった)。そして彼らはみな、自分の自由を抵当に入れていたのである。いろいろな理由で。

2014-05-19 21:00:09
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