こんにち、カタカナ語による「コミュニティ」という単語を気安く使うことの危うさについて

ある程度のまとまりを持つ社会集団の、職業共同体(生産共同体/生存共同体)=近世から賃金共同体=近代への移行
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立石遼太郎 @rt_white

西沢さんが説明してくれたのは、コミュニティの通時態の話であって、共時態の観点がダダ抜けしてるから、俺らゆとった世代にとっては少し違和感がある。むしろ、大事なのは共時態のことなんじゃないか。今コミュニティがどういう意味かを問うことが大事なんだと俺は思う。

2014-05-30 01:13:58
立石遼太郎 @rt_white

造語を作るのも確かに有効な手段だけど、言葉の意味は時代によって変化していって、その変化を捉えない限り、正しい日本語や正しい敬語といった幻想が生まれ、言葉の魅力ってのはどんどん下がっていく。要は頭が固くなってしまうんだ。もちろん西沢さんはそんなことわかってツイートしてるんだけど。

2014-05-30 01:15:54
立石遼太郎 @rt_white

今レトリックを研究してて一番面白いと思ったのが、レトリック文とレトリックを用いない文の違いは、使用頻度の差ってことだ。正しい日本語ってのは、実は最も使用頻度の高い日本語の使われ方ってこと。誰が決めたわけでもないから、誰でも意味を変更することができる。

2014-05-30 01:17:53
立石遼太郎 @rt_white

レトリックってのは、人を幻惑する術のことだと最近まで思われてたんだけど、20世紀に入ると、どうやら論理実証主義だけでは人間つまんねえぞってなって、レトリックを見直そうと考える動きがフランスのバルトやらそんな人が中心となって出てくる。そうなってくると、ソシュールの言語観だけでは

2014-05-30 01:20:44
立石遼太郎 @rt_white

(長くなりそだな。ブログにしよかな。まぁ、あと少し。)なんとも説得力が持てなくなり、それまで言語学において、二つの派閥、片方はソシュールで、もう片方はパースって人なんだけど、その二人がレトリック論を見直すにあたってはじめて融合する。

2014-05-30 01:22:27
立石遼太郎 @rt_white

ソシュールは言葉は差異だって言い方をしていて、例えば犬は狼ではないから犬だし、狼は犬でないから狼だって言い方をする。言葉は名称目録ではないってのも有名。だけど、この考え方だと、言外の意味(デノテーションっていう)をどうやら説明することは出来ない。一応説明してるんだけど。

2014-05-30 01:24:45
立石遼太郎 @rt_white

パースは、例えば辞書である言葉を調べると、その説明文の中にわからない単語があって、その単語を調べるとまたわからない言葉があって、それを何度も繰り返すうち、結局最初にわからなかった言葉をもう一度調べてるっていう例を出して、言葉の意味には重なり合いがあるって観点を持ち込む。

2014-05-30 01:26:16
立石遼太郎 @rt_white

重なり合いがあるからこそ、分類が出来る。実際にパースは大量の分類項目を作り出して、言語を体系化してしまう。ここまで説明して解るように、ソシュールとパースの言語観は全く違う。これがレトリック論ではじめて出会う。

2014-05-30 01:27:34
立石遼太郎 @rt_white

ソシュール的な言葉本来の意味(コノテーションっていう)を忠実に守ると、意味の通りやすい文が書けるんだけど、これだと言葉本来の意味をズラすレトリックは説明できない。レトリックは、パースのいう重なり合いから生まれる。全く予期しなかった複数の概念がぶつかり合う時に、デノテーションが

2014-05-30 01:30:07
立石遼太郎 @rt_white

重なり合って、全く新鮮な意味をもつようになる。キモかわいいなんかもいい例かも知れない。でもそのためにはソシュールの考えたコノテーションっていう枠組みがないとわからない。これってすげえ建築的なんじゃないのかな?と思う。

2014-05-30 01:31:44
立石遼太郎 @rt_white

だから、建築やる人は、言葉本来の意味を深く吟味し、その言葉周辺の意味を探しまわり、さらに色々なものをぶつけてみて、新たな意味を模作しなければならないんだと思う。そうしないと、新鮮なものは作れない。例えば馬って言葉をきっちり考えて、馬って言葉の持つ連想作用を思い浮かべ

2014-05-30 01:33:36
立石遼太郎 @rt_white

きちんと馬の意味を捉えて、そこでようやく羽って言葉や鹿って言葉とぶつけてみればいい。羽とぶつかった馬はペガサスになるし、鹿とぶつかった馬は馬鹿になる。すげえ想像力だよな。言葉は本当に凄い。

2014-05-30 01:35:02
立石遼太郎 @rt_white

建築だって同じだ。敷地なり機能なり部材の持つ意味をしっかり捉えて、それらの歴史なり構成方法なり、色々広げていって、すべて建築周辺で考えれることを考え尽くした上で、色々な物をぶつけるとやっと形なり理念が出てくる。それが創造的なんだと思うな。

2014-05-30 01:38:00
立石遼太郎 @rt_white

もちろん色んな方法論があってこれだけじゃないけど。長かったけどまー要は、建築やりたいなら言葉本来の意味って幻想にあんまり縛られるべきではないってことを言いたい。自戒も含めて。あと、言葉はすげえぜ。

2014-05-30 01:39:51
立石遼太郎 @rt_white

もちろん、言葉本来の意味を考えることは、世界の成り立ちについて考えることだから、すげえ役に立つのは間違いないし、その手続きを踏まないと、独創的で新しいんだけど、で?ってなってしまう。批評性が無くなってしまい、その後に言葉が続かなくなってしまう。

2014-05-30 01:41:22
立石遼太郎 @rt_white

後一つ、言うとしたら、法規と正しい日本語の違いは面白い。法規は誰かが明文化しちゃってるから、どうしてもそれを破りたくなってしまうけど、正しい日本語は誰も明文化してないから(変化が許されてるから)みんな知りたくなって追い求めてしまう。この二つの正しさへのアプローチの仕方は全然違う。

2014-05-30 02:02:13
立石遼太郎 @rt_white

例えば、コミュニティって言葉の意味が法規によって定められていたら、みんなこの言葉の意味を壊したくなると思う。「天皇は日本国の象徴」がまさにこれ。右翼団体とかを生み出す。でもコミュニティって言葉の意味は誰も定めていないから、みんなその意味が気になるし、これだけ活発な議論ができる。

2014-05-30 02:02:42
立石遼太郎 @rt_white

この不定形さが言葉の面白さでもある。個人が追求することも出来るし、それこそコミュニティがなんとなく共有することも出来る。それをお互い確かめ合うためにコミュニケーションは生まれるし、コミュニケーションが楽しいんだ。

2014-05-30 02:02:56
立石遼太郎 @rt_white

パースの分類化は、また別の楽しさがあるんだけど、コミュニケーションの楽しみを味わいたいならやっぱソシュールだ。もっと言えばレトリックで、レトリックの力を遺憾なく発揮したのが漫才か松本人志。漫才は一方的だけど、楽しいっしょ?

2014-05-30 02:03:11