雲仙普賢岳6月3日16時10分

忘れ得ぬ防災の定点
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20年前の打ち明け話 http://togetter.com/li/144490

月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

16時8分は火砕流の発生時刻で「定点」を襲ったのは16時10分ごろ。

2014-06-03 15:32:10
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

雲仙火山1991年6月3日の火砕流による人的被害(杉本・長井、2009)catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13… これ知らなかった。こんなに詳しい報告はじめてみた。

2014-06-03 15:46:29
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「筒野バス停を過ぎた時,背後から襲ってきた 16時08分に発生した火砕サージで,バイクのハンドル を取られグラグラと左右に揺れたが,夢中でバイクを とばした.途中から左手の脇道に逃げたが,雨合羽の 後ろは熱風を浴びてちぢれていた」

2014-06-03 15:51:14
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「16時10分頃,筒野バス停に至り,同所で交通規制中の同僚警官から「もう,上(水無川上流方向)には上がるな.今度のは,危ないぞ.」と押し止められたが,「まだ,この上に報道のおるけんさ,報道も逃がさんと.本署も言いよる.」「危なかったら俺たちも逃げてくる.」

2014-06-03 15:55:38
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「とにかく報道のところまで行って広報して,すぐ下がってくる.」と言い残して,広報を繰り返しながら北上木場方向へと向かった.16時11分頃,北上木場農業研修所付近で,山手方向 から下りてくる報道関係者の車両と離合,「危険です. 早く逃げてください.」

2014-06-03 15:56:48
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「とマイクで呼びかけた後,さらに上方に向かったのであった.H隊員は,島原市北上木場1289番地(筒野バス停上) 前路上に全身火傷で倒れているところを消防団員に救出されたが,死亡した.」

2014-06-03 15:58:47
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「また,I隊員は,北上木場農業研修所横路上で焼燬したパトロールカーの助手席から遺体で発見された(長崎県総務部消防防災課, 1998).」catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13…

2014-06-03 15:59:14
Ryusuke IMURA @tigers_1964

6月3日は私にとって特別な日.もうすぐ16時8分を迎える.

2014-06-03 16:05:03
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「急に辺りは真っ暗となり,玄関のガラスを通して,稲光がピカピカと光りました.恐ろしくなり外に出ようと玄関の戸を開けようとしましたが,開きませんでした.しばらくすると外が明るくなったので,再び玄関の戸を開けたところ開いたので,裸足で外に出ました」

2014-06-03 16:05:38
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「家を出るとき,母が居たと思われる建物は燃えていました.建物の横のガスボンベが炎を吹き出しているのも見えました.北上木場農業研修所の前を通り逃げましたが,全体が灰色の世界であり何もわかりませんでした」catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13…

2014-06-03 16:06:38
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

生存者の貴重な証言がたくさん含まれている。これ以上は痛々しくて引用できない。関心のある方はじっくり読んでほしい。catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13…

2014-06-03 16:08:24
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「眉山焼の従業員2名は車の中にいたが,火砕サージに襲われる直前にドアを閉めたことと,車の止めた場所が崖のすぐ下であって,サージが崖でジャンプするように車の上を通過したことが,彼らが生存できた理由と考えられる」

2014-06-03 16:11:35
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「しかし,同じ室内にいても,北上木場農業研修所の中の3名は死亡している.それは,消防団の監視活動のため,火砕サージの到達時に玄関が開けられていたためかもしれない.」catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13…

2014-06-03 16:12:49
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「これらのことから, 家屋や車両など閉鎖された空間にいて,火砕サージが 通り過ぎた後で戸外や車外に出たことが生存の条件で あったと考えられる.」catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13… 生死を分けた理由についてもいくつか分析されている。

2014-06-03 16:14:50
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「上流側の定点周辺では,被災した25名(行方不明者3名含む)全てが死亡し,生還したものはいない.また,下流側の農業研修所周辺では被災した26名のうち18名が死亡し,死亡率は69%である.」catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13…

2014-06-03 16:16:23
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

引用「全体でも火砕サージに遭遇した53名のうち43名が死亡し,生還したものは僅か19%に過ぎない.このことから実際に火砕流からの被害から逃れるためには,事前に避難するしか方法がないと考える.」catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13…

2014-06-03 16:17:03
Ryusuke IMURA @tigers_1964

ハリーが見つかった場所は特定できていない.杉本さんからも直接いろいろ聞いた.RT @usa_hakase: 雲仙火山1991年6月3日の火砕流による人的被害(杉本・長井、2009)catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13… これ知らなかった。こんなに詳しい報告はじめてみた。

2014-06-03 16:45:00
T.INOKUCHI / 井口 隆 @nied_inok

23年前の雲仙の災害にはウチの研究所から当時私の上司(部長と室長)であった研究者が調査に行くことになった。私も参加したかったが、当時は旅費が少なく、2名しか行けなかった。6月3日は月曜で所議が開かれるため、翌4日からの調査日程となり、3日の火砕流に遭遇することは避けられた。

2014-06-03 17:26:33
T.INOKUCHI / 井口 隆 @nied_inok

もし部長が行かず、代わりに私が室長と一緒に調査に行くことになっていたら、たぶん6月3日から出かけていただろう。その3週間前に2人でグリッケン氏を大学に訪ねたばかりだったので、もし火山観測所で彼らに会っていたら、定点に向かっていたかも知れない。火砕流の報告書を読んで当時を思い出した

2014-06-03 17:35:15
はぎわら ふぐ @hugujo

島原の雲仙岳災害記念館に展示されていた焼け焦げたTVカメラ。カメラを設計した男はそれを見た瞬間、ものの例えじゃなく真っ青になった。何百度という高温(正確な温度忘れた)に耐える部品が溶解していたそうだ。

2014-06-03 18:46:08
はぎわら ふぐ @hugujo

「ボクの設計したカメラだ!」と叫んで絶句して真っ青になった。いや、びっくりしてしばらく見ているうちに私も恐くなった。恐怖は感染するです。

2014-06-03 18:48:49
Ryusuke IMURA @tigers_1964

前々日に東京に戻った私は,あの日,早めに大学からアパートに帰った.フィールドから送ったサンプルがまだ着いてなかった.夕方のニュースで大きめの火砕流が発生したことを知った.すぐにM先生とHさんの自宅にアパートから電話した.半分泣いていた.M先生に電話が通じたのは20時を回っていた.

2014-06-03 19:04:22
Ryusuke IMURA @tigers_1964

私は5/29の夜、ハリーとクラフト夫妻に島原の観測所で会った。5/30に鹿児島に戻り、5/31夕方に日向から川崎行きのフェリーに乗った。6/1に東京のアパートに戻った。

2014-06-03 20:40:48
月野うさはかせ Prof.Lièvre @usa_hakase

火砕流発生当時の雲仙岳にはいろいろ事情があって行けなかった。もし行ってたら早川せんせと行動をともにしてただろうから、いったん静岡に戻ってたタイミングだったろう。

2014-06-03 20:55:02