新人だったとき・秘話

クレヨンハウス 【あの作家が、新人だったとき 寮美千子さん】に寄稿。そこには書かなかった秘話のまとめ。
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寮美千子 @ryomichico

クレヨンハウス 【あの作家が、新人だったとき 寮美千子さん】に寄稿しました。いま明かされるデビュー秘話が! もっとすごい話もあるけれど、それは今回は書きませんでした。 ehon.crayonhouse.org/archives/2400

2014-06-03 23:12:46
松永洋介/ならまち通信社 @narapress

「寺村輝夫氏から、なぜか 「夢でした」という結末に書き直すように、提言されました…お断りしたところ、毎日童話新人賞史上はじめて、単行本にならなかった受賞作になってしまいました」>あの作家が、新人だったとき 寮美千子さん クレヨンハウス ehon.crayonhouse.org/archives/2400

2014-06-03 23:00:48
松永洋介/ならまち通信社 @narapress

「この受賞が、その後、わたし自身を苦しめることに…本当に書きたい哲学的な作品を書くと 「もっと楽しくて、元気で、ナンセンスなものを」 と編集者にいわれてしまうようになったのです。自分が本当に書きたいものではないものを書いた報いでした」>ehon.crayonhouse.org/archives/2400

2014-06-03 23:03:34
松永洋介/ならまち通信社 @narapress

「呪縛を逃れるために書いた作品が『小惑星美術館』。書きたいことを遠慮なく思いきり書いたら…この作品から、わたしの、わたしらしさを評価してくれる編集者がつくようになりました。やはり、自分を偽ってはいけないと、つくづく感じました」>寮美千子ehon.crayonhouse.org/archives/2400

2014-06-03 23:06:40
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 初めて書いた小説をある賞に応募したら、審査の前に審査委員長に呼び出されて「うちの息子に挿画を描かせてやってくれ」と頼まれたとか。結局審査員全員が、わたしの作品を推したのに、編集長が「この人は一昨年当社の賞を受賞したので、今回の応募はなかったことに」

2014-06-03 23:45:25
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 さすがにそれではまずいと思ったらしく「当社が依頼して書いてもらったということで、新聞連載を」と。で、連載になったのだけど。審査員のご子息じゃなくて、この人に絵を描いてほしいと指名して要求しました。で、希望の画家で新聞連載。

2014-06-03 23:47:48
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 なぜそんなわけのわからん顛末になったのかといえば、「新人だったとき」に審査委員長の進言に逆らったことが、尾を引いていたのか?? だって「次は小説で応募します」って編集部で公言していたのに、だれも止めなかったんだよ! それなのに、ああ、それなのに。

2014-06-03 23:51:17
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 でもまあ、わたしじゃない人が、注目を浴びる某賞を受賞すれば、その人が世に出る機会になるしと思って、当時はこの件については、黙っていました。わたしは作品を発表できれば、それでよかったから。でも受賞していたら、その後、いろいろもっと楽だったかも。

2014-06-03 23:52:42
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 で、連載終了後、単行本化が決まらない。審査委員長さまなどの後押しが一つもないので、決まらなかったのです。それで、自分であちこち持ち込んで、やっと出版が決まった会社では、ゲラ段階で「タイトルを変えろ」と言われ、嫌だといったら、出版中止に。

2014-06-03 23:54:28
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 で、さらに自力で持ち込んで、やっと決まりました。タイトルも自分の思い通りに。絵はわたしが希望した小林敏也氏。そうやって生まれた『小惑星美術館』を。沢木耕太郎氏が新宿紀伊國屋で自分で買って下さり、激賞してくださって、そこから人生が急展開。

2014-06-03 23:56:26
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 その前の出版社の編集に言われたタイトル『180日間の遠足』では、沢木耕太郎さんの目に止まることはなかったでしょう。だから、結局ふんばってよかった。開けた道は出版ではなく、衛星放送ラジオに詩を提供すること。7年間、詩を書き続けました。

2014-06-03 23:58:29
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 当時はFAX。自分の書いた言葉をFAXで放送局に送ると、一週間後には「声と音楽」になって聞こえてくる。電波は、赤道上空3万6千キロから降ってきた。アジア一帯に降りそそいでいた。言葉で地球を祝福している心持ちがしました。これが伝説の「セント・ギガ」

2014-06-04 00:00:47
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 ラジオ放送は、書かれた言葉を音に還していく仕事。音になってフィードバックしてくる言葉を受け止めることで、わたしは、言葉が書き文字以前に「音」であることを、深く深く実感しました。それはその後のわたしの仕事に、大きな影響を与えることに。

2014-06-04 00:02:54
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 「はじめてきいた音楽は かあさんの心音だった」当時は、そんな詩を書いていました。音になる言葉、耳で聞いて理解できる言葉、を強く意識した結果、子どもの本や絵本のために書く言葉が、洗練されていきました。それはわたしの小説にも影響を与えました。

2014-06-04 00:04:51
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 わたしの書く小説の言葉が「詩のようだ」「音楽的」と評されるのは、そんなところに原因があると思います。禍福あざなえる縄のごとし。結果的によかった。しかし、いまでも、文字メディアにぴたっとフィットしない気分がしています。言葉が原初に戻りたがるから。

2014-06-04 00:07:20
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 音楽家が、わたしの詩に曲をつけてくれているのも、きっと、言葉が最初から音楽をはらんでいるので、音楽にしたくなるのかもしれません。それはとてもうれしいことです。オペラも書かせてもらったし、混声合唱曲になった作品もいくつもあります。

2014-06-04 00:08:41
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 短歌というのは、本来「調べ」ではないかと思います。調べが、心の奥にある情動を呼び寄せ、動かし、波にする。意味より前に、まず調べがあってこそ、短歌ではないか、とわたしは感じています。現在の短歌会は、文字偏重、意味偏重傾向に感じます。

2014-06-04 00:11:28
寮美千子 @ryomichico

@utataneko57577 ラジオでの短歌のお仕事、とてもいいことですね。ラジオというメディアは、電波メディアとして古典的なものですが、それが持っている可能性は、実はとても大きいと感じます。言葉を原初の音に戻していくことのできるメディアです。がんばって!

2014-06-04 00:12:59