「抑留」と「少年兵」と (あるいは「日中貿易史」)
まだまだ日中貿易にかんするつぶやきはおわらんよw
友好商社社史(その2「外史」)の年表 が おいおい 日中・日朝両方の友好商社だったんかい! ← 東工物産
2013-07-26 20:25:13しかし「中国研究月報」はあまり役に立たんなw そのかわり「統計資料」はなかなか面白いかも(本文はいらんとか細かい指定つけたのは「著作権法」を立てに取られるのふせぐため)
2013-07-26 20:44:491950年台の西側諸国への中国の主要輸出品が「油料種子」ってそれ「大豆」やろ! 満洲時代から変わっていない構造にワロタ
2013-07-26 20:46:23それにしても「58日で建造した」躍進号 D/W 13,400t ってどういう船なんだ 初航海で座礁して沈没したらしいがw by 中国の交通運輸業「中国研究月報」1965/5
2013-07-26 23:20:23やっぱりそうだ「製鋼用銑鉄」というのは「特殊鋼・ステンレス」とのバーター取引だったんだ。「東工コーセンの60年」P.59 に明確に書いてあった。
2013-07-27 00:01:49当然「銑鉄の輸出」とは「圧延工程」の能力不足によるものと言い切って良い。実は1960年台の銑鉄輸入は中ソが主流。揃いも揃ってなにやってんだ
2013-07-27 00:02:53おお なぜかゼミ教授の名前をCiNiiにぶち込んだらよう出てきた 交通労働問題専門だから当然だが 黒歴史のように「中国の鉄道建設」という謎の商学論叢査収論文が
2013-07-27 00:10:54でもって「外史」なのだがこれが「川瀬一貫」「帆足計」「花村仁八郎」とかもう名前だけでおなかいっぱいという。「あの頃の思い出」に前職の名前が出てくるとはw
2013-07-27 00:22:11でも面白いのは「友好商社」が「統制会」母体とした会社の子会社(ダミー会社)として設立された点。なまじ個人企業ではなくそういう成り立ちだから社史が刊行されたといえる。
2013-07-27 00:25:57あとこれと裏取りをすることで「森製作所の機関車たち」P.127の中国向DLの出荷時期の記述があやしくなる。上海なら1956年だし、1958年が正しければ広州・武漢となる。
2013-07-27 00:35:15この中で「神戸の商社」(前掲書P.126)というのがよくわからない。東工物産の本社は東京だし、西日本貿易はまだ未創業。新日本通商(伊藤忠)など関西商社系の友好商社ならわからぬでもないが。
2013-07-27 00:37:56むしろ源流は東工物産かしら それから西日本貿易、朝陽貿易と分流が(しかし方向性はすべて異なるのがすごい)
2013-07-27 00:43:47東工コーセンに有価証券報告書が存在したとは。非上場なのにあるのは社債を発行したため。これで過去の履歴バッチリよ
2013-07-28 04:52:19叙勲叙階については、また官報で、川瀬一貫、森井庄内の二名を検索かけて調べてみた。川瀬一貫は護謨統制会上がりだから当然か
2013-10-06 13:46:07川瀬一貫:工業繊維・東工物産創業者、森井庄内:日本タルク元社長、西日本貿易創業者。日中貿易史でこの2人の名前を欠かすことはできない(特に前者)。
2013-10-06 14:33:59森井庄内、もとへ「西日本貿易」「日本タルク」なんだが、官報に決算すら公告しちゃいねえ。株主特定の完全閉鎖会社だから、未公告でバックれという態度かな(こういう会社は他にもあるから一例として)
2013-10-06 14:35:14東京、大阪ときたついでで、中京地区はどうだったか?というのが 別の手法からのアプローチ。一応いてるんですよ 出身地までも掴んだが、全体的な構成をつかむにはまだまだ情報不足
2013-10-06 14:36:52本当は「西日本貿易」が案外鍵となるんだが、まあ出ちゃいねえ出ちゃいねえ。別働隊あるいは独立系、そのあたりの見極めもそうだし、1968年の英磅切り下げ+LT消滅(MTに名目上切替)で消滅したところも多そうだし。
2013-10-06 14:38:32中国における「少年兵」とは
「僕は八路軍の少年兵だった」(光人社文庫)読了。昭和19年に満蒙開拓義勇兵に14歳で参加し紆余曲折を経て終戦後人民解放軍の兵士に志願した著者の回想記。客観的に見れば悲惨な体験をが淡々と綴られてる。15歳の少年の目を通してみる動乱期の中国の描写が実に面白かった。
2011-05-29 19:36:52この前読み終えた『僕は八路軍の少年兵だった』はなかなか面白い本だった。著者は満州で東北人民軍に参加して最終的に大尉相当まで昇進、党員にもなってる。朝鮮戦争にも参戦したものの、外交問題を避ける為か日本籍を理由に途中で引き上げられたそうな。ちなみに彼のいた部隊はその後に全員が戦死。
2011-06-03 07:23:39