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前日譚 - 極彩鮮滅

まだ『染闘(たたかい)』は、始まっていない。
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時葉〈四の深緑〉 @Tokiwa028760

「おじいちゃん」 幼い子供の、舌っ足らずな声だった。それは、機械で合成された声だった。 真っ暗闇。半球状の天井には、少し前まで、青い色が映しだされていたし、この空間は、常に明るい光で満たされていた。プラスチックでできた木と花が鮮やかな、美しい箱庭が、私の『世界(ケージ)』だった。

2014-06-11 18:20:14
時葉〈四の深緑〉 @Tokiwa028760

「おじいちゃん」 機械が発する子供の声は、私の声ではないけれど、私の言葉だ。私は、猫のぬいぐるみを撫でながら、呼びかけた。もう、何度も呼んでいるのに、応えがないのだ。『世界』が真っ暗闇になってしまってから、ずっと、応えがないのだ。ぬいぐるみは、止まったままで、しっぽさえ動かない。

2014-06-11 18:20:24
時葉〈四の深緑〉 @Tokiwa028760

「おなか、すいたよ」 応えはない。かわりに、聞いたことのない、重い音が聞こえた。硬い金属でできた、『世界』の殻をこじ開ける音だった。床が震えて、プラスチックの木がざわざわと騒いだ。 「ねえ、おじいちゃん」 応えはない。やがて暗闇に光が差した。光の中から、いくつもの銃口が覗いていた

2014-06-11 18:21:33
時葉〈四の深緑〉 @Tokiwa028760

それは、武器だと教わっていた。武器とは、生き物を殺すものだと教わっていた。銃口を向けられたなら、機械を外してもいいのだと、言われていた。 私は、眼と耳を覆う機械を、外した。深く、澄み切った、けれど底の見えない【深緑】の瞳に、彼らの姿を映した。電子映像に変換していない、生の視界。

2014-06-11 21:53:57
時葉〈四の深緑〉 @Tokiwa028760

彼らは見る間に形を変えた。数発、撃ちだされた銃弾は、私には当たらなかった。武器を持つ手が、それを生やした人間が、ひしゃげて膨れ上がり、名状しがたい化け物に成り果てて、『世界』の外側へと戻っていった。咆哮と断末魔の悲鳴が聞こえてくる。彼らは死ぬまで、私の害敵を殺し続けるのだ。

2014-06-11 21:54:07
時葉〈四の深緑〉 @Tokiwa028760

どうして、私がこういうものであるのか、私は知らない。私は人間だと言ってくれた『おじいちゃん』は、きっともういない。 機械を付け直した。猫のぬいぐるみを抱き寄せた。動かないそれを撫でて、機械音声を発する。 「いってきます。帰りは、遅くなると思うけど、いい子にしてるんだよ」

2014-06-11 21:54:22
時葉〈四の深緑〉 @Tokiwa028760

時々、『おじいちゃん』が出かける前に言ってくれた言葉を、真似しただけ。他に言うことが思いつかなかった。応えは、なかった。 私は、一人で、『世界』の外側へと、出て行った。 私は、一人で。

2014-06-11 21:54:26
御通ヨサリ @torima_nama

 蒼天の色は動かない。  人々が、深い昼の空だと断じる青と、明るい夜の空だと断じる青の、その範囲が重なるぎりぎりの一点の青で、永遠に停滞している。  その国に時はない。

2014-06-11 18:46:01
御通ヨサリ @torima_nama

 そこは、すりばち状、ろうと状と表現するにはやや鋭角な縦穴だった。  斜面は複雑に段をなし、虫の巣のように大量の空間をはらんでいる。その全てが、客席だった。  天上をたたえる地の底の、その中心で、娘は料理をしている。

2014-06-11 18:48:26
御通ヨサリ @torima_nama

 空色の娘である。  粗末な着物に、濃密な藍を染め抜いた割烹着がなんともそぐわない。  幼さの濃い口元と、子を持つ母のような瞳を併せ持つ、この蒼天のように曖昧な娘である。

2014-06-11 18:49:52
御通ヨサリ @torima_nama

 大ぶりの包丁がリズムをとってまな板を叩くたびに、生きても死んでもいない魚が両断されては「活き」返る。  切り身のひとつひとつが楽しげに小麦粉の上を跳ね、ひとりでに油を泳ぐのを見届けながら、娘はゆったりと巨大な客席を見渡した。 「何か食べたいものはありますか?」

2014-06-11 18:52:33
御通ヨサリ @torima_nama

「なんでもさ!」  誰かが答える。 「おかみさんの作るものはなんだって美味いからねえ」 「あら嬉しい。だったら今日はシェフの気まぐれサラダです」 「サラダ! 今揚げ物をこさえたのにか」

2014-06-11 18:54:12
御通ヨサリ @torima_nama

 いくつもの豪放な笑い声と、鈴を転がすような微笑が重なり合う。  娘の背後、巨大な竈を取り仕切る大男が、そこにじとりとした視線を向けた。 「もう、火の。お客さんに妬かないでくださいよ」  言われて、大男は炎に視線を戻す。ひゅう、と誰かの口笛が鳴る。

2014-06-11 18:57:33
御通ヨサリ @torima_nama

 口笛の主には、顔の右半分がない。  豪放に笑う誰かには腰から下がない。  痩せたまま戻らない女、髪から爪先まで焼け焦げた老人、皮膚がまだらに黒い幼子。肥大しきった食卓は、八百万の死者で満ちていた。  その誰もが、享楽的に笑いながら料理を口に運び続ける。

2014-06-11 19:01:14
御通ヨサリ @torima_nama

「――ずいぶんなものを作り上げたことね」  宴の中心で、ひどく冷たい声があがった。  そこに佇む幼い少女の姿に、空色の娘は柔らかく声をかける。 「あら、水のじゃないですか。何か食べていきます?」 「口の利き方に気をつけることね。知的生命体の認識にしか存在しえない概念の神風情が」

2014-06-11 19:10:26
御通ヨサリ @torima_nama

 幼い少女は、勧められた席を無視してカウンターに直に腰かけた。死者らしく静まり返った客席をひととおりねめつけながら、 「なるほどね。死後の国がこの体たらくじゃあ――生きようとする生命がいるわけもない」 「あの、お客様のご迷惑に」 「お前、自分が何をしでかしたのか理解していて!?」

2014-06-11 19:27:34
御通ヨサリ @torima_nama

 少女はヒステリックに机を叩き、触れるほどの距離で空色の娘を睨む。対する娘はやんわりと。 「わたしは、美味しい料理ができたので、みんなに食べてほしかっただけです」 「ふざけないで! 地上に再び生命が発生するのに、どれ程の偶然と、何億の年月が必要だと思ってるの!?」

2014-06-11 19:29:29
御通ヨサリ @torima_nama

「死の」  静止を入れたのは、竈を見ていた大男の静かな声だった。 「きみがまともに取り合うことはない。その神は、いまだに生命が海から生まれたことなぞ、たいそう大事に誇っているのさ」  彼はその背を向けたまま、その動きだけで肩をすくめてみせる。

2014-06-11 19:32:29
御通ヨサリ @torima_nama

「次の生命とやらは、水で分子を運ぶ炭素の塊ではなく、金で電子を運ぶ珪素の塊とも知れないのにな」 「黙りなさい! 大体お前、こんな弱小に入れ込んで、」 「おふたりとも」  空色の娘は、とんとんとん、と包丁のリズムで、ふたはしらの神の応酬を切り落とす。

2014-06-11 19:35:35
御通ヨサリ @torima_nama

「怒っちゃだめです。水のの言う通りですよ。わたしのような死の神なんて末席もいいところ。四大元素と比べるまでもありません。だいたい――」  娘は、ふわりと視線を上へやる。  昼にも夜にも属さない、永遠の死の空がある。

2014-06-11 19:39:20
御通ヨサリ @torima_nama

「生きているか死んでいるかなんて、どうでもいいじゃないですか。――【天はこんなに蒼いのに】」

2014-06-11 19:40:01
御通ヨサリ @torima_nama

 その一言を皮切りに、酒場の一切がうごめいた。  壁、床、階段、その境界のひとつひとつが揺らいで、「死後の国ではないどこか」を飲み込みながら、「死後の国」の容積を増大させる。  この世すべての生命を飲み込んでなお、空色の娘を取り巻く死の居酒屋は肥大を止めようとしない。

2014-06-11 19:43:07
御通ヨサリ @torima_nama

 幼い少女の姿の神は、奥歯の砕ける音まで聞こえるような気迫で、その『蒼天』を睨み据えた。  机をたたき続けていた小さな手が、ぎり、と握り込まれる。 「――この世界から出ていけ。御通ヨサリ」  呼びかけに、そこで初めて、娘は料理をする手を止めた。

2014-06-11 19:46:35