ポーランドの国花、パンジーは人工園芸種である。ポーランドで非常に愛され、一番多く庭に植えられている。あまりに愛されたため、外来種として野生化、生態を崩して社会問題になっている。
2010-11-11 18:31:47在イギリス亡命ポーランド軍は、イギリスから貰った軍服をジャストサイズに自力で仕立て直してびしっと着こなしていたもんだからモテモテだったという逸話が残っている
2010-11-11 19:03:38ポーランドでは結婚式で花嫁の靴にワインを注いで回し飲みする風習があったらしい。最近の記述では見かけないからもう廃れちゃったのか地域的なものなのか…
2010-11-11 21:27:51ポーランドの刺繍はやがて写実性を追求しはじめる。マゾフシェの華やかな刺繍は繊細なグラデーションで花びらを表現する。現在はその担い手もいなくなってきているとのこと。
2010-11-11 21:50:47スラブ神話では、世界はたまごのようなものだと考えられていた。白身は海、浮かぶ黄身が大地、殻が空。だからポーランドの伝説に破れた空を縫い合わせる話がある。空を縫い合わせた仕立て屋は王様になった。
2010-11-11 22:08:18ウクライナ「私はポーランド王国にとって身体の一部のように重要であると認識しています。今後も頑張ります」リトアニア「はい。貴方は我々ポーランド王国にとって伸びすぎたら切らなくてはならない髪や爪のような存在です」
2010-11-15 20:18:28ポーランドが宗主国になっていったのは何よりもその「自由」と「文化」にあった。キリスト教国家でありながら宗教の自由を認め、あらゆる時代を通して高い文化水準にあった。リトアニアやラトビア、ウクライナ、そしてユダヤ人たちはその「自由」に惹かれた。
2010-11-23 17:07:481944年、イタリアでのモンテ・カッシーノの戦い。ポーランド軍が大活躍し、モンテ・カッシーノのけしの花が赤いのはポーランド人の血によるという歌がつくられた。ポーランドって対戦中いつも囮役ばっかりしてない? ポーランド軍兵クマのヴォイテクも活躍した。
2010-11-23 20:40:08ポーランドでは怒涛の東欧の春が始まるころ、戒厳令が発令された。私達が原爆をいくら言葉を尽くしても語りきれないように、ポーランドでも語り得ない戒厳令を語ろうと、多くのひとが今ももがいている。
2010-12-14 19:40:39シベリア送りにされたポーランド人たちは、シベリアの文化水準をがっつり引き上げました。それまでロシア農民が殖民され、知識がないまま困っていたのを、文化水準の高いポーランド人が送られ、様々な商業施設を建てました。貴族がケーキ焼いて売ってたりしてたエピソードも。
2010-12-17 00:35:06「ロシアの政府にこんなとこ無理やりすまわされてお前も大変やんなーいつかあの政府一緒に倒していい国つくろうな!」てなかんじでシベリアではロシア人とポーランド人は仲良くやっていたそうです ロシア革命時なんかは完全にポーランドが支援していました
2010-12-17 00:39:44ポーランド人がロシア革命を応援してたのはロシアが混乱するのを狙っていた、と 感情レベルでは兄弟国の民衆の幸せを願っていたってのも本心でしょう どっちのほうが大きいかはちょっとわからないけど
2010-12-17 00:42:32亡きポーランドを独立国として認めつづけた国がひとつあった。それがトルコである。首都イスタンブールでは外交使節を招いて儀式のあるたびに、外交使節の名簿をひろげて儀典長が厳かな声をあげて呼ぶ。「ポーランド共和国大使閣下!」そのたびごとに、返事はない、むろん、使節の姿もない。しかし、
2010-12-21 08:22:52スルタンが何代か替り、儀典長が新たに交替しようとも、決まって「ポーランド共和国大使閣下」の名は呼ばれつづけた。百三十年ものあいだ、トルコはトルコを打ち破ったソビエスキとその将兵の国に対する礼節をついに失うことがなかった。「三国分割」下のポーランド人は、この恩義を忘れなかった。
2010-12-21 08:26:46ポーランドは第二次世界大戦もあってか弱いイメージがあるけど、ドイツ騎士団、オスマントルコ、帝政ロシア、ソビエト連邦に勝ち、ローマにもドイツにもタタールにも飲み込まれず独立を貫いてきました。実は強い!でも得意な戦法は微妙に狡い気がする
2010-12-21 18:58:11