日本の近代建築15作品 ー『日本の建築空間』2005年新建築社 より
- yoshihirohorii
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06『代々木屋内総合競技場』丹下健三 丹下健三の最盛期の傑作。東京オリンピックのメイン会場の一つであり、メイン体育館とサブ体育館の2棟からなる。どちらも観客席までをRC造とし、その上に形状の異なる吊り屋根をかけている(メイン体育館はケーブルにより、サブ体育館は鉄骨による)。
2014-06-16 03:04:38→どちらのインテリアも、スチールやケーブルといった素材をまるで皮幕のようなイメージで扱っており、丹下の素材にたいする鋭い感覚が効果的に現れている。その造形性から構造的な合理性まで、また素材選定からディテールまで、あるいは設備計画から気積コントロールまで、考え尽くされた建物である。
2014-06-16 03:04:51→また屋外スペースについては、例によって配置が完璧であり、2棟の巴型プランを抱き合わせ、両者の間に幅広のコンコースを設けることで、観客・選手団・管理者・一般利用者・団体客などによる複雑なアクセスを、立体的に解決している。
2014-06-16 03:05:0907『上原通りの住宅』篠原一男 篠原一男の代表作のひとつ。単純に組み立てられた住宅だが、できあがった全体像は複雑である。 建物は3層であり、下2層がRC造である。その2層の輪郭をなぞるようにRCの薄い殻を立ちあげて、内側から樹木状の三つ又柱で支持している
2014-06-16 03:10:29→RCの殻と三つ又柱は2層分の吹抜け空間として設計され、それ以外を全て木造としている(2階床・界壁・家具・階段)。床の厚さは極めて薄く、シートのような感覚でRCの吹抜け空間を上下に分割している。この床は集成材の単純梁で支持されており、上面が縁甲張りの床、下面が顕しの1階天井である
2014-06-16 03:14:26→細部においても、床の縁甲板がRCの外周壁にたいして45度方向に張られており、木造の界壁も三つ又柱にたいしてゾロになったり衝突しながら納められていて、RCと木が細部においても併置され、互いに妥協することがない。
2014-06-16 03:15:12→こうした2階建ての計画案がほぼできあがったとき、施主から子供室の追加が求められ、3階に鉄骨造のヴォールトが唐突に現れることになった。
2014-06-16 03:15:30→その全体はあくまでドライに組み立てられており、インテリアは即物的である。2階のシートのような床を歩くと、足元から樹木状のRCが突然立ち上がってくる。まるでRC造の見えない吹き抜け空間を、迷宮のように体験することになる。
2014-06-16 03:15:5908『KIH』鈴木洵 もし鈴木洵がいなかったとすると、RC打放しを住宅のインテリアに使用するといったことは、誰もできなかっただろう。あるいはインテリアを屋外空間のように処理するといったことも、なされなかったろう。また仕上材と下地材を等価に扱うといったことも、考えられなかっただろう
2014-06-16 03:21:29→もちろん鈴木はRC造だけでなく、木造においてもさまざまな考案をした。その初期住宅は在来木造からRC造まで、またフラットルーフから勾配屋根まで、あるいはコルビュジエイズムからバナキュラリズムまで、もしくはローコスト住宅から豪邸まで、ほとんど全てがある。
2014-06-16 03:22:09→そして勾配屋根やハイサイドライトや合板といったありふれたものが、鈴木の手にかかると生気を吹き込まれ、一挙に生成的なものとなる。
2014-06-16 03:22:27→KIHの白いエナメル壁を見よ。厚さ30ミリの単板の合板がシートのように立てられて、住居とアトリエを隔てている。合板とは、このように扱われるために登場していたのではなかったか。
2014-06-16 03:23:1709『プロジェクトマグネット』倉俣史朗 倉俣史朗の初期の名作の一つ。この作品が現れたころにEソットサスは、「21世紀のデザイナーは倉俣史朗に注目せざるを得ないだろう」と感嘆したという。初期の倉俣作品は70年のドムス誌に立て続けに発表されたが、
2014-06-17 02:19:56→そのわずか数冊によって、モダンデザインの歴史は塗り替えられることになった。 このプロジェクトマグネットはテキスタイルの展示場のプロポーザル案であり、実現されたインテリアとは異なっている。しかしそのような説明が無意味になるくらい、そのイメージ力はすさまじい。
2014-06-17 02:20:29→矩形の鏡面のスペースに、磁石を用いてテキスタイルを浮遊させ、空前絶後のスペースを生み出している。その壮絶な現前力は、20世紀デザインの頂点である。
2014-06-17 02:22:1010『阿部邸』阿部勤 埼玉県のベッドタウンに建てられた自邸。よくあるモダンな戸建て住宅のように見えるが、そのさりげない作法とは異質のインパクトを秘めている。敷地は角地であり、2つの道路にたいして建物を振って配置したため、道路と建物の間に余白のスペースが作り出されている。
2014-06-17 02:23:16→建物の四周に樹木をびっしりと植えるためなのだが、植樹して数十年たつと、それらが巨大な密林へと生長していくのである。今日そのありさまは、ベッドタウンのなかにジャングルが出現したような、あるいは街中のインスタレーションのような有り様となっている。
2014-06-17 02:23:31→したがって、インテリアにおいてはプランを入れ子状とし、センターコアにリビングを納め、四周の回廊状のスペースに住居の諸機能をレイアウトしている。住宅を使うにつれて、あらゆる窓からジャングルの眺めが飛び込むようにするためである。
2014-06-17 02:23:41→窓のディテールは絵画の額縁のように処理されており、他の部位もオーディナリーに納められている。そのため、モダンな住居が丸ごとジャングルに転送されたような錯覚さえ起こさせる。様式としてはモダンリビングであり、構成としては入れ子プランだが、そうした見方からは絶対に生みだせない秀作。
2014-06-17 02:23:5411『幻庵』石山修武 石山修武の初期のコルゲート作品のひとつ。鉄やコルゲートパイプといった近代工業製品によってつくられた住宅だが、そのスペースは通常のモダニズムのものではない。かといって、たんにポストモダニズムであるのでもない。
2014-06-17 02:24:33→スチールのバラ窓やブリッジや手すりが極めて装飾的であるのみならず、それらが茶室の鉄瓶や鉄棚などと併置されているという意味で、この住宅は現代のモリス主義者によるスペースなのである。それは常識的な近代主義の単純な延長ではないが、
2014-06-17 02:24:44→しかし徹底して近代の産物だけでつくられたという意味で、他のどの建物よりも近代建築と呼びうる実質を備えている。石山は日本におけるほぼ唯一のコンセプチュアルな近代建築家なのであり、その一連のコルゲート住宅を通して、むき出しの生傷のような衝撃を同時代に与えた。
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