安倍の集団的自衛権会見もパネルもおかしくね?!~その理由と実際に集団的自衛権が行使された事例~
⑭#集団的自衛権 大部隊よりもPKOで一番必要とされているのが『非武装の軍事監視』です。これは誰でもできるものでなく、経験を積んだ指揮官レベルしかできない。自衛隊はカンボジア以降ネパール等でも実績を積んできた。シリアからも国連に要請があったが派遣には至らなかった。(続)
2014-06-19 21:58:57⑯#集団的自衛権 アフガニスタンでの『COINドクトリン』は『COINドクトリン』が失敗だったのでなく【米国】がやったから【失敗】したのです。とすれば日本がこれからやることはおのずとみえてくるのではないのでしょうか。
2014-06-19 22:07:22憲法9条はGHQの押しつけと言われてるが日本製である
えっ!!小学六年生の社会科の憲法が8条から10条に飛んでいる。 何故9条は抜けているの??? pic.twitter.com/FA0f3Fl2e6
2014-10-03 13:10:26【平野三郎の憲法調査会への『報告書』による、主な幣原の言】(括弧内は平野の質問の要旨)
(第九条は現在占領下の暫定的な規定ですか、何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか)一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。
(軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか)それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。
次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。
相手はピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋[6]ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。
僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。
(他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したら)その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然も次の戦争は今までとは訳が違う。僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。
(憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています)そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、〈中略〉憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。〈中略〉幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。
世界の共通の敵は戦争それ自体である。
この法案が閣議決定されるならば、自衛隊もアメリカの兵士と同じ運命をたどる。誰が最前線で戦って命を落としていくのか。 #集団的自衛権反対 pic.twitter.com/BgHmIm3AiQ
2014-06-27 23:23:37