南北朝SSふたつ

書いたのまとめてみました
13
どくだみ @dokudamiY

「先陣に立てば自ずから軍が纏まり、自然と勝ってしまう。それが理想の大将でございます、若。」そう幼い頃の彼に言った甲斐の爺は今、彼の眼前で首から高々と血を噴出し、息絶えようとしている。ぎょろぎょろと別の生き物のように動く目玉が、何か現実離れしていて、彼は妙な可笑しみを覚えていた。

2014-06-28 22:48:33
どくだみ @dokudamiY

「本当に、斯様な戦が出来る者がおるのか。」彼は訝しげに尋ねた。つい先日初陣を経験し、絵巻物とは程遠い、実際の戦場というものを目の当たりにしたその時分の彼、斯波家長には、あの移り気で奔放で、そしてどこまでも残酷な戦場というものを乗りこなせる人間がいるとは、到底思えなかった。

2014-06-28 22:48:50
どくだみ @dokudamiY

「御大将足利殿は、その器にござる。」そう、甲斐は答えた。あしかがどの、か。家長は自らの大将である足利尊氏の顔を思い浮かべた。線の細い、どこか浮世離れした、飄々とした男。どうにもそのような方には思えぬが、と彼は思った。

2014-06-28 22:49:22
どくだみ @dokudamiY

「お疑いですな。」彼の心を見透かしたように、甲斐は笑った。

2014-06-28 22:50:23
どくだみ @dokudamiY

「いや、まあ無理もござらんが、御大将は戦場に立てば、お人が変わりまする。常に笑みをたたえ、必死の地に飛び込んでいくのです。そしてそのお姿を見た誰もが、我も我もと駆けだして行かれるのですよ。ああいう真似は、常人にはできませぬ。よほどの剛毅の器か、物狂いでなくては。」

2014-06-28 22:50:31
どくだみ @dokudamiY

「ま、ともあれ尊氏殿はまこと英雄の器。若も、御大将のような武者になりなされ。斯波家の男たるもの、そうあらねばなりませぬ。」。斯波家。源家では足利家に継ぐ家柄とされる一族である。彼にその気はなくとも、足利に負けるな、と誰彼なしに煽ってくる。それが、彼には少しばかり憂鬱であった。

2014-06-28 22:51:33
どくだみ @dokudamiY

「ところで、そういう大将は、足利殿以外にはおらぬのか。」ふと彼は尋ねた。ふむ、と甲斐はしばし考え込んだ後、「陸奥守殿でしょうな。」と言った。北畠大納言親房の息子、陸奥守顕家といえば、その英明さと、見目麗しさから、都で知らぬ者はいなかった。歳は、およそ彼とそう変わらないはずである。

2014-06-28 22:52:28
どくだみ @dokudamiY

「しかし陸奥守殿は武家でなく公家ぞ。奥州の治世は上手くいっておるようだが、それは大納言殿のお力であろう。」同じ年頃の相手に、多少の嫉妬を覚えながら、彼は甲斐に反駁した。

2014-06-28 22:52:45
どくだみ @dokudamiY

斐は何か、言葉を探しあぐねているようであったが、しばらくして口を開いた。「左様、あの方は公家ですが、まごうことなき大器。奥州の平定も、陸奥守殿なくしては敵わなかったとも。」甲斐は、じっと家長の目を見た。

2014-06-28 22:55:45
どくだみ @dokudamiY

「だがわしは、家長殿こそ、顕家殿に負けぬ大器だと思っております。だからこそ、こうして家長殿も、陸奥守殿のお目付けを命じられたのです。胸を張りなされ。」今考えればそれは、不用意に家長の誇りを傷つけないための、甲斐なりの心配りであったのだろう。

2014-06-28 22:57:40
どくだみ @dokudamiY

そして2年が過ぎ、いま、鎌倉を守る彼の前には、その陸奥守の兵が、怒涛のように押し寄せて来ていた。既に尊氏の息子は逃がし、兵も集め、布陣も済んだ。これで、心置きなく戦えるはずであった。だが、そのような彼の努力は、陸奥守顕家の兵の疾風の如き進撃に、難なく押し潰されてしまった。

2014-06-28 22:59:03
どくだみ @dokudamiY

もはや、鎌倉の陥落は時間の問題である。彼は、生き残った兵を集め、最後の一戦に及んだ。斯波家の兵は果敢に戦ったが、それも次第に限界が近づいていた。家長は、足元で徐々に痙攣を止め始めた甲斐を見つめ、四年前の彼の言葉を思い出していた。

2014-06-28 22:59:29
どくだみ @dokudamiY

不意に、彼は馬に跨り、さえぎる味方を振り切って、前線に飛び出した。我は斯波陸奥守家長なり、そう喚き、敵兵を叩き斬る。もうまもなく迎えるであろう最期を前に、己の器を、甲斐の言葉の真贋を試してみたかった。十七歳という年齢で、何も為せずに死んでいくことが、彼はどうしても嫌だった。

2014-06-28 23:00:09
どくだみ @dokudamiY

一騎、ニ騎と敵を斬り、彼は後ろを振り返った。だがそこに、彼の期待する光景はなかった。北畠勢に為すすべなく蹂躙される、自らの手勢が存在するだけであった。

2014-06-28 23:00:32
どくだみ @dokudamiY

「畜生。」家長は呟いた。数間先に、こちらを見つめる馬上の武者の姿を見た。その美しい武者が、確かに自分を嗤っていることに気付いても、彼にはもはや何の感動もなかった。そのうち、一本の矢が彼の喉首を貫き、斯波家長は死んだ。

2014-06-28 23:00:55
どくだみ @dokudamiY

ワンドロの裏ならこっそり漂流しても大丈夫だろうと思って一時間ほどでベンジー聴きながら書きましたまる

2014-06-28 23:04:02
どくだみ @dokudamiY

蒸し暑く、それでいてどこか陽の翳った日のことだった。蝉が酷く鳴いていたことをよく覚えている。千種忠顕はその日、自邸で剣戟の稽古をしていた。

2014-06-29 21:27:26
どくだみ @dokudamiY

彼は、公家の中でも異端であった。歌や蹴鞠にはまるで関心がなく、馬を乗り回し、剣を振るうことばかり好んだ。おかげで父親には勘当されてしまったが、忠顕の行状は変わらなかった。そのうち、そうした振る舞いが気に入られたのか、忠顕は帝の近臣として召され、建武の御一新後には参議に任じられた。

2014-06-29 21:27:59
どくだみ @dokudamiY

もはや都で彼の顔を知らぬ者はいなかった。忠顕は己の行いが正しかったことを確信していたし、だからこそ武技を磨くことにより力を注いでいたのだった。

2014-06-29 21:28:20
どくだみ @dokudamiY

「千種殿は、武士になりたいのですか。」だしぬけに、背後から声がした。驚いて振り向いた忠顕の目に、縁に腰かけこちらを眺めている少年が映った。少年は、異様な程に美しかった。地面から吹き上がる熱気が風景をゆらゆらと揺らし、その存在をどこか曖昧なものにしていた。

2014-06-29 21:28:49
どくだみ @dokudamiY

「…陸奥守殿か。」忠顕は言った。北畠陸奥守顕家。北畠大納言の息子で、もうまもなく奥州総大将として、父とともに遠く陸奥に発つと聞いていた。「どこから入られた。無礼でございましょう。」およそ十四、五の子供ではあるが、家格は忠顕より上である。無下につまみ出すというわけにもいかなかった。

2014-06-29 21:29:25
どくだみ @dokudamiY

「武士に、なりたいのでしょう?千種殿は。」忠顕の言葉を無視し、顕家はそう言い、縁をひょいと飛び降りた。「だからこうして、稽古なぞしている。慣れぬ剣など振るって。」「なにが言いたいのです。」「武士というものはね、生まれながら武士なのです。」顕家は、顔に笑みを浮かべて言った。

2014-06-29 21:29:47