- L_O_Nihilum
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@L_O_Nihilum 出生時の国籍からして国によってルールが違いますからね。ので或る意味では“国籍は規定概念に過ぎない”といえるかと。出生後の教育によって○○国民となるわけですしね
2014-07-03 21:07:12@Hiro_Eclipse 日本のばあいは一度教育で日本人になっても場の空気が読めなかったり周囲の意見に同調できないと簡単に村八分にされるんで、ぶっちゃけ再生産を自分たちの間で3度目に行わなきゃいけない気もしますけどねw
2014-07-03 21:08:36というわけで修正すれば 「人は日本に生まれるわけでも無いが、日本人になるわけでもない。日本人のふりをして、初めて日本人になるのだ。」 By 悉若無
2014-07-03 21:09:08@L_O_Nihilum というかその“場の空気”があるからこそ、「日本人に“国際化”は無理」といえる理由ではあるかと。空気とロジックを併用出来ればこれほど強いものはないのに、空気概念の保持の為にロジックを否定しますからな
2014-07-03 21:10:15@Hiro_Eclipse 寧ろ空気の正当化のために「ロジック」が使われてるという感じがします。批評を読んでる感じで言うと。
2014-07-03 21:11:43@Hiro_Eclipse というかロジックをやりくりするのが彼らの職業ですから、文字通り「空気とロジックを併用している」の実践例なんですよ。それが最強になってしまった場合のなれの果ては目前に既にいると言うわけです
2014-07-03 21:14:12批評における「大きな物語の凋落」に対する認識といい 政治における動向といい、 けっきょく日本のメイン筋の批評や言論、政治論の大半は、 ばっさりとした目線で見るなら、そのどれもが 『場の空気』の論理的正当化のためにあったとしか思えない。
2014-07-03 21:15:16あとこのフェーズは多分相当前から入っている。 というかそのフェーズから彼らの言論はスタートしている。 東浩紀が一度としてオタクを文化の前衛として斜陽したことがあったっけ? 会ったと思ってる人は騙されているよ。
2014-07-03 21:18:37議論と空気が混ざりあう悲劇
「問題にコミットする」。コミットすることで、ある意味では「議論」にどうしても「弱く」なります。当たり前のことなんだけど、大人になっても、こういうこと分からず、コミットせずに天下無謬を気取るガッキーが多すぎるので、心配だから一応言っとく。
2014-07-04 06:58:31「問題にコミットする」。長い年月、いろんな人が一生をかけて、いろんなアプローチをしてきたのに、まだ完全に解決を見ていない問題です。そこで特定の立場をとること。それは正味「間違えること」です。困難を引き受けること。矛盾なんかいくらでも出てくる。
2014-07-04 07:00:12矛盾は矛盾だし、おかしいことはおかしい。それは指摘すればいい。でも「矛盾してる(だから相手がコミットしている問題自体が問題ではない)」って態度を取る人が多すぎる。せっかく頭いいのに、相手に矛盾を押し付けて自分だけ矛盾しない。いい年なんだから、そこに「矛盾」を感じなくちゃ。
2014-07-04 07:02:17「空気」と「論理」が両方使えるようになりますとですね、 そのコミットのさい「それに矛盾がない・あるいはあってもかまわない」と周囲に思わせる人が出てきてしまうんですよ>RT 最恐ですよね。最強ですよね。 是正されない間違いを、「わざと」できるようになるんですよ。
2014-07-04 10:35:15議論のシステム(それこそさっき言った脱構築自体がそう)を悪用してそういう言論が成り立っている。さっきも言ったように脱構築の悪用パターンがある。 ここをしっかり突っつかなきゃいけないんだけど、それを明文化した資料なんてない。 だから、ノー資料からでも言わなきゃいけないんだよね。
2014-07-04 10:36:33@L_O_Nihilum すごく大切なことをおっしゃっているような気がするのですが、いまいち理解できません。分かりやすく言うとどういうことなのでしょうか?
2014-07-04 10:50:21@jyansinkai あ、これか。QT:私 「空気」と「論理」が両方使えるようになりますとですね、そのコミットのさい「それに矛盾がない・あるいはあってもかまわない」と周囲に思わせる人が出てきてしまうんですよ>RT 是正されない間違いを、「わざと」できるようになるんですよ。
2014-07-04 13:30:11@jyansinkai 発端はこのまとめにある会話からですね。togetter.com/li/688196 場の空気があるせいで、論理的思考ができないという傾向が日本人に強くある。一方で、その日本人が論理を扱うと、むしろ「空気の正当化」のために論理を使えるようになる。 (続く)
2014-07-04 13:32:53@jyansinkai 一方で、議論をする、ということは、議論する側の立場を明らかにして、問題にコミットすることだ、という「森哲平」さんという方のツイートがあり、それを私がRTしてますね。曰く、それは自分に弱点があることを明らかにすることだ、と。
2014-07-04 13:34:40@jyansinkai とくれば、「私にはこんな間違い・弱点がある、文句あるか」という暗黙の前提をした状態で、空気を武器に「弱点のない」論理を作ってしまうことで強引な論理を押し通す人がいてもおかしくないだろう(そして、批評などの言論を見れば、明らか、実際いる)てことです。
2014-07-04 13:35:57@jyansinkai その強い立場の人が言っていることであれば、(実際間違いがあっても)空気を読んでみてみぬふりをするか、外部の議論を引っ張って穴埋めするだろうし、しなくても、「論理に弱点がないのはおかしい」という矛盾を自己解決しているんだ、とできるからですね。
2014-07-04 13:37:05@L_O_Nihilum 空気を正当化するために論理を用いるとは、例えば、定時18:00にも関わらず皆が帰らないから自分も帰れない(空気)、その理由は職場の輪を乱さない為(理論)と、こういったようなことですか?
2014-07-04 13:39:42これをまた適用するのなら 「定時にもかかわらず帰れない」(空気的大前提)があり、一方で 「定時はもう帰る時間」(論理的前提)が対立している。 ここから、(次ツイート)
2014-07-04 13:44:49