政党政治の現状をどう理解するか
@ttya70 そんなわけで「政党に期待しない=甘えない」デモクラシー論,は喫緊の課題では.主なところ・日常を政党に担ってもらって,おいしいところを直接行動とかで補う,ではないのを(多くの「二回路」論は政党に甘えていると思います),誰かかいてくれませんかね(田村さんを見つめる)?
2014-07-06 18:49:28@RyosukeAmiya おっしゃる通り「引き算」していくと、「そしてデモクラシーに何が残されているのか?(何もないのでは?)」というところまで行きます。だから玲の「一般意志2.0」はある意味筋が通っています。それ以外のデモクラシー論は、大抵政党その他のアクターを想定している。
2014-07-06 21:07:45@RyosukeAmiya ご指摘の通り、ハーバーマスの「二回路」であれフィシュキンの「練られた世論」であれ、政党や議会の存在は前提で、そこによりよき声を届ける、という話になっていると思います。ハーバーマスは、意識的に政党と議会を肯定する方針に変化したと理解していますが。
2014-07-06 21:10:07@RyosukeAmiya 逆に、政治理論の領域でも、「ラディカルな」方向ではなく、政党なり代表の再評価やその改革を考える議論も出てきますね。早川さんや岡崎さんの議論はその種のものと理解しています。
2014-07-06 21:16:39@RyosukeAmiya (前後しますが)ハーバーマスの『事実生徒妥当性』での議論は、自由民主主義の制度を前提としたうえでその改良のための討議、という立場をはっきり打ち出していると理解しています。だからある意味で「寄生」は承知してのことだと思います。
2014-07-06 21:21:55@RyosukeAmiya 公共圏での熟議を通じた「私たち」というまとまりの形成(に基づく政党政治)というシナリオもあり得るわけですが、それは自由民主主義を前提としているとも、それに「寄生」しているとも言えます。多くの熟議民主主義論の場合はそういう議論と思います。
2014-07-06 21:28:08@RyosukeAmiya で、私はそれに反対はしていないのですが、それ以外の考え方もできないかなと思い悩んでいるところです。しかし、本当に全部「引き算」してしまうと極めて厳しいのは確かでそこで止まってしまいます。それ以外の道は、非西欧的な何かを探索する道ですが。
2014-07-06 21:29:33@ttya70 丁寧にありがとうございます.出発点に戻す形になりますが,「自由民主主義の制度を前提する」ことと「まとまりの形成に基づく政党政治」は次元が違うと思うのです.先ほどの依頼?は「自由民主主義の制度を前提」にしても「まとまりに基づく政党政治」がムリならどうするか,でした.
2014-07-06 21:46:11@ttya70 逆から言えば「政党政治」の行き詰まりと,「自由民主主義の制度」の行き詰まりとを,(ここはあえて大きく)政治理論は等値しがちではないですか?という問いです.そしてそれは「自由民主主義の制度があれば政党政治が機能する」ものだと期待していませんか?という問いと同じです.
2014-07-06 21:50:36@ttya70 学会ペイパーで言えば,3本が示す政党政治の困難は,共通点もありますがかなり文脈が異なっているわけで,どれも「自由民主主義」でありながら「政党政治の現状と困難」は異なります.それに対していきなり「自由民主主義の制度」そのものまでとっぱらわなくても良いのでは?
2014-07-06 21:55:45@ttya70 「自由民主主義の制度×social/historical precondition→現実の政党政治」だとすれば,まずは真ん中のところを抜いた形で,自由民主主義の制度それだけから何がいえるのか,どこに隘路があるのか,というのが知りたい,ということです.
2014-07-06 21:59:02@RyosukeAmiya なるほど、そこは政治理論にも二タイプあって、自由民主主義の制度の下での民主化についての議論と、自由民主主義という枠組みそのものを相対化する議論とがあるのだと思うのです。前者は、異なる「自由民主主義」類型に対応して議論できるはずですね(本来は)。
2014-07-06 22:05:34@ttya70 その答えは一種類ではないかもしれませんが,それは比較政治学者としては望むところ(笑).「一般意思2.0」の人は大風呂敷広げてナンボでしょうからともかく,colleagueである(?)政治理論の方々にはもう少し細かいところで考えてほしい,という「甘え」?があります.
2014-07-06 22:08:05@RyosukeAmiya ただ、その前者の場合でも、「政治理論」の場合は政党そのものではないところに焦点を当てる傾向はあると思います。政党に限らず具体的なアクターや制度ではなく、より抽象的な原理・理念(制度であっても)かもしれませんが。
2014-07-06 22:09:28@ttya70 自分で考えろといわれるかもしれませんが,両方やるのはしんどいので,助けてもらえないか,と.境界線の引き方の問題だけでなくて,引いた後の中の動かし方にも,もう少し多くの人が関心を持ってもらえないものか,というのは,田村さんにいっても仕方ないことではありますが.
2014-07-06 22:10:32@RyosukeAmiya 「細かさ」の話で言うと、(元より大雑把な私はともかく)政治理論系統の研究者は、「細かく」という場合はやはり(理論・思想系の)テキストを細かく見るところで仕事をしようとするのだと思います。そこは経験的政治学とずれるところと思います。
2014-07-06 22:22:39@RyosukeAmiya 「政治理論」研究者も、もっと「現実」そのものを素材とした理論研究を行うべき、という考えはありえて、実際そういう研究者もいます。ただ、あまりそういう人がいない(またはやっていても経験的な人から見ると大雑把に見えてしまう)のには理由があるとも思います。
2014-07-06 22:25:48@ttya70 ありがとうございます.不勉強を世界に公開してしまいましたが,イメージがわいてきました.「抽象的な原理・理念」でいいのですが,「現に眼前にある政治運用」からのドクサが混入してないでしょうか?完全になくすことは無理なので,意識しているのか?というだけのことですが.
2014-07-06 22:27:49編集中の某論文集でも、寄稿者のS先生の主張(批判)の一つは、政治理論は「政治理論」と言っているくせに現実的問題状況への応答性が低い、というものであります(今のやり取りとはちょっとずれてるかもしれませんが)。
2014-07-06 22:29:15@ttya70 また「テクストを細かく読む」のも当然ですが,そのときに「書かれていないドクサ」を引き算しないと,適用範囲の広い「抽象化」「理論」にはならないのでは.もちろんちゃんとした業績はそうしているのでしょうが,有名なものでも「眼前の政治=世界」みたいなものもある気がします.
2014-07-06 22:31:33@RyosukeAmiya その混入はあり得ると思います。(ややこじつけ的ですが)だからこそ、現実の直接的な評価的言明をできるだけ避け、テキストレベルでの話に限定する(あるいはさらに思想史に限定する)、という態度を取るのではないかと思います。
2014-07-06 22:36:29@RyosukeAmiya 悩ましいのは、経験的な事実把握に進むと、かえって経験性の欠如(または素人理解)を批判されそうな気もすることです。ただ、信頼できる二次文献レベルでの情報認識でよいとすれば(多分それでよいのですが)、そこは問題になりません。となると(続
2014-07-06 22:40:02「続」がうまく書けなくなってしまった。ともあれ例えば政党や利益集団のあり得る役割や積極的意義について政治理論のやり方で議論することができないわけではなく、そういう研究もある。
2014-07-06 23:04:55