11/10 11/12 #forum_3  #forum_2  まとめ

11/10 11/12 #forum_3  #forum_2  まとめ
0
前へ 1 2 ・・ 12 次へ
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 一言でいえば、劇場のライブ性にかんする、王道中の王道的発想、で、問題は、実際にそれがどうすれば実現できるのか、である、ということ。

2010-11-10 23:44:16
narumi kouhei @nrmkh

@nmoriyama ということは、日常とは異なる時間は劇場外でも実現できるのであれば、劇場においてのその特有性を問えればよいのですかね? #forum_3

2010-11-10 23:45:34
narumi kouhei @nrmkh

@nmoriyama あと神話や物語に関しては、宝塚や劇団四季、歌舞伎など、その種を語り継いでいる劇場は存在すると思いますが、その種の物語や神話とは種別が異なるのですか? #forum_3

2010-11-10 23:46:45
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 そこからいくつかの問題も導くことが可能ですが、ひとつの分岐としては、そもそも現在の劇場は、そういう体験に向かって本当に開かれているのかどうか、という問いは立てられるように思います。

2010-11-10 23:48:22
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 大谷さんが、現在のほとんどのライブハウスはPAの仕方が、どんな出し物でも同じだ、と。だから、自分はチーム編成のひとりに、PAのプロを抱えているし、抱えざるをえない、のだ、と言っていました。

2010-11-10 23:50:02
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 それから宝塚などのことでいうと、ここでの問題にそくしてみたとき、宝塚で享受されている「物語」が、「物語」の名に値するのか、という、ヤバい問い方が可能です。

2010-11-10 23:53:43
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 というのも、ここで論じるべき「物語」や「神話」とは、個人がある種の共同性を全身で(?)感受できるような力をもった「物語」であるかもしれないからです。それはとても危険であり、同時になかなか逃れることの難しいものでもあります。

2010-11-10 23:55:34
narumi kouhei @nrmkh

@nmoriyama 笑 少なくとも享受者にとっては物語なのではないでしょうか? #forum_3

2010-11-10 23:55:56
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 その意味での「物語性」に関して、つい最近もっとも巨大な劇場性を発揮したのは、例の尖閣諸島をめぐるYouTubeであるような気がします。、

2010-11-10 23:56:38
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 人々は、どうして、あんなに「尖閣諸島の真実」を食い入るように見てしまうのか。

2010-11-10 23:57:19
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 僕は、宝塚のファンは、たぶん物語で見ているのではないように思います。ある意味で、宝塚は「尖閣」劇場より、ずっと複雑で洗練されているのではないか。たとえば、スターシステムのあり方、劇場のロケーション(とくに兵庫県)、良家の子女でも安心して行けるというステータス感

2010-11-11 00:01:09
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 宝塚の場合には、そうしたさまざまな要素が複合的に作用して、結果的に、90年以上の歴史が支えられてきているのではないでしょうか。

2010-11-11 00:02:19
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 私の危惧は、まもなくナショナリズムと劇場が、結びつくような状況が生まれるのはないかということです。それを売りにするユニットが、もう、いつ現われてもおかしくないだろう、と。・・・鳥肌実はパロディでしたが、パロディでない演じ手が出てくるような気がします。

2010-11-11 00:07:28
narumi kouhei @nrmkh

@nmoriyama そうすると、劇場という場所の問題ではなくて、コンテンツの側の問題になるわけですね。つまり、コンテンツ=表現者が、劇場性(非日常性)や物語をどのようにとらえるか。享受者が感じる物語や劇場性ではなく。 #forum_3

2010-11-11 00:08:32
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 別の言い方をすると、「ストーリー」は消費可能ですが、「物語」や「神話」は消費して終わり、にできないものでもある。つまり、個々人の「存在」や「アイデンティティ」の領域に食い込んできてしまう・・・・

2010-11-11 00:11:42
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 その意味で、徹底的に「娯楽」でありつづける、という選択は、実はけっこうしんどいものであり、貴重な姿勢だとさえ思っています。

2010-11-11 00:13:02
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 舞台芸術は、「観客」がからんできます。つまり、いまこの場所に観客を呼びたい、という思いがからんできますから、ついついナショナリズムに傾いていくだろうし・・・

2010-11-11 00:14:47
narumi kouhei @nrmkh

@nmoriyama 私見では、劇場は表現の営みのためにひとが集まる場所であってほしいと感じています。 #forum_3

2010-11-11 00:16:29
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 ギリシャ悲劇だって、たとえばアイスキュロスの「ペルシャ人」などを見ても分かる通り、アテネのナショナリズムと密接に関係したところで発生していますし。

2010-11-11 00:16:49
narumi kouhei @nrmkh

@nmoriyama 日本においては確かに、”客をよびたい/よばなくてはいけない”という義務感から、よぶためには、うけるものという流れで、ナショナリズムに偏向する可能性はあるのかもしれませんね。 #forum_3

2010-11-11 00:18:36
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 たぶん、劇場で演じられる個別の作品における「ストーリー」のレベルと、「共同体」の成員が意識的・無意識的に共有している「物語」や「神話」のレベルがある。そして、それは、作り手と観客をともども巻き込んでいるものである以上、簡単に選んだり、選ばなかったりできない・・・

2010-11-11 00:20:19
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 表現って、コンテンツと違うと思うんです。「コンテンツ」って発想は、要するに、ハコのようなものがあって、そのハコに何を入れればいいかは選択可能、っていう純粋に経済学的発想ですが、表現は、存在にかかわっているので、実は自由に選んだりできないのではないか。

2010-11-11 00:23:25
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 ・・・だからこそ、表現は人の心を揺さぶってしまうものであり、それ故恐いものでもある。・・・もちろんそれが恐いと思う人は、コンテンツに徹すればよい。

2010-11-11 00:26:15
narumi kouhei @nrmkh

@nmoriyama 私は場所(空間)と一緒に作品を製作することを楽しんでいますが、その場合でも私にとっては、空間に対して私たちは密接に結びつくコンテンツだと考えています。森山さんの言うコンテンツとは意味が異なるかもしれません。私は半ばパラサイトに近いですね。 #forum_3

2010-11-11 00:26:58
naoto moriyama @nmoriyama

#forum_3 その意味で、宝塚は、ストーリーのレベルでも、スターのレベルでも、見事なコンテンツ産業を形成してきたと思います。・・・もちろん、宝塚の創始者である小林一三は、「国民演劇」という観点から宝塚をはじめたのですが。

2010-11-11 00:28:19
前へ 1 2 ・・ 12 次へ