@nmoriyama そう考えると…ちょっと面白いことがあるかもしれません。その空間に365日24時間いるわけではないわけです。公演が終わればその空間からは離れる。もしくはその空間はある意味日常に戻る。となると劇場が劇場性を持つのは観客がいる時間だけになるのか? #forum_3
2010-11-11 00:29:26#forum_3 鳴海さんのパラサイトという考え方ですが、鳴海さんは、どこに(あるいは何に)パラサイトしているのですか?
2010-11-11 00:29:52逆にその点にいちばん可能性を感じています僕は。危惧も凄くよく分かりますが。 RT @nmoriyama: #forum_3 …「物語」や「神話」は消費して終わり、にできないものでもある。つまり、個々人の「存在」や「アイデンティティ」の領域に食い込んできてしまう…
2010-11-11 00:29:56欧州の劇場は、そうではないですよね?公演をしていなくても、何がどうなっているのか、劇場性があったりしませんか?日本の劇場性(建築としての劇場が持つものだけでなく)とは何が異なるのでしょうか?日本はある意味独自の劇場文化を持っていますが…。 #forum_3
2010-11-11 00:31:51ナショナリズムとは違うかもですが今僕が恐れているのは「同質性」を求める気勢です。 RT @nmoriyama: #forum_3 舞台芸術は、「観客」がからんできます。つまり、…ついついナショナリズムに傾いていくだろうし…
2010-11-11 00:32:27#forum_3 たとえばね、「空間」とコラボレーションする、ということなら、映像作品でも十分できるかもしれない。舞台には観客が要る。ということは、「観客が来る文脈」というものにパラサイトせざるをえない。
2010-11-11 00:32:28#forum_3 その意味では、鳴海さんは、「小劇場演劇(の観客)」にパラサイトしている、ということにはなりませんか。
2010-11-11 00:33:12@nmoriyama そうですね、公演毎にさまざまに会場を変えて公演している私たちにとっては、限定的(公演に際して)に場(空間)にパラサイトしていると思います。 #forum_3
2010-11-11 00:33:49#forum_3 矢野さん、有難うございます。・・・でも、そういう「物語」や「神話」に可能性を賭ける、って、率直にいって恐くありませんか。
2010-11-11 00:36:57難しいですねぇ 笑 小劇場演劇ではないものが何かにもよるとは思いますが、そうだとは思いませんねぇ…。あと、空間が空間であるためには、私にとっては映像ではダメなんです。奥行きも角度もなくなってしまうし、そこに不確定要素が含めにくいのです。 #forum_3
2010-11-11 00:39:22でも、「感動する」って、「傷つく」ことだったりしますよね? 変化することも、本質的には怖いだと思うんです。 RT @nmoriyama: #forum_3 矢野さん、有難うございます。・・・でも、そういう「物語」や「神話」に可能性を賭ける、って、率直にいって恐くありませんか。
2010-11-11 00:43:14#forum_3 私が、今回のフォーラムで「人が集まる」というところにフォーカスしたかった理由はいくつかあったのですが、そのひとつに、いま、「集まる」ということに対する社会的な飢えと不安をとても強く感じるからです。
2010-11-11 00:46:19補足すると、他者の存在を確かめるためにあるいは違いを認めるために劇場に集うのではなく、共同体の同質性を補強するために同じ「場」に集まる… RT @YasuhitoYANO: ナショナリズムとは違うかもですが今僕が恐れているのは「同質性」を求める気勢です。 #forum_3
2010-11-11 00:46:37それは、つまり「僕らは分かりあえるよね!」という安易なコミュニケーションの在り方というか、そう信じること自体は構わないのだけれども、違いを無化する、あるいは無視する力がその「場」に働くと、絶対にそこから零れ落ちる人が出てくる。結果共同体からはじかれる。 #forum_3
2010-11-11 00:48:52#forum_3 矢野さんの直近のつぶやきの言葉でいえば、まさに「同質性」ですが、たんに同質であることを確認するだけでは、だんだんすまなくなりつつあるような方向に動いているような気がしています。つまり、同質だと思って安心していたんだけど、実は同質じゃないんじゃないかって不安。
2010-11-11 00:49:53#forum_3 私は、戦時中の翼賛演劇の問題について、いま、もう一度、かなり真面目に考えなければいけないような気がしています。
2010-11-11 00:51:01それ、分かります。でもじっさいは、直接性への希求は薄くないですか? RT @nmoriyama: #forum_3 …「人が集まる」というところにフォーカスしたかった理由はいくつかあったのですが、そのひとつに、いま、「集まる」ということに対する社会的な飢えと不安を…
2010-11-11 00:52:24#forum_3 「全体主義」の恐いところは、それが快楽と安心の両方に結びついていることですよね。その場合、「まさかこの人が」という人が、いつのまにか、すっと、そちらのほうに行ってしまったりするものです。
2010-11-11 00:52:34@nmoriyama リズムは人から思考する力を奪います。いま、ラップの演劇がある種の流行を始めているのも、もしかしたら「リズム」への飢えがあるのかもしれません。あるリズムにのりたい欲望。 #forum_3
2010-11-11 00:52:42#forum_3 快楽がメインで全体主義に行く人、安心がメインで全体主義に行く人、・・・その割合はいろいろでしょうけどね。
2010-11-11 00:53:34同質性なのか同時代性なのか?というのも気になります。 RT @nmoriyama: #forum_3 …たんに同質であることを確認するだけでは、だんだんすまなくなりつつあるような方向に動いているような気が…同質だと思って安心していたんだけど、実は同質じゃないんじゃないかって不安。
2010-11-11 00:54:24#forum_3 矢野さんの直近のツイートにつなげると、「直接性」がなくても「集まれる」のが今のメディア状況だから、いいんです。「ニコニコ動画」は、完全に「集まり」なんでしょうから。・・・高田さんのラップの問題も面白いですね。
2010-11-11 00:55:44