茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1282回「サッカーのピッチに立つように」

脳科学者・茂木健一郎さんの7月10日の連続ツイート。 本日は、ワールドカップを見ながら思っていたこと。
コラム 茂木健一郎 連続ツイート
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茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイート1282回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、ワールドカップを見ながら思っていたこと(そして、今日から、連続ツイートのフォーマットが、少しだけ変わります)
茂木健一郎 @kenichiromogi
サッカーのワールドカップのアルゼンチン対オランダを見ていた。勝つにせよ、負けるにせよ、選手たちは必死にピッチを走っている。その、一生懸命な映像を、心と体にシャワーのように浴びることがなによりの栄養になると思って、画面のすぐそばに立って、食い入るように見つめていた。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ぼくはサッカーはヘタクソだったが、授業や休み時間に一生懸命草サッカーをやっていた。小学校のグラウンドは芝生などはもちろんなくて、小石混じりの土の広がり。風が吹くと、砂埃が舞ったりして、その中を、仲間たちといっしょに、サッカーボールを懸命に追った。
茂木健一郎 @kenichiromogi
少年の頃の草サッカーの経験から言えば、試合中、どんなに一生懸命やったとしても、うまくボールがコントロールできないというか、展開が左右できないというか、見て、走って、感じて、決断して、でもその通りにいかなくて、という時間の流れは、本当にタイトだし、隙間がない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
サッカーの試合を、テレビやスタジアムで見ていると、なんであそこでこうできなかったんだとか、ああすればヨカッタのに、みたいに思ってしまうが、実際にピッチで走っている選手の立場で言えば、本当に懸命だし、時間に隙間がないし、すべては流れていってしまう、ということはよくわかる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
大学で、学生に、どんな風に過ごしたら良いのかと聞かれると、いつも、「サッカーの選手が、45分間、ピッチを懸命に走っているような毎日でいてほしい」と答えるけれども、その意味は以上のようなことだ。つまり、その時々に見て、走って、判断して、それでもうまくいかず、それでも続けている。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ピッチに立っている間は、隙間がない、というのがポイントで、その時うまくいくかどうかというのは、練習して、何度もやって、徐々に精度も高めていくしかない。この連続ツイートもそうで、毎日飽きもせずに書いているが、どういう文字列がどんな強度で出てくるかは、実は意識はコントロールできない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
サッカーの試合が私たちをインスパイアするのは、それが、人生の素晴らしいメタファーだからだ。人生って、時間の隙間がないくらいに没入して、いろいろやって、目配りして、それでもなかなかうまく行かないものだと思う。うまくいかなかったからと言って、大したことない。選手たちが一番応えている。
茂木健一郎 @kenichiromogi
おそらく、勝敗そのものよりも、そのようなピッチに立てた、という事実の方が幸せなのだ(ピッチは、先日ツイートしたように、「この範囲でやる」と杭を立てたことに語源がある)。そして、ワールドカップのピッチには立てない私たちも、毎日、さまざまなピッチとの出会いがある。
茂木健一郎 @kenichiromogi
吉野家にいって並を頼んだり、コンビニに行ってレジで会計する時など、ああ、これも一つのピッチだな、と思う。それぞれの現場で、懸命にやっている人は、ピッチに立っている。スポットライトの当たり方とか違うけれども、サッカーワールドカップのピッチと、本質は変わらないと思う。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート1282回として、「サッカーのピッチに立つように」のテーマで、9つのツイートをお届けしました。

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