「川だけ地図」「道だけ地図」と、「境界意識」

「川だけ地図」をめぐる一連のツイート(http://togetter.com/li/674158?page=1)から、大山顕氏の「川を渡らず行き来できるエリア」の図示、それを受けてのyookud氏と墨染桜氏の「境界」をめぐるツイートを、覚書として抜き出しました。
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「川を渡らず行き来できるエリア」、あるいは「島としての房総」

大山顕 @sohsai

「川だけ地図」で「川を渡らず行き来できるエリア」がどこまでかを見てみた。Photoshopの自動選択ツール使っただけなのでちょうてきとうですが。塗り分け色に意味はないです(四色定理!)白い部分は細かく分断されてる箇所 twitpic.com/e53tjv (続く)

2014-05-31 15:07:38
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大山顕 @sohsai

(続き)当然のことながら多摩川、荒川、利根川などのでかい川で仕切られてる。千葉の川がいかに孤立しているかがよくわかる。越谷とか春日部のあたりは川を渡らずにはどこにも行けない感じ。もっとちゃんと塗り分けてみよう。

2014-05-31 15:10:51
よお @yookud

三浦半島から東京湾を渡ればあとは水戸まで利根川を1回渡るだけですむんだから、古代東海道が房総半島を通ったのもなるほどと思えます RT @sohsai: 「川だけ地図」で「川を渡らず行き来できるエリア」がどこまでかを見てみた。 twitpic.com/e53tjv

2014-06-01 15:31:40
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墨染桜 @sumizome_sakura

古代だと古利根川水系と渡良瀬川水系がつながっていないので、東京湾を渡れば、栃木市や宇都宮市のあたりまで行けたのではw。 RT @yookud: 三浦半島から東京湾を渡ればあとは水戸まで利根川を1回渡るだけですむんだから、古代東海道が房総半島を通ったのもなるほどと思えます

2014-06-01 19:07:27
墨染桜 @sumizome_sakura

あ、まちがえた、渡良瀬川じゃなくて、鬼怒川水系ですね。

2014-06-01 19:12:23

【参考】切り開かれる香取の海 /千葉県立中央博物館 大利根分館
http://www2.chiba-muse.or.jp/?page_id=279

墨染桜 @sumizome_sakura

ちなみに、利根川の渡河が厄介だったのは、最上流部が日本列島有数の豪雪地帯なので、雪解け季には水量が膨れ上がる、という「暴れ川」的要素も大きかったそうです。それに比べると、東京湾を渡り、さらに鬼怒川水系の「香取内海」の横をかすめる、と古代東海道は安全なルートだったのでしょう。

2014-06-01 19:16:47
よお @yookud

@sumizome_sakura そうでした、いまの千葉県が"島"なのは人為的改変の結果なのでした

2014-06-01 19:26:48

境界としての流水

墨染桜 @sumizome_sakura

そう考えると、「水が行く手を阻む」といっても、川(それも流量が大きく変わる川)と湖(それも大きな湖)とでは、全然ちがっていたんでしょうねえ。 「吸血鬼は流れる水を渡れない」伝承も、なるほど~と頷けます....流れてなければむしろホイホイと渡れるわけですからww。

2014-06-01 19:22:22
よお @yookud

そこを吸血鬼伝承につなげるのか!

2014-06-01 19:29:34
墨染桜 @sumizome_sakura

ですです。RT @yookud: そこを吸血鬼伝承につなげるのか!

2014-06-01 20:01:57

境界のある都市、境界のない都市

墨染桜 @sumizome_sakura

ついでに、「道だけ地図」でいえば。 同じ格子状の道路系といっても、西ヨーロッパと北アメリカでは発想がちがうらしく。 西ヨーロッパでは都市域をまず決めて、その内部に十字路を走らせる(「デクマヌス」と「カルド」)。

2014-06-01 20:06:59
墨染桜 @sumizome_sakura

そこにはおそらく都市の内/外を分ける強烈な境界意識があって、格子状の道路の有無はその指標という意味もあったように思う。「デクマヌス」と「カルド」という用語からわかるように、これは古代ローマの都市制度からそうである。

2014-06-01 20:07:30
墨染桜 @sumizome_sakura

それに対して、北アメリカでは都市域を決める前に、とりあえず格子状の道路を造る。地形などおかまいましに。そこでは、都市の内/外の境界意識は本質的に薄い。地上のあらゆる空間は都市になりうる。あえていえば、むしろあらゆる土地は潜在的に都市なのだろう。

2014-06-01 20:07:54
墨染桜 @sumizome_sakura

それはもちろん具体的な都市内の道路や街区の感覚にも反映されていて。例えば、R・コールハースの『錯乱のニューヨーク』の少なくとも半分ぐらいは、この「同じ格子状でも北アメリカのは全然ちがう!」という西ヨーロッパ人の驚きが書かせているんじゃないだろうか。

2014-06-01 20:08:35
墨染桜 @sumizome_sakura

コールハースの言葉を借りれば、西ヨーロッパの都市が閉じた境界を前提にした分節化や差異化の感覚に(意味的に)支えられているとすれば、北アメリカの都市は無限に広がりうる(横がだめなら縦で!的なww)、それゆえの等質性の感覚に支えられているわけだ。

2014-06-01 20:10:08
墨染桜 @sumizome_sakura

コールハースはそこから都市と建築のあり方を考えたが、北アメリカの都市の起源が西ヨーロッパからの渡来者の植民地、すなわち先住者の土地を「不法占拠」し、先住者を絶滅させていった人々の空間だということを考えると、そこにはもっと根深い、『原罪』にも似た観念すら漂う。

2014-06-01 20:10:56
墨染桜 @sumizome_sakura

北アメリカの都市には境界がない。無限に広がりうる。あらゆる土地が(北アメリカ的な意味で)都市になりうる。それはたぶん、あらゆる土地から先住者の記憶と痕跡を消し去れるという信念、もしくは願望、もしくは幻想でもあるのだろう。

2014-06-01 20:11:51
墨染桜 @sumizome_sakura

都市になりえない空間なんか、あってはダメなのだ。「建国の祖」たちが奪い、絶滅させた先住者の記憶と痕跡が消せなくなるから。どんな罪を犯したかを、どんな罪の上にその国と都市が築かれたのかを、そんな空間は、逃れようもなくつきつけてくるから。

2014-06-01 20:12:44
墨染桜 @sumizome_sakura

北アメリカの、ほとんど無人の土地に強迫観念的に走る直線状の道路の姿は、そんな社会の歴史を思い出せる。そういう意味では、その姿はどこか十字架にも似ている。大地に刻まれた、消せない十字架。

2014-06-01 20:13:49
墨染桜 @sumizome_sakura

.....あ、もしやこれも吸血鬼ネタになっちゃましたか!?(^o^)

2014-06-01 20:15:18