導師もらつかたさんから、ありてあったになった(^-^)/
- sunamajiri
- 1721
- 0
- 0
- 2
世間が求めるものが、往々にして科学倫理や科学哲学に反するという現実が存在する訳で。人間、それほど強くはない。真面目な人ほど狭間で悩む訳ですよ @sunamajiri @dugongsan @Nuebsburg
2014-07-22 12:33:22あれは「経験」ではなく神秘体験のことでしょう。理解するものと言ってましたが、経験を理解はしません、ただ経験するだけです。当然、仏教にも神秘思想はいくらでも混入しますが、仏教内部から有効な解決があるかは甚だ疑問です。そんな言葉のレベルの混乱があるほどですから。@Nuebsburg
2014-07-22 14:45:56経験という概念で問えるのは、そうした神秘体験を理解する等という可否ではない。アプリオリ(先験的)とアポステリオリ(経験的)というのは、神秘体験という疑似体験のことではない。たとえば死後の世界を生前に臨死体験することではない。擬似的なものは無関係です。@Nuebsburg
2014-07-22 14:50:57死が疑似体験でないから死であるように、経験できないものがあるから、経験できることがあるだけなので、疑似体験を境地というのは、概念がおかしい。説明が方便すぎますね。だから苦痛から悟りが得られると思っている。こういう堂々巡りを解決したのが単に近代です。@Nuebsburg
2014-07-22 14:59:00@sunamajiri いずれにせよ、彼の「全世界の災いが」のくだりは、ついてけないです。そういう境地がちょっとかっこいいようにみえるからこそついつい信じてしまう人がいそうですが、なんだか脇が甘い感じがします。
2014-07-22 15:05:58あれはハルマゲドン、つまりカルトですよ。西欧を中世に逆行させ、それを仏教用語で再話しているだけで、仏教的な整合性も甚だ疑問です。仏教自体整合する力はなさそうですが。ただ一部陰謀論には面白い地平創造があるけどね。@Nuebsburg 彼の「全世界の災いが」のくだりはついてけない
2014-07-22 15:12:20炎天下から帰ってきて頭が回らないためか、どうでもいいカルトのことを力説してしまって、ちょっと自己嫌悪ですww たとえば、経験というのは、禅のこういう問題の方が、考察すべき事柄を含んでるんですよね。twitter.com/ecila808/statu… @Nuebsburg
2014-07-22 15:15:31哲学は一切の経験を包括する知を求めるが経験に依存しない。経験に目配せをしても経験から語らない。西田哲学も禅的経験から、特殊的境地からだとか言われるけど、本当にそう? もちろんある人の哲学はその人固有の経験を哲学以前として持つけど、哲学自身は哲学で完結する。万人の生の底を問題とする
2014-07-08 03:43:57@sunamajiri 「どうでもいいカルト」→ワロタ。物自体の世界、(経験されることない神といってもいい)は、こういう矮小な人間の小さな覚悟を木っ端微塵に打ち砕く力を持っているかもしれません。なんだか暗闇を歩いているようです。Ich ruf zu dir.といいながら。
2014-07-22 15:32:35マッドですね。ふつうマッドはSFですが、日本はSFもスケールが小さい。近現代哲学が論じ尽くしたことですが、和魂洋才で軽視したんでしょう。@Hachi_Astroboy 近代科学で切り分けて来た筈の迷信を(信仰対象としての)科学に求める @dugongsan @Nuebsburg
2014-07-22 15:32:57真面目のなり方が問題ですね。STAPなど、悪魔の証明(無いことの証明)twitter.com/sunamajiri/sta… に陥ってるそうですね。まさにデカルトが懐疑した無限遡行。とても近代科学とは思えない。@Hachi_Astroboy @dugongsan @Nuebsburg
2014-07-22 15:38:36無いことの証明にねじれるほどの問題なのか? (^-^)/ STAP細胞は「悪魔の証明」 :日本経済新聞 s.nikkei.com/UjmOMe ブラックスワンが存在しないことを証明する。こんな命題を「悪魔の証明」と、科学界では表現します。
2014-07-21 18:32:35そうです。ハイデガーが範疇を実存範疇に投企しますが、それを読んでいない日本人には、そうした範疇規定語彙である覚悟などの和訳語が、仏教用語に見えて、おそらく逆に捉えますね。@Nuebsburg 物自体の世界、(経験されることない神といってもいい)は、こういう矮小な人間の小さな覚悟を
2014-07-22 15:42:18ところで、話がずれるのだが、日本のSFがスケールが小さく感じるのは、エイリアンが主人公にならないから?と思えてきた。主人公といったのは、エイリアンがでてきても、なんとか怪獣だったり、あまり宇宙人であることを意識させないキャラになっているもので。その辺りはどうなってるんだろう?
2014-07-22 15:57:45@sunamajiri 西田哲学ですか。一言で言うと趣味じゃないですね。神秘体験はなくてもいいし。どうもある種の薬物依存症のようで。 純粋経験についても極度の集中は手段であって目的でない希ガスです
2014-07-22 15:59:20フロイトみたいに西田もドラッグやってたの? よく音楽でドラッグは、ジャズがモダンになった時、あまりに演奏に集中してハイになったのを落とすのに薬だったのが、それができないロックの人は薬で音楽する、といってるんですが、後者のようですね(^-^)/ @Nuebsburg
2014-07-22 16:01:22でも、時代が時代だからなー、うちの祖父は慶応医学部の先生だったけど、ふつうに受験勉強の時ヒロポンやってたらしいからなー。www だいたいスピリチュアル体験はドラッグっぽいしねーww (^-^)/@Nuebsburg
2014-07-22 16:21:29大体、ドイツのロマン派音楽というか、クラシックの大作曲家の時代の作曲家は、みんなアヘンとか、あたりまえだったみたいだからなー。@Nuebsburg
2014-07-22 16:23:49科学が民間信仰の対象であるが故に最初から完璧でなけりゃならんという。実際には最新発表なんて間違いだらけですし、失敗だって一つの成果。六面体賽子で七が出せれば確率論だってひっくり返るのが科学なんですがねぇ… @sunamajiri @dugongsan @Nuebsburg
2014-07-22 17:05:00いえいえ。仏教カルトさんのいうように経験の外に神秘体験を悟るのではなく、悟りというのは現象学用語の地平のことだと思うんですが、経験の内実である知覚に対してアプリオリな純粋時間は、カントの統覚では不十分だ、というハイデガーの方が地平が広いというだけでしょう。@Nuebsburg
2014-07-22 21:41:55ハイデガーの地平からは、カントの統覚は、デカルトのコギトがラテン語だったように、ある種の濁りがある。時間だけが純粋で先行している、というのはコギトよりも先行しているということですが、それが無限遡行を懐疑することの徹底、つまり悟りの境地ですね。@Nuebsburg
2014-07-22 21:44:53彼の仏教用語に引き寄せるなら、端的に悟りの境地が地平創造ですね。先行するとは、因果の解脱みたいなものなんでしょう。デカルトのコギトだと、無限遡行は懐疑できるが、先行性は神要請ですので不徹底なのです。これでは被造物という因果性が、まだ認められてしまう。@Nuebsburg
2014-07-22 21:50:22ハイデガーは、カントが因果律批判としての純粋理性批判を、第二版で統覚=コギトに書きなおしてしまい、神要請=被造世界に戻した、という批判を一貫してしているだけですが、第一版では構想力です。twitter.com/sacreconomie/s… @Nuebsburg
2014-07-22 21:54:57カント理解に関して、カント研究者とそれ以外で最も異なる点のひとつは恐らく、演繹論の書き換えについての評価だろう。カント者は、叙述の順序が変わっただけで内容は変わらないとし、カント者でない者は、(ハイデガーのカント書を導きとして)構想力の位置付けが変わったとする。
2014-06-15 02:42:25