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1999年、ベルファスト/1992年、ロンドン――そこにあった「北アイルランド紛争」

1999年のベルファストでの経験についての @SteFoyLesLyonFr さんのtweetに続けて、1992年の(主に)ロンドンでの経験と、90年代の年表的なことを書いた部分を、@nofrills が自著より抜粋。 この間、1998年に北アイルランド紛争は*形式上は*終結しています(グッドフライデー合意により)。でも武装勢力の残党は活動中だったし、人々の考え方や言葉遣いはそんなにすぐ変わるものではなく……
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n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

http://youtu.be/KraZLPprYe4 2007年夏に制作されたベルファストのスナップショット的フィルム。音楽はAnd So I Watch You From Afarの"The Voiceless" http://url.ie/86b9

2010-11-17 09:38:30
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SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

@nofrills さんに刺激を受けて北アイルランドの記憶を呼び起こされつつある。Ulster, Queen's の両大学に籍を置いた99年の夏。ベルファスト市街には英国軍がさながら要塞戦準備状態で展開。空虚となった建物を1つ1つ探索していたものでした。わずか11年前。

2010-11-17 07:31:33
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

99年夏、Ulster 大学のキャンパス(ベルファスト郊外)内は常に警察官がパトロール。日本人交換留学生が地元の悪ガキに深夜殴られるという事件が発生。大学当局とセキュリティについて交渉した時、「なぜ大学内にいつも警察官が歩いている?」と尋ねたら「彼らにはその権利がある」

2010-11-17 07:45:03
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

とにらまれて、名前をしっかりひかえられた。「日本からの交換留学生たちの多くはほとんど英語ができないようだが、その点とセキュリティをどう考えている?」「すべての情報はインターネット上で公開している。事前にあらゆる準備ができているはず」とあらためてにらまれた。

2010-11-17 07:50:07
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

その後、「学生寮の allocation が国籍ごとにまとめられているのはなぜか?」と問うと、「その方が学業達成において効率的であるとの認識を持っている」と苦虫を踏みつぶした顔でさらににらまれた。

2010-11-17 07:53:38
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

そのことを後日、学生自治会に話すと 4、50歳になろうかという副会長の Sean (典型的アイリッシュ名)が「それを segregation と呼ぶ。正式な抗議をしたいなら力になる。statement をつくってくれ」と真剣に取り合ってくれた。

2010-11-17 08:02:37
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

結局そこまでは踏み込まなかったが、当時の北アイルランドの大学は台湾人や日本人の交換留学生を夏期に大量に受け入れ、ある意味「人間の盾」、よく言えば「緩衝剤」にしていたように感じる。台湾人は学費の問題をよく口にしていたが、日本人から発言らしい発言が聞こえてはこなかった記憶がある。

2010-11-17 08:18:25
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

Ulster 大夏期講座(とは言え英語の初級コース)で台湾からの交換留学生がプレゼンで北アイルランドのフェスティバルと題して Orange March を取りあげていた。「えっ?それってフェスティバルに入れるの?」と思わずつぶやいたら、ベテランの担当講師がとっさに話題を変えた。

2010-11-17 08:24:04
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

臨時の講師(プロテスタント/初老の女性)のとき、「ここはブリテンです」と言うので「アイルランドでは?」と応えると「British Isles」と言い換えた。他意はなかったが、その後彼女は2度と大学に現れなかった。

2010-11-17 08:28:23
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

ミゼラブルな天気の東京で、@SteFoyLesLyonFr さんのtweetをfaveしつつRTしていて、fave 'n' RT がオレンジと緑であることが沁みる。

2010-11-17 08:37:05
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

Bomb scare alert でベルファスト市街の中心地が cordon off されるのを3度も目撃した 99 年夏。夕方5時になると市役所前の大通り商店街は事実上無人の状態。日没まで5時間、異様に静的な光景が支配していた。

2010-11-17 08:39:14
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

@nofrills 今日はこの辺りで。なつかしいなんて思うのはいいことなのか悪いことなのかなどという愚問は封じておきます。

2010-11-17 08:41:11
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

@SteFoyLesLyonFr その場にいた方ならではのお話をありがとうございました。差し支えなければあとで多くの人が見られるようTogetterでまとめさせてください。

2010-11-17 08:46:40
SteFoyLesLyonFr @SteFoyLesLyonFr

@nofrills もちろんどうぞ。気が向いたらまたさえずるかもしれません。

2010-11-17 08:58:33
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

拙著 http://url.ie/86av p.211より。「1992年秋、ロンドンではほとんど毎日のように『爆弾騒ぎ bomb scare』があった。街角のイヴニング・スタンダードの売り場のポスターも、BOMB SCAREとかEVACUATED(全員退避)といったものが…(続

2010-11-17 08:51:56
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

拙著 http://url.ie/86av p.211より。続)…やたらと多かった。あまりに頻繁に地下鉄の駅が封鎖されたりバスの路線が変更になったりで……ボム・スケアは遅刻の言い訳として通用する程度の日常茶飯事だった。……ある時、ロンドン郊外のショッピングセンターのゴミ箱に…(続

2010-11-17 08:54:30
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

拙著 http://url.ie/86av p.211より。続)…入れられた爆弾が爆発し、我がガラス窓でけっこうな人数が負傷した。友人のお母さんがお住まいの地区だった。電話したら無事だった。ほっとした。……ボム・スケアとは……(続

2010-11-17 08:57:50
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

拙著 http://url.ie/86av p.211より。続)…地下鉄内に『不審な物 suspect package』があった場合、それが何なのかがわかるまで念のために地下鉄を止め、駅を封鎖する。かばんを何個も持った旅行客がうっかり1つを置き忘れていっただけでも……。

2010-11-17 08:59:42
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

拙著 http://url.ie/86av p.211より。続)参考までに、1990年から1997年までの主な爆弾事件のリスト(※以下抜粋):1991年: 首相官邸に迫撃砲。1992年2月28日: ロンドン・ブリッジ駅で爆弾、負傷者29名。1992年4月10日: シティ地区で(続

2010-11-17 09:05:39
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

続)1992年4月10日: シティ地区で爆弾。死者3名、負傷者91名。1992年10月12日: コヴェント・ガーデンのパブで爆弾。死者1名、負傷者4名。1993年4月24日: シティ地区で爆弾。死者2名。ドイツ軍の空襲でも破壊されなかった15世紀の教会が全壊。(続

2010-11-17 09:07:32
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

続)1994年3月8~13日: ヒースロー空港に迫撃砲。9月1日: IRAが停戦を宣言(96年2月に破られる)。1996年2月10日: ドックランズで爆弾。死者2名。2月15日: チャリング・クロス・ロードの電話ボックスに爆弾。2月18日: IRAメンバーが爆弾を持って(続

2010-11-17 09:11:21
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

続)…ロンドン市内の路線バスで移動中に爆弾が爆発。本人が死亡、8名が負傷、バスは大破。1996年6月15日: マンチェスターの繁華街に3300ポンドの爆弾が仕掛けられ爆発、206名負傷、7万平方マイルが大破。1997年7月19日: IRA、二度目の停戦宣言――これでIRAの(続

2010-11-17 09:13:26
n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 @nofrills

続)これでIRAの(=Provisional IRAの)ブリテン島での爆弾闘争は停止しました。翌98年4月、ベルファスト合意(グッドフライデー合意)成立。しかし和平路線に反対した武装闘争至上主義の人々が離脱、別のIRAを組織し、8月にオマー爆弾事件。彼らがReal IRAです。

2010-11-17 09:16:51

コメント

sleepsounds @sleepsounds 2010年11月17日
90年頃に家族でロンドン行って地下鉄封鎖にあってどこも行けなかったことがあった。テレビではIRAのbombよく見てたけど子供だったからか実感はなかったな。そこら中の店で警報鳴ってていたずらじゃないのか?とか思ってた。ウェディングドレス着たままの人とかいた。
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sleepsounds @sleepsounds 2010年11月17日
その時も結局爆発には遭遇しなかった。そもそもなかったのかはわからない。というか騒ぎが本当にIRAと関係あったのかもよくわからないな、そういえば。ニュースとかで見た記憶ない。
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