一歩外に出れば生きて帰れるかどうかわからない、緊張感を持って踏み出していた日々と比べると、 千鶴のこころを得てからは、帰ることが目的のようになってしまった。 あたたかさに帰るために、 己の切っ先は鈍っている。 斎藤はそんな自分に嫌気がさして、休暇という名目で独りになった。
2014-08-09 17:41:52一心不乱に木刀を振る。 その重みを叩きつけているのは自分の影だ。 滅多打ちにし、弱い斎藤一を倒したかった。 だが目の前の斎藤一は、瞳をぎらつかせて、決して屈しない。 それどころか、一瞬の隙を突いて、居合いを抜き放ったように感じた。 斎藤は後ろに跳び下がり、膝をつく。
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屯所では、 土方と沖田が並んで廊下に立ち、ぼんやり庭の木々を眺める格好をとっている。 「一くんに、何か言ったんですか」 沖田は視線を交えず土方に問う。 「いや、斎藤自身に答えを見つけてもらわねぇと困るからな」 土方はため息混じりに腕組みをとき、頭を抱えた。
2014-08-11 02:15:34「あの斎藤が」。 斎藤には悪いと思いながら、 誰もがそう思った。 いちばん興味がなさそうな顔をしていたくせに、と沖田は内心面白くて仕方ない。 そして斎藤が何に戸惑っているのかも、 沖田には手に取るようにわかっていた。
2014-08-11 02:15:44土方は…………知っているのだろうか、と、沖田はちらと視線をやる。 恐らく、斎藤のもやもやした気持ちを表現する言葉は違えど、理解はしているのだろう。 「なんで千鶴ちゃんが一くんを選んだのか、僕にはちょっとわかりません」 土方は沖田を見つめ、吹き出した。 「なんだ総司、
2014-08-11 02:15:52そりゃ斎藤への嫉妬か?」 沖田はくちびるを尖らせてふくれたふりをした。 「そういうんじゃありませんよ。 千鶴ちゃんが一くんのことを好きになるきっかけなんて、どこにあったんだろうって思っただけです」 千鶴と初めて出会った夜、 土方、沖田、斎藤は一緒だった。
2014-08-11 02:16:00屯所に連行した千鶴を、縄で縛って部屋に転がしたのは斎藤だ。 その後、小太刀の腕を見極めるために、斎藤は千鶴の喉元に刃を突き付けた。 事あるごとに冷たくあしらわれてきた千鶴が、斎藤に想いを寄せていたというのが、沖田には信じがたかった。
2014-08-11 02:16:06千鶴に気をかけ、優しくしていたのは原田で、 冷たい言葉ながらに、土方も無下には扱っていなかった。 沖田は気に入りの玩具を取られた子どものような気持ちがしていた。 それを土方は嫉妬だと呼ぶ。
2014-08-11 02:16:11身体に異変を感じる沖田は、 新選組に、土方に忠実な斎藤と、 どこか横並びにあると思っていた。 自分の命に対する無頓着さが、 一人で生きていく種類の人間に思えて、 そこに女は必要なかった。 巻き込んではいけないという想いが強く、自然と避けているような。
2014-08-11 02:16:19だからこそ斎藤は千鶴への想いを隠していたのだろうし、 今、葛藤しているのだと沖田は思う。 「遠慮なんてしなくていいのに、 一くんは真面目だなぁ」 沖田の呟きを横目に、 土方は少し別の想いを抱いていた。
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斎藤は、暑さにやられて伸びていた。 集中しすぎて脱水症状を起こし、 川で濡らして来た手拭いを額に載せて、木陰に体を入れて猛省しているところだ。
2014-08-15 19:05:49指の隙間から仰ぐ空の下、 斎藤が一人呟いたところで、 聞こえてくるのは蝉の大合唱と、時折風に揺れる葉のおしゃべりだけ。
2014-08-15 19:06:39例えそれが嘘だと感じたとしても、千鶴は沖田の言葉を信じる。 気にかかるのは、 いつ帰って来られるのか、そして体を壊していないかということだ。
2014-08-15 19:07:36山から降ってくる夏の音に、一層の暑さを感じ、額の汗を拭いながら腹を据える。 __私にできるのは、信じて、待つこと。
2014-08-15 19:07:57夜は宿に戻り、夕飯の後で大坂を見回っているらしい。 休暇という名目で隊を離れているのに、 やっていることは監察方のようで、土方はその真面目さに関心しつつ呆れてしまう。
2014-08-15 19:08:37「しかしこれはどういう意味だ……?」 土方が目を留めた部分には、 小さな命が孤独を紛らわせてくれる、と記されており、 土方には千鶴のことしか浮かばない。
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