フトマニノート20140808 エログロ国家主義
- sunamajiri
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@izunoeigorou @sunamajiri 現実にはなかなか難しいでしょうが、個人の自由と権利を守るのは国家である必然性はないと思います。人々から信頼される機関が安全保障の責任を引き受けることは可能でしょう。遠い先の話ですけどね。
2014-08-09 00:02:20でも、現実に人、物、情報の移動はますます世界化してるのだから、いずれ国家は自由な人々の足枷である面が大きくなると思いますよ。そこに国家解体の契機が現実的にあるとも思いますけどね。まあ、いずれにせよ一気には進みませんよ。 @sunamajiri
2014-08-09 00:07:37@J_J_Kant @sunamajiri そうです、国家である必要はありません、例えばかってイスラム社会が少しそうでした。現実は。
2014-08-09 00:08:33@izunoeigorou @sunamajiri イスラムは今もそうかもしれませんね。まあ、我々の内にまだ国家に依存してる方が安心だという意識があるうちは、国家はなくなりませんが、ぼくはもう早くなくした方がいいと思っています(^^)
2014-08-09 00:13:22日本が国家主義ぐらいしか依存するものがないというのが辛いところですね。お金はグローバリズムになったが、それだけではもうだめらしいですからね。twitter.com/sunamajiri/sta… @J_J_Kant イスラムは今もそうかもしれませんね。@izunoeigorou
2014-08-09 00:16:15グローバリズムも終わったのね(^-^)/ コラム:対ロ制裁が告げるグローバル化の終焉 | コラム | Reuters jp.reuters.com/article/jp_col…
2014-08-08 03:28:10まあ、もっと国家や中間団体を含む組織に依存しない自由な個人が増えないとダメでしょ。もう、国家国家、組織組織の人間はうんざりです(^^; @sunamajiri @izunoeigorou
2014-08-09 00:22:35実際、グローバリズムで、租税回避するようなアメリカの富裕層は、国家なんかに依存してませんね。日本が国家主義しか依存できないのは、やはりIT以降の産業の敗退でしょうね。@J_J_Kant もっと国家や中間団体を含む組織に依存しない自由な個人が増えないと@izunoeigorou
2014-08-09 00:24:55まあ、日本には千五百年の官僚支配の伝統があるから、そう簡単には変わりませんね(^^; @sunamajiri @izunoeigorou
2014-08-09 00:28:56歴史の浅いアメリカでは、国家を飛び出した富裕層も、ただ単に80年代の日本との貿易敗戦で、日本を潰せという税制優遇の申し子というだけだけれど、日本の場合、そういう伝統が足かせですからね。@J_J_Kant 日本には千五百年の官僚支配の伝統が@izunoeigorou
2014-08-09 00:32:14アメリカの保守は純正リバタリアンで、国家はせいぜい必要悪にすぎないから、彼らが国家を意識するのは戦争の時ぐらいでしょうが、日本の保守は国家べったりで、平時でも国家に依存しないのは非国民ですからね(^^) @sunamajiri
2014-08-09 00:38:21それは彼らには、国家は宗教ではないが、日本人には国家ぐらいしか宗教がないということで、日本人が学ばなければならないのは、その宗教に依存しない彼らの知恵ということなんだけどねぇ。@J_J_Kant 日本の保守は国家べったりで、平時でも国家に依存しないのは非国民ですからね(^^)
2014-08-09 00:41:58そうですね。カトリックからプロテスタントへの転換は信仰の公から私的領域への転換なんでしょうけど、プロテスタントのアメリカでは公の国家が私的な宗教から切り離されたのに対して、日本は明治以降国家を宗教にしてしまいましたね。保守は今もそこを曖昧にしている。 @sunamajiri
2014-08-09 00:50:51その点、日本の近代は宗教の公化で、プロテスタンティズムとは逆ですね。@J_J_Kant プロテスタントのアメリカでは公の国家が私的な宗教から切り離されたのに対して、日本は明治以降国家を宗教にしてしまいましたね。保守は今もそこを曖昧にしている。
2014-08-09 00:59:14まさに。明治国家というのはその意味では近代国家ではなく中世国家ですね。そこを理想化するネトウヨらは中世人です(^^) "@sunamajiri: その点、日本の近代は宗教の公化で、プロテスタンティズムとは逆ですね。"
2014-08-09 01:02:56それで意識化する必要のない「近代的自我」で躓きまくるのです。さっき言及した養老孟司が近代的自我は意識のことで、それは唯脳だからだと言っていて苦笑しました。@J_J_Kant まさに。明治国家というのはその意味では近代国家ではなく中世国家ですね。そこを理想化するネトウヨらは中世人で
2014-08-09 01:07:29@J_J_Kant @sunamajiri 仕事に命かけて死をも覚悟するっつのは、私的な領域であるべきで、他人にそのこと押しつける保守は、国家が宗教の役割やってた特殊な事情に甘えた感傷的な空威張りですよね。宗教哲学が社会思想から峻別されるべき事態が、現に展開されている印象がある。
2014-08-09 01:09:52なるほど。漱石の「即天去私」になっちゃいますね。 "@sunamajiri: それで意識化する必要のない「近代的自我」で躓きまくるのです。さっき言及した養老孟司が近代的自我は意識のことで、それは唯脳だからだと言っていて苦笑しました。"
2014-08-09 01:13:55@nckrx970 @sunamajiri そうですね。でも、ますます国家の宗教化が進んでいるようなのに、なかなかその峻別の契機が現れないのが悲しいところです。
2014-08-09 01:17:58@J_J_Kant @sunamajiri あ、分かりにくいですねw。要は「生命至上主義」とか批判して、自衛隊や消防等にも国家宗教的な覚悟を押し付ける(自分は殉職する訳でもないのに)、無責任な保守がいて、その化けの皮が剥がれ始めてる感じがする訳です。
2014-08-09 01:22:10@J_J_Kant @sunamajiri 有難うございました。中嶋さんとは意見が一致することが多くて心強いのですが、僕はこうした共感こそが「峻別の契機」足り得ると、時代に期待してる次第です。
2014-08-09 01:25:57中嶋さんとは、受験現代文という同業です。教科としては文科省は近代的自我を教育しろというわけですが、そんなことをいうのも中世だからですね。西欧ではそんなこと一々意識しない。近代的自我というのは宗教の個人化のようなものですが、それがないんでしょうね。@nckrx970
2014-08-09 02:49:08現代文は現象学に収斂しますが、ハイデガーのキーワードである死の覚悟性は、ニーチェのニヒリズムを解決して、まさにそうした個人化が興ることですからね。@nckrx970 仕事に命かけて死をも覚悟するっつのは、私的な領域であるべきで、他人にそのこと押しつける保守は、@J_J_Kant
2014-08-09 02:57:00@J_J_Kant さんが仰るように、西欧では信仰が個人化した。最後に残ったのがニヒリズムですが、ハイデガーのような死の覚悟性というのは、信仰の個人化の最後の完成かもしれません。だから文科省の言う近代的自我は、現象学によってしか理解できないのでしょう。@nckrx970
2014-08-09 03:00:47