大森田不可止のファミコン創世記~ナムコ入社からギャラガを作るまで~

ゲーム作家の大森田不可止さんによる、ナムコ入社時からファミコン版ギャラガが完成するまでのエピソード。 若者らしい創意と工夫と負けん気で試行錯誤を繰り返しゲームを作り上げていく様子に、当時の業界全体のエネルギーを感じます。
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ほりい なおき @hor11

@pacf @omorita マッピーは画面構成とリソースが、タンクバタリオンとワープ&ワープは、MSX版の記憶が薄くなんとなくの想像で、ボスコニアンは間違いなく別物でしたね。

2014-08-04 00:50:24
S.Fujishima(pac) @pacf

@hor11 @omorita ボスコニアンは「基地ちっちゃ!」でしたね(笑

2014-08-04 00:53:28
ほりい なおき @hor11

@pacf @omorita 基地の大きさより、アーケードにいる敵の仕様がほぼ実装されていないのが驚きでした。そのかわりクローバーみたいなのが漂ってた記憶。

2014-08-04 00:56:04
大森田不可止 @omorita

入社当時には開発には神と悪魔のプログラマーがいた。悪魔と言われた黒須さんは色黒でとっつきにくい容貌だったのは確か。普段は快活なんだけど、プログラムを仕上げる3日位は人を寄せ付けない。うっかり話しかけると感情的に怒られる。それだけ集中する人。#omonamco

2014-08-03 21:18:24
大森田不可止 @omorita

でも、黒須さんは一番勉強になった人。MSXのギャラガで私は背景の星は処理が間に合わないから諦めようとしてた。黒須さんがプログラマーにしか判らない言葉でアドバイス。3時間後にはMSXギャラガの背景に星が流れてた。それから黒須さんは私を信頼してくれる。#omonamco

2014-08-03 21:22:06

黒須 一雄(くろす かずお、1956年 - )はナムコ(現・バンダイナムコゲームス)のゲームクリエイター。株式会社モバイル&ゲームスタジオ取締役(2014年現在)。
ナムコのアーケードゲームを数多く手がけ、深谷正一、岩谷徹とともに黎明期を支えた。深谷正一の「天才」に対し、難解な、常人には理解不能なプログラム技術を持ってハード的制約を打ち破り、不可能に思える仕様を可能にしてしまうことから「悪魔」の通り名を以って呼び倣わされた。[Wikipedia]

大森田不可止 @omorita

MSXでキング&バルーンの移植したとき、ゲームの仕様書は完璧。バルーンの動きは試行錯誤したな。やっぱり、ゲーセンでキング&バルーンを置いてるところを探して、何度も遊んだ。実機での印象をそのまま持ち込むことが移植には大事なんだろう。#omonamco

2014-08-03 21:38:04
大森田不可止 @omorita

新人研修でM5でキング&バルーンを作って、MSXが発表されて、それに移植するのが新人の初めての仕事になった。とはいえ、M5からMSXはほとんど手間が無かったので、ボーナスステージを追加。今見ると拙い。当時のナムコは度量が広かったのだ。#omonamco

2014-08-03 21:43:06
大森田不可止 @omorita

黒須さんがギャラガのMSX移植は「ボーナステージも作ってるし、不可止くんでいいなじゃないか」といてくれて、私がMSXギャラガを作ることに。#omonamco

2014-08-03 21:59:05

『ギャラガ』 (GALAGA) は、ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)が1981年9月に発売したアーケードゲーム。
宇宙での戦いをイメージした固定画面型のシューティングゲームである。 前に発売されていた同社のゲーム『ギャラクシアン』の後継として登場、後にUGSFシリーズに統合された。
タイトルの「ギャラガ」とは、「ギャラクシー」+「蛾」の造語である。
その名の通り、前作ギャラクシアンに比べ、敵キャラクターのデザインが蛾を連想させるものとなっている。

大森田不可止 @omorita

MSXのギャラガをつくることになってから、責任重大でとにかく社内にある資料を集めた。幸い企画はキング&バルーンと同じ人なので仕様書は完璧。ただ、業務用ギャラガのプログラムはハードに依存した部分が多く理解不能。そもそも画面サイズが異なるから、どっちみち工夫が必要。#omonamco

2014-08-04 22:00:59
大森田不可止 @omorita

ギャラガは妹がはまってたゲーム。当時、ダイエーのOLで良くゲーセンに行ってたらしい。ギャラガ40万点、私より上手だったな。

2014-08-03 22:02:56
大森田不可止 @omorita

ギャラガの基盤は社内にあったんだけど、まだ新入社員で筐体を確保して基盤のセッティングをするのはハードルが高かった。なので、毎日会社帰りに大森駅前のゲーセンに寄って数回ギャラガをプレイしてた。移植するなら基本だよな。でも画面サイズの狭さは絶望的。#omonamco

2014-08-04 22:04:32
大森田不可止 @omorita

画面サイズの問題が解決できなかったけど、仕事は進めざるを得ない。MSXでギャラガのプログラムを始める。キング&バルーンの経験があったから、キャラを単色で割り切ることで比較的基本部分は早めに出来た。軌道に曲線が多いのでそれなりの工夫はした。キャラも24方向あったし#omonamco

2014-08-04 22:08:46
大森田不可止 @omorita

MSXギャラガ。編隊は登場時は横スクロールだけど、編隊が完成したら膨張収縮動作になる。飛行ギャラガはスプライトだけど、編隊ギャラガはBG。結構細かい対応が必要で、処理速度が厳しかった。それでもクロスさんのアドバイスで背景の星はBG使って2重スクロール。#omonamco

2014-08-04 22:13:03
大森田不可止 @omorita

最後の調整がゲーム性をオリジナルに近付けること。幸いなことに、ギャラガは調整する要素の多いゲームだったから微調整を繰り返して、オリジナルのゲーム性に近付けた。ギャラガの飛行パターン、弾を打つ高度、突撃ギャラガの角度の範囲など、結構遊べるように調整できた。#omonamco

2014-08-04 22:20:24
大森田不可止 @omorita

ギャラガの調整時に思ったことがあって、近付いてくるギャラガは撃ち落としやすいのに、遠ざかるのは難しくなる。素粒子物理で粒子同士の当たり易さの基準に衝突断面積という概念があるんだけど、それを拡張した概念として定義できるかなと。#omonamco

2014-08-04 22:25:19
大森田不可止 @omorita

ギャラガの完成ころに、ナムコで受けたMSXの教育ソフトも少し手がけた。そのときに円形のヒットチェックをパターンマッチングで行う方法を開発。それまでにない柔らかい動きをするので、当時週一での技術発表会で説明したら感心された。教育ソフトは今は記録が全くないな。#omonamco

2014-08-04 22:32:10
大森田不可止 @omorita

そして、ファミコン解析の時期。すでに書いたけど発売当初のファミコンを課長が見て解析を決意。U君と課長がCPUを6502だと特定。それから開発総出でファミコン解析が始まった。私は当時の開発コンピュータHP68000上のPASCALで逆アセンブラを作成。#omonamco

2014-08-04 22:36:45
大森田不可止 @omorita

PASCALで書いた逆アセンブラ。最初はROMイメージのバイナリを読み込んで、ニーモニックに逐語訳するだけだったけど、ファミコンの仕様が判明するに従って、2パスでプログロムの意図を読み解きながらインテリジェントに逆アセンブルするプログラムに進化してた。#omonamco

2014-08-04 22:41:55
大森田不可止 @omorita

リバースエンジニアリングは悪のイメージが強いけど、ホワイトルーム方式で外側の仕様から同様の動作をするプログラムを作るとき以外は必要なことだと思う。日本で禁忌感が強くなったので、中韓の容赦無いリバースエンジニアリングに負けたんだと思うな。#omonamco

2014-08-04 22:51:22
大森田不可止 @omorita

実際、任天堂の宮本さんの発言で、任天堂がナムコのプログラムをリバースエンジニアリングしてた事は分かったし。宮本さんが「ナムコさんのお得意でしょう?」と言った技術が私がファミコンのギャラガで苦し紛れに作った技術だったのは知ってたのかな?今となっては謎だけど。#omonamco

2014-08-04 22:55:23

宮本 茂(みやもと しげる、1952年11月16日 - )は、ゲームクリエイター、任天堂株式会社 専務取締役情報開発本部長。同社のゲームソフト開発の中心的存在。愛称に「ミヤホン」「ミヤポン」。任天堂を世界的大企業に押し上げた功労者の一人である。[Wikipedia]

大森田不可止 @omorita

日本では行儀の良い技術者が多いので、逆にリバースエンジニアリングは容易なのだ。ファミコンで言えば、EPROMに下駄を履かせてアドレスバスやデータバスの順番を入れ替えるだけで解析は極端に難しくなる。防止策は取ろうと思えば色んな策があるんだけど。#omonamco

2014-08-04 23:02:18