宗茂十一歳の時、立花に行く。鑑連饗応し、其上壮者を召して、弓を射させて視せしめ、戯に謂て曰く、子猶幼なり、怖くは能わずと。宗茂、即ち側なる弓を挽きて弱はしと言ひ、鑑連床上に在る勁弓を請て射るに、四發三中せり。(名将言行録)
2014-08-12 15:38:16さっそく読んでみたら宗茂の弓物語の触りがあったw 11歳の時、鑑連(道雪)の食事会での話。道雪が呼んだ強者が弓を射って見せて、「怖くないか?」と茶化してみたら、ショタ茂は側の弓(の弦?)をひいて「こんなの弱い。鑑連さまの強弓を使わせてください」といって4発のうち3発的に当てた。
2014-08-12 15:42:10とびかかってきた犬を跳びすれ違いざまに峰打ちしてパパンが「そんなことができるなら切り殺せたはずだろう」と聞いたのに対して「この刀は敵を斬るためにあるのです(だから斬りませんでした)」と応えた宗茂の爽やかさに全紹運が号泣した。
2014-08-12 15:51:54宗茂十三歳の時、鑑種(紹運)が出陣の際、冗談で「さあ、お前も出陣するのだ」と言ったところ、宗茂は畏まって「仰られずともお供したく存じますが、私はまだ強健でなく敵に逢えば無駄死にをするでしょう。あと一、二年の後には軍の一方を承り戦場へ罷り越しましょう」といった。
2014-08-12 16:02:55これだこれ!「太閤に伺いを立てて軍を発するべきか、伺わずに発するべきか」で議論になって宗茂が「兵法に≪将軍に在りては君命に受けざる所あり≫といって、太閤殿に伺いを立てていては時期を失いましょう」ってみんなをおおっといわせる話 pic.twitter.com/CNYuzamrWn
2014-08-14 16:35:13宗茂も朝鮮で秀吉に伺わず独断で兵を出しているのに咎がないどころか戦功を褒めて馬を下賜している。 しかしながら後々官兵衛が独断で戦線を下げて、国に戻った時は激おこしたのって…戦況が悪化して焦りがあるとはいえあんまりじゃないですかって思った( ˘ω˘ )
2014-08-12 16:22:16鎮種(紹運)が敵を夜討ちにする時、味方の兵らは緊張のあまり握り飯が喉を通らないでいた。これを見て「男たる者、戦場で死ぬにしても食わねば力が出ない。それでどうやって死ぬというのか」といって4つ5つ握り飯を食べて見せた。 pic.twitter.com/WD9L5mhTwx
2014-08-19 18:59:22「宝満山城、岩屋城は重要な城であり才覚のない者には任せられない。しかし鎮種(紹運)は若年ながら器量があり不足はない。その上大友の流れを汲む吉弘の子ゆえ、毛利に通じた鑑種を捕え断絶した高橋家の相続人にも適任である」宝満・岩屋城主、高橋家相続の経緯
2014-08-20 16:55:51「鎮種(紹運)と宋雲院の婚儀」原文。 宋雲院は豊後一の美女ともいわれたらしい。吉川元春の話と酷似している。 pic.twitter.com/Cc2TDIds6u
2014-08-20 19:29:52鎮種の兄・鎮信(鎮理は誤殖?)は、齋藤鎮実の娘と弟の婚約を取り交わした。戦がひと段落して鎮種が鎮実に対面すると「娘は疱瘡を患い見目が悪くなった。とても嫁にはやれない」と言われ、「婚約は貴方を名門の武家として信頼しての事、色好みのためではありません」と鎮実の娘を娶った。
2014-08-20 19:27:10秋月種実が鎮種(紹運)の守る大宰府攻略のため、鎮種の家臣を調略する。裏切りを知った鎮種は家臣を誅殺、その子に内応する振りをさせ種実の軍勢を領内に誘引。鎮種はこれを伏兵で三百の兵を十余り残して討ち果たした。 pic.twitter.com/3BCKa9TGHI
2014-08-20 20:07:14