藤田直哉「前衛のゾンビたち――地域アートの諸問題」を巡って

「すばる」掲載の藤田直哉氏「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」を巡って、まとめ主にみつけられた範囲の応答を中心にまとめました。 ★基本的に編集は閉め切っていますが、希望があれば検討の上対応します。 ★広範な議論になっておりますが、細部まで議論を採録できておりません。おおよそのアウトラインを示す意図で編集しています。 問題ありましたらご連絡ください。 ※別途「藤田直哉氏「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」、演劇の問題として考えると」というまとめがあったようです。http://togetter.com/li/717032
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Post Studium @POSTSTUDIUM

本日のPost Studium 理論ゼミでは話題になっている『地域アート』についても言及されました。詳細は近日中に公開されるマガジンで。|PostStudiumPost|note(ノート) note.mu/poststudiumpos…

2014-09-15 00:37:44
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

モダニズムの抽象絵画も「ゾンビ」呼ばわりされるんですね(ぼくの『ゾンビ論』は、「ゾンビ」というメタファーの氾濫は何故起きているのか、から論が始まります)。工芸とか画壇はどうなんだ、という意見もいただいたのですが、伝統を反復することを元々目的としている場合はゾンビ的ではないですね

2014-09-15 03:03:19
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

伝統的な技術と感性を継承し未来に届けることそのものが価値であると見做す「伝統」の世界と、新しくなり続けるという精神性や理念を重視する「現代」の世界とは、何か価値判断の根本原理が違うのでしょうね。理念なき意匠の反復、かつ、伝統ではないものが、ゾンビ的なのでしょう。

2014-09-15 03:05:40
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

腐り果てて白骨になってしまえば、また別の味わいというか、凛とした感じも出てくるみたいなところもありつつ。まだ人間だったころ(理念や大きな物語があったころ?)の記憶も少し残っていながら反復的に動いているからこそ辛い、というか。

2014-09-15 03:06:51
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@naoya_fujita お返事ありがとうございます。宇川さんのDOMMNEもある意味「関係性アート」と言えませんか?DOMMUNEという「作品」において彼のしてることって極言すれば「配信」=「媒介」であって「コンテンツ」製作ではないわけで。どうでしょうか?

2014-09-15 03:34:56
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@sakuraikeisuke 正直に言うと、DOMMUNEよりも、宇川さんのVJプレイとDVDの方が好きですね……(笑) DOMMUNEは試みとして、活動としては面白いのですが、単純な瞬間風速的な凄さとして、『UKAWANIMATION』のライブとかVJプレイは、圧倒的でした

2014-09-15 03:38:00
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@sakuraikeisuke DOMMUNEに関しては、判断保留、という感じになってしまっています。どの時点で何をどういう基準で判断すれば良いのかすらもよくわからない。9月20日から3331で展示&配信をなさるみたいで、それは拝見させていただかないとな、と思っています。

2014-09-15 03:43:14
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@naoya_fujita なるほど〜。藤田さん的にはやはり「物質」としてというか、「ヴィジュアリティ」として、ばーんとプレゼンスしてないとダメなのかしら?

2014-09-15 03:47:24
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@sakuraikeisuke 五感に対する感覚的な刺激の質と量、というのをぼくは求める傾向はあると思います。観念や知による理解を経由するアートも嫌いではないのですが、そっちだと「それ表現するなら字でもよくね?」「哲学書の方が複雑だしなぁ」と思いがちかもしれません。

2014-09-15 03:54:38
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@sakuraikeisuke 体験・参加系も、ちょっとそういうところがありまして、「これはみんなで中学生ぐらいで鬼ごっこしたり登山したときの方が面白いんじゃないか?」みたいな意識が出てくると、ダメですね。未知の質の体験が最低でも、どうしても、欲しい。

2014-09-15 03:55:55
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@naoya_fujita なるほどなるほど。「これはみんなで中学生ぐらいで鬼ごっこしたり登山したときの方が面白いんじゃないか?」「いや、実はですね、これには、然々の歴史的・場所的なコンテクストがありまして、、、」「んなもん知らねえよ!」という感じでしょうかね?

2014-09-15 04:06:11
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@sakuraikeisuke 全的に否定するわけではないんですよ。というか、あっていいんです。なるべく多くのものを盛り込んでいいんです。でも、歴史・場所のお勉強をしたけりゃ新書読むほうが早いし、体験・つながりの価値と言われても、それは別に他で充足しているし、となるんです。

2014-09-15 04:11:21
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@sakuraikeisuke 歴史・場所などのコンテクストなどや、参加・つながりなどの関係性、それから社会的・政治的意義があっても、別にいいんです。むしろ、あったほうがいい。でも鑑賞者とのインターフェイスとしての「作品」自体の魅力(美、固有性)は欲しい。ということです。

2014-09-15 04:13:30
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

あと、bctionはとても高く評価しています。あれが大山さんの仰るように「関係性の美学」や「地域アート」と関係を持っているものだとしたら(アートプロジェクト、ではある)、洗練されており、力があり、様々な文脈や知的なものもあり、直観的にも強く、意味や意義もある。すごくよかったです。

2014-09-15 04:19:25
桜井圭介 @sakuraikeisuke

@naoya_fujita でた!「リア充」発言(失礼!)。藤田さん面白いな〜(失礼、褒めてます!)。普通はみんな「文字で読んでも他人事だけど、自分の体を通すと違うよね!」とか言うわけですよ。それもかなり疑わしいわけですが。

2014-09-15 04:19:29
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

@sakuraikeisuke いや、なんというか、他で充足できるものを、アートの「中心的価値」として押し出すと、まずいんじゃないかというのが、ぼくの問題意識です。例えば身体芸術であれば、身体を動かすことで「他に代替できない体験」をすれば、それは固有性だと思います。

2014-09-15 04:28:39
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

@sakuraikeisuke 「美」とか「芸術の固有性」とか曖昧に言いましたけど、平たく言えば、「時間とお金使ってでもそれじゃないと味わえない何か」ですよね。個別の作品ごとにあるそれを推す方が「批評性がある」とか「社会とつながる」とかを作品の価値の根拠にするより良いと思うんです

2014-09-15 04:31:20
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

@sakuraikeisuke ご意見いただけて、色々と考えています。ありがとうございます。夜中だったので言葉遣いが荒くなった部分があったかもしれません。ご寛恕いただけたら幸いです。今日はもう眠りますので、失礼いたします。

2014-09-15 04:43:45
桜井圭介 @sakuraikeisuke

@naoya_fujita あ、了解です。ちょっと今書きかけてたところなので、もう一個ツイートするかもですが、とりあえずありがとうございました。お休みなさい。

2014-09-15 04:45:57
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@naoya_fujita (あ、一個前の投稿、私信になってた。)例えば、ダンスでも「ノン・ダンス」とか言って90年代以降(フツーの意味では)「踊らないダンス」がガーと出てきた。これをどう考えるかという時に、要するに「コンセプチャル・アート」としてのダンスなのか?或るいは(続く

2014-09-15 04:46:47
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@naoya_fujita 続き)一見、全然何もしていないように見えるけどよく見ると微細なダンスがあったり、ダンスとはとても言えないようなへなちょこな動きがある!というふうにダンス=運動の新しい質として肯定するか、ということがあった。僕はどっちに捉えても面白がれるのですが(続く

2014-09-15 04:53:22
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@naoya_fujita 続き)どっちのつもりで行くのか?は運命の別れ道で、下司な話、それ如何によって観客・世間の支持の多寡が変わってくるw 何の話かというと、要は地域アートや関係性アートも、もしかしたらそこを間違っちゃったのかも、と。僕は方法論自体には可能性を感じるし(続く

2014-09-15 05:05:40
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@naoya_fujita 続き)いい作家も作品もあると思っているけど、今回の藤田さんの批判をきっかけにしてかなり多くの人が「我が意を得たり」なのを見ると、作家もそうだけど特に批評家とかキュレーターはディスクール(上の戦略)を再編していかないと、ヤバいのかな、と。思いました。

2014-09-15 05:14:40
Post Studium @POSTSTUDIUM

地域アートは固有の表現形式(あるいは表現ジャンル)として問題をそもそも構成しえない(地域活性化という目的はジャンルを問わないゆえに)。前衛あるいは問題提起を、芸術の内的規定(価値基準)とする措定も、それが働きかけるところの既存文化の一元性が前提できなければ(1930年代以降)無効

2014-09-17 09:34:13
Post Studium @POSTSTUDIUM

スポーツ選手も歌手も学者も芸術家も地域イベントに招かれる事がある。そのイベントに参加することで、それぞれのジャンル(本来の自律的活動=研究)が衰退することはほとんどありえない。それは、そのイベントが、その地域の自律的生産構造に決して本質的革新を与えないだろうことと同じ。

2014-09-17 09:35:00
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