藤田直哉「前衛のゾンビたち――地域アートの諸問題」を巡って
芸術作品に関わらず、すべての生産物の生産過程への判断、批評(たとえば品質管理)がその生産過程の全体を理解しえない、外的な観察者(傍観者)によってなされないのは自明。だからといって、その生産行為がいっさいの批評(品質管理)なしになされているとは、いえないことも自明。
2014-09-17 09:35:30パソコンひとつとっても、それが目の前に存在するまでに経由した生産組織、過程の広がりのすべてを消費者が把握することはできない。だが、もちろんそれぞれ生産組織それ自体はその組織を内部から管理統合、内在的に批評しえているから組織たりえ、また機能しているわけである。
2014-09-17 09:35:57つまりあらゆる生産過程(組織)はそれぞれローカルであり、ローカルな秩序をもちえている。このローカルとローカル、異なる複数のローカルな回路=ネットワークが重なり合い接合がなされるところに各回路の存立そのものへの懐疑それを革新する契機=批評の生まれる可能性もある(といえないこともない
2014-09-17 09:37:34が、その接合点を芸術とか、イベントとかの包括的な場として扱うことはできない。こうした固定的な場を設定(ぐるナビやミシュランの批評すら疑わしい)し、それに依存することはそれぞれのジャンルの固有性、そしてそれらがもつ(他の回路への)批判力そのものをかえって失うことにもなろう
2014-09-17 09:39:24従って「地域」という概念や「芸術」という概念や「前衛」という概念や「批評」という概念を、包括的(大雑把)、無条件(希望的)に使用しているだけの言説からは、そこにあるだろう善意のようなもの(こころざし)を読み取ること以上の、積極的意味が発見できない場合も多い。
2014-09-17 09:44:25ところで「美」という概念は(それを判定する)基準を前もって持つことなしに、それが合目的的=美とする合意が普遍的に成立しうる、だろうもの(基準は事後的に現れる)を指してきたのであり、これがありうるだろうとする希望的前提が論争を産み出す発見的契機になることは確かにあったとしても→
2014-09-17 10:42:31→その予定調和性が先取りされ、抑圧的に機能することが多かったのは歴史的にも周知。つまり「美」は、会話、議論、見知らぬものに対する好奇心、を可能にする条件だったはずが、積極的対象としてその存在が措定されはじめると異論、議論、会話そのものを前もって抑圧する否定的装置にしかならない。
2014-09-17 10:43:39→定義を欠いている「美」を、にもかかわらず積極的に(当然、誰もがそれを否定しないだろうと)名指し、語るのは権力者か、権威に憧れる者のみ、という教訓もあり。
2014-09-17 10:44:36捕足に話された事→『地域』の括り(境界)が、『地域』外との差異つまり、その地域のもつ文化的あるいは生産構造なりの自律性を前提としていても、実際は、その『地域』の括り(境界画定)が行政的にだけ成り立っていない場合、その地域... note.mu/poststudiumpos…
2014-09-17 21:15:19(地域おこしの方法)。衰弱した『地域』を再生させるには、1、再生産(持続)可能な固有の生産構造を改めて根付かせること。2、世界(地域外)との固有な関係(行政的括りを超えた)ネットワークを確保すること。3、外部からの訪問者を増やす。の都合3つのレベルがありえる。
2014-09-17 21:21:53→本質的には1。次に2。だが3は一過的効果しか持たない。たとえば富岡製糸工場がたとえ世界遺産になろうと、それが地域に寄与するだろう働きは、かつて製糸工場が実際に実働していたときにそれが地域の固有の再生産力として機能していた力にはまったく及ばないのは自明。
2014-09-17 21:22:36自律性(再生産構造)の衰弱が地域の衰弱なら、地域の側からみて、 ある活動を招聘する意義(問題改善に関わる可能性)は、その招聘活動がもつ(だろう)固有(自律的)な生産構造、あるいはそれがもつだろう、世界(地域外)との固有なネットワークを、いかに移植するかにしかない(つまり1か2)
2014-09-17 21:23:36一方、そもそも招聘された活動(たとえば芸術活動)の生産構造としての自律性が弱い場合、地域の衰弱過程に回収され、自身の活動の境界画定力=すなわち存在理由(アリバイ)までも失う結果になる。地域に寄りかかって存続しようとしても、かえって、その活動の存続理由を失う結果になるのも、確か
2014-09-17 21:23:57藤田さんの話題の地域アート論を読みました。ジャンルの固有性に美を見出だす観念論的な価値観と、それに反するように社会的な文脈に価値創出の機会を設定するという両義的なスタンスをジグザグするところが藤田さんの批評の魅力なんだろうなと思いました。
2014-09-22 16:48:34それから68年のリソースを参照するところは、SF(筒井)+現代アートの批評家だからこそなのだろうなとも思いました。文学の中でもSF、それから何より現代アートは60年代こそジャンルの自律的な価値創出と社会批判が奇跡的に共存しえた希有な時代だったと思います。
2014-09-22 16:56:19社会批判を美の観点から切り込んだハイレッド・センターが、美的に社会を笑う超芸術トマソン(あれもこれもアート)へと変遷した歩みを想起させるね。
2014-09-24 01:59:44