狼と香辛料 Side Colors XX 「狼と松本人志」 1

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伊月遊 @ituki_yu

答えになっているのか、なっていないのか。 ホロの言葉を理解する事も無く、間も無くして前方、道沿いに一台の荷馬車が止まっているのが見えた。 引き手である馬は居るが乗り手は馬車から降りている様で、御者台の上には人が居ない。

2014-09-13 20:27:21
伊月遊 @ituki_yu

持ち主の姿は見えず、だがそいつは恐らくは商人であろう、近付くにつれてそれが分かった。 何故ならその荷馬車には、リンゴやじゃがいもといった食べ物を山盛りに積んでいるのだから、これで商人でなければおかしな話だ。

2014-09-13 20:32:05
伊月遊 @ituki_yu

ならばこそ、しかしその商人が足を止め、道の上でその商品道具を放り出したままにするというのは、余り考えられない事である。 商人の尊ぶべきは一に信用、二に商品であり、それを手放しに置いておくというのは愚の骨頂、盗まれでもしたら信用も商品も同時に失ってしまうだろう。

2014-09-13 20:36:40
伊月遊 @ituki_yu

「どこに行ったんだろうか」 「ふむ?ほれ、そこにおるじゃろうが」 馬車と馬車を横付けするようにしてから、呟くようにそう言うと、ホロは不思議そうに馬車の向こう側、御者台の脇を指差す。 指の先に視線を滑らせる。 居た。丁度荷馬車を隔てた向こう側に、倒れている人陰が見えた。

2014-09-13 20:40:52
伊月遊 @ituki_yu

慌てて馬車を降りて人影に駆け寄る男。 「大丈夫ですか!」 倒れている彼の肩を揺らす男。 まだ若い、どこか頼りなさげな青年である。荒い息をしながら、胸の辺りを両手で抑えて目を閉じている。 「失礼」と額に手をやる男。熱い。熱がある。

2014-09-13 20:45:00
伊月遊 @ituki_yu

「貴方、は」 薄目を開ける青年。うわ言のように言葉を続ける。 「ご同業のクラフト=ロレンスと申します。失礼ながら、貴方も商人でしょう?」 ロレンスと名乗った男はそのままにこやかな笑みを浮かべる。 何も言わずに小さく頷くその姿は、熱のせいだけでは無いだろう、弱々しい物だった。

2014-09-13 20:49:15
伊月遊 @ituki_yu

己の未熟を恥じているのだろうか、うつむいて前髪に隠れた目の中には、どこか陰りが見えた。 格好を見た所、まだそれほど旅に慣れている様には見えない。商人、と言ってもせいぜいが駆け出しといった所であろう。 だがしかし、それだというのに『荷馬車』を持っているというのは不思議な話であった。

2014-09-13 20:53:58
伊月遊 @ituki_yu

馬車は恐ろしく高価な物なのだ、とてもではないが駆け出しの時分の商人が気楽に買える様な物では無い。 馬車は何年もの努力か、それなりの幸運があってやっと手に入るひとまとまりの金額。それを持って得られる物なのであり、持っていればようやく一端の商人として認められる。そういう物だ。

2014-09-13 20:58:03
伊月遊 @ituki_yu

しかし目の前の青年はこの様な失態を犯すほど若い。努力で稼げる量は高が知れていよう。 となれば答えは明白であった。 この距離ならここから街へは夕方には着くだろう。しかし幾ら近く、そしてまだ昼間だとしても、野盗の類に襲われる心配が無いとはとても言い切れない。

2014-09-13 21:02:26
伊月遊 @ituki_yu

つまり、この男はツイていた。それこそ『努力もせずに馬車を手に入れる程』には。 「幸いここから街は近い、送って行きましょう」 「あ、……ありがとう、ございます」 一秒ほど逡巡し、それから諦めたように頭を下げる青年。

2014-09-13 21:07:13
伊月遊 @ituki_yu

「多少揺れると思いますが、我慢なさって下さい」 青年を自分の馬車の御者台に座らせ己が着ていた上着を羽織らせると、青年はもう一度小さな声でお礼を言って、すぐに目を閉じる。

2014-09-13 21:11:25
伊月遊 @ituki_yu

それからロレンスは青年の馬車に近付き、念のため馬の状態を調べ、そして問題無い事を確認してからホロの方を見た。 街までこの男の馬車を引いてもらおうと思ったのである。 「ホロ」 「ふん、解っとるわ」 ロレンスが一声かけると、ホロは一言の内に倒れていた青年の馬車の御者台に乗り移る。

2014-09-13 21:16:18
伊月遊 @ituki_yu

「なんだ、随分と素直じゃないか」 「釣りに焦りは禁物じゃよ、特にその顔をしているぬしにはな」 隣の馬車で休む青年に聞こえない程度の声でそう言うと、ホロは小さくため息をついて、諦めたようにそう返すのだった。 釣りの話は鮭と掛けているのだろうか、また出費がかさむが仕方ない。

2014-09-13 21:20:46
伊月遊 @ituki_yu

それよりも、思わず自分の頬に手をやるロレンス。 「顔?」 「おお、怖い怖い。ここには二頭の狼がおるのう。もっとも、片方はまだ獲物の前で鼻息も隠せぬ童狼じゃ」 ホロはそう言ってにやりと笑う。 そのもう一頭の狼に、ロレンスは頬の手もそのままに、ただ苦笑いを返すばかりであった。

2014-09-13 21:25:05