日中戦争から明治体制についての、司史生氏と整備兵氏の深夜の語らい

日中戦争の動員問題から始まり、何故その破綻は起きたのか? 日本の政治的意思決定から、明治体制が抱えていた欠陥、そして明治体制の批判者北一輝にまで至る司史生氏と整備兵氏を中心とした対話が大変刺激的でしたので、まとめてみました。
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遠藤(寓話収集) @endoucom

@seibihei @tsukasafumio 民主化途上体制の崩壊ですね。数十年民主主義体制が維持されれば体制がオーソライズされるのに対し、そこに至るまでの間にそれを中断するイベントが入ったという。

2014-09-22 02:41:05
名無し整備兵 @seibihei

@endoucom @tsukasafumio 状況は全く違うのでしょうが、かつての中南米の独裁化をちょっと思い起こしました<中断イベント

2014-09-22 02:42:40
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio イギリスのゲームデザイナーのダニガン氏は「真珠湾攻撃しなかったら内戦になってたろうね。でもその方が犠牲少なかったかもよ?」と他人事だけに身も蓋もない言い方をw

2014-09-22 02:36:02
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 「それを言っちゃあおしまい」なこと抜け抜けと言うのがダニガンの芸ですね。

2014-09-22 02:39:37
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio あ、アメリカ人でした…。その「抜け抜けという」芸のせいで、イギリス人と勘違いしてたw

2014-09-22 02:40:53

"危険な思想家"北一輝

司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei そう考えるとやはり、この時代の最も先鋭な明治体制への批判者が北一輝であったことは、やはり無視できないですね。北こそ本質的な意味でコミュニストとは比較にならない「危険な思想家」だった。

2014-09-22 02:36:39
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 日本に、本当の意味での革命を起こせる思想家だったのでしょうね。その思想をきちんと理解した弟子や軍人があまりいなかったのは、幸運だったのか不幸だったのか

2014-09-22 02:39:07
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 「明治維新によって国民国家が作られたのだ」は今読んでも空恐ろしい革命的レトリックですね。美濃部達吉ら体制派が彼の思想を無視したのは、結果として大きな誤謬だったと思います。

2014-09-22 02:47:08
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 戦後日本は北一輝の構想した「国民国家」のある種の具現ですから、北一輝の思想の中で戦後日本が取りこぼしたものは、今もなお置き捨てにできない部分があると思います。

2014-09-22 02:49:26
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 「金があるから七難隠れる」時代ではなくなってしまったから、「取りこぼし」が政治・社会的問題として表れてくる可能性は大きくなりつつあるかも知れませんね

2014-09-22 02:52:21
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei @endoucom 中南米の共和制国家とは違い「万世一系の」天皇がオーソライズの一方の極にあったのが、中断イベントの割り込みを容易にしたのですね。そのワイルドカードをハッキングして国民国家を進めようとしたのが北だったわけですが。

2014-09-22 02:54:43
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio @endoucom 天皇は近代化をオーソライズする極でもあり、反近代のオーソライズの極としても機能してしまったのか…

2014-09-22 02:55:54
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 北一輝の思想の恐ろしいところは、天皇や民族といった文化的アイデンティティすら徹底的に相対化し道具化した、シニカルなラディカリズムですね。その部分は逆に今日性を帯びる思想かもしれません。

2014-09-22 02:59:15
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei @endoucom 明治維新では「神武天皇の昔に還る」という宣言で、千五百年間積み重なった諸制度を破壊も断絶もなくチャラにしちゃったわけで。昔も今も、この国で有効な革命原理かつ反革命原理として機能するのは天皇だけだと思います。

2014-09-22 03:04:20
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei @endoucom むかし知人とヨタでクーデタをシミュレーションしたことがありますが、首相官邸や国会を押さえても、皇居を押さえないとあかんという結論になりました。陛下に駄目出しされたら形式上の合法性を獲得できず、革命の正当性も得られないので詰む。

2014-09-22 03:08:39
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio @endoucom それが機能するのは我々が意識的にせよ無意識的にせよ文化的アイデンティティーとして依存しているからで、その文化の中で育っていながら相対化できたというのは確かにすごい

2014-09-22 03:08:45
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio @endoucom 同時に、そこまで相対化してしまうのは現代でも困難だろうし、当時の同時代人が理解できなかったのもそのせいなんでしょうね

2014-09-22 03:09:57
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei @endoucom だから北の辞世「若殿に兜取られて負け戦」には突き放した凄みがあります。

2014-09-22 03:11:20
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio @endoucom 自分自身すらも、目的のために相対化しているような

2014-09-22 03:12:06
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei @endoucom 北一輝は明治天皇を崇拝してたようですが、それは万世一系の神話なぞではなくて、明治維新という国民国家革命の頭首とみなしていたからなんですね。それが北にとっての「天皇神話」だった。

2014-09-22 03:15:07
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio @endoucom だから昭和天皇は「若君」であって、神格化するような相手ではない。しかしその影響力は使えるから使う、と

2014-09-22 03:20:25
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei @endoucom 北は彼が「クラゲの研究家」と呼んだ天皇が、青年将校が機関説を物理的に破壊した瞬間、意思を持つ君主として振る舞うとは予想していなかったのでしょう。自分が道具視した天皇その人に敗れたのだということを、辞世で自嘲したわけです。

2014-09-22 03:32:36

※注:北一輝の辞世の句

「若殿に兜とられて負け戦」

若殿は昭和天皇。兜は軍の事。

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