医療クラスタの葛藤「胃ろう増設は何を意味するのか」

大仰なタイトルにしましたが、要は初めて医療クラスタの何人かの方々と、スイングした話題があったので、togetter初使用テストを兼ねて投稿してみます。
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ナツメ @natsume_214

@ine_ine0419 どの点を指して、生きているとは感じにくいと思っているのか分からなかったんだけど、面会がなくて意識もない中で、中心静脈栄養とか経鼻栄養で必要最低限の栄養を維持している人はいくらでもいるんじゃないかと。胃瘻に限った話じゃないよね、という。

2009-11-09 00:42:53
@ine419

@natsume_214 そういうことね。や、胃ろうは象徴的な意味で、中心静脈でも経鼻でもそう。

2009-11-09 00:45:25
@ine419

んー、この手の話は、まだ自分が看護師の立場で物を見れてないから、postが躊躇われるな。

2009-11-09 00:46:12
ナツメ @natsume_214

@ine_ine0419 なるほど、把握しました。意識があっても胃瘻造設して、嚥下訓練しながら、いつか口から食べられることを目指してる人もいるから、胃瘻自体のイメージが悪くなるのは嫌だなぁと思ったんだよ。

2009-11-09 00:49:05
ナツメ @natsume_214

@ine_ine0419 それに何というか、面会に来る人もいない、意識もない人を、医療従事者が生きていると思えないなら、その人は本当に社会的に死んでしまう気がする。でもそう思ってしまうのも分かる。何のための医療なのかと思うことは多々ある。

2009-11-09 00:52:58
@ine419

「その人らしく」が医療のキーワードだと思うけど、少なくとも終末期にある人が、意識のない状態で、体外からの栄養に頼るのは「その人らしく」、なのか。しかも、その人以外に「その人らしく」を担保できる「家族」との関係性が薄いと、余計にそう考える。

2009-11-09 00:49:09
@ine419

@natsume_214 回復が見込める人の胃ろうは、イメージ悪くなったりしないでしょ。でも、今のバイト先でも、大部屋にズラッと経管ボトルがぶら下がってる絵は、よくよく考えるといいもんではないよなぁ、とね。そのうちの半分くらいは意識ないし。面会は比較的よくあるのが救い。

2009-11-09 00:54:53
ナツメ @natsume_214

@ine_ine0419 いや、患者さんとか家族の中には、色々聞きかじって、「注射ならいいけど胃瘻は嫌」っていう人もいるんだって。宗教とか以外でも、「胃に穴を開けてまで…」と言ってやむなくCV,

2009-11-09 00:58:36
@ine419

@natsume_214 ごめん、ゴチャゴチャしてきたからreplyとかを整理。胃ろうが感覚的に受け入れがたいって人は確かに多そう。

2009-11-09 01:03:56
@BENchan1go

「胃瘻=経口摂取永久中止」ですが、意識障害が強くても3割の患者は食べられるようになったりします。食べると意識レベルも少し上がり、まだ生きているとわかります。 RT @innkyo: @vitzy2009 はい,理解してます。寝たきりで意識もない、ただ生かすほうが本当は残酷です。

2009-11-09 01:04:02
Daisak @vitzy2009

@BENchan1go 僅かに上がった意識レベルにどこまでの社会性を感じるかは哲学や倫理の問題でしょうか RT: 意識障害が強くても3割の患者は食べられるようになったりします。食べると意識レベルも少し上がり、まだ生きているとわかります。 RT @innkyo

2009-11-09 01:16:51
@BENchan1go

@vitzy2009 私も社会性は感じませんが、胃瘻入れて、ただ寝かしているよりはましかと思っています。食べられるって良いことです。死に時を、医師と家族だけでは決められない時代ですから、やれることをするだけと割り切っています。

2009-11-09 01:23:08
@BENchan1go

家族と話し合った結果、胃瘻を入れずに看取るべき思ったら、急性期であろうと在宅であろうと看取ればいい。看取ることができなければ、胃瘻。国民的な議論なくして、看取りはできない事の方がはるかに多いと思う。

2009-11-09 01:42:41
@ine419

昔は医療と宗教って一体だったから、医療者の使命ってそのまま宗教的な愛とかに支えられてたと思う。だから、そこには人に奉仕する喜びだとか、普通の人がやりたがらない仕事を進んでやる使命とかがあって、それが(どんな状態でも)患者を受け入れることに繋がってた。

2009-11-09 01:05:15
ナツメ @natsume_214

この人は本当にこんな処置を望んでいるのか、と考えるのは非常に大事なことだと思う。自分の看護はこれでいいのかと振り返るのは、どんだけベテランになっても必要なことだと思うけど、その人が生きていることに医療者が確信を持たないと、本当に何をやってるのか分からなくなるように思う。

2009-11-09 01:01:46
ナツメ @natsume_214

@ine_ine0419 まぁ、そう考えていくと「その人の意思」というのも結構疑わしいもんだよね。「受け入れがたい」と本人が思うのか、家族か誰か近しい人がそう思ってるのか。

2009-11-09 01:10:21
@ine419

@natsume_214 俺もさっきから「意識のある」「ない」っていう線引きのラインでこだわってるけど、その人の意思だって、その状況になる前と後じゃ違うことも多々あるだろうしね。表明できないだけで。

2009-11-09 01:17:36
Daisak @vitzy2009

@ine_ine0419 意思のある人と意識のない人は分けて考える必要があるけど、大事な感情だと思いますよ。

2009-11-09 01:04:33
ナツメ @natsume_214

@ine_ine0419 うん、脳死の問題にしたって、法的に認められるか認められないかで後押しされたり尻込みしたり、色々だと思う。でも今のところ、意識のあるなしっていう絶対的な基準を引かないと先に進めないのも事実

2009-11-09 01:19:46
Daisak @vitzy2009

そう達観されている方が実際には少ないんですよね。身近に死が遠ざけられた弊害でしょうか。 RT @innkyo: @vitzy2009 はい,理解してます。寝たきりで意識もない、ただ生かすほうが本当は残酷です。

2009-11-09 00:58:10
@ine419

@natsume_214 「その人自身が責任を取れない状況」になった時に、じゃあ誰が責任を取るかって話だよね。家族も、医療者も、みんなが重たいと思ってるだろうし、本当は宗教がやるべきなんだけど、今そんな力ねぇな、っていう。

2009-11-09 01:23:56
ナツメ @natsume_214

@ine_ine0419 うん、結局誰のため、何のためにやってるんだろうと思いながら、内出血だらけの手に針刺したり…とかいう光景は実習でもよく見る。「生きている」ということを絶対的な善にしないとやってられない。

2009-11-09 01:26:36