琉球の歴史書 中山世鑑 と源為朝伝説

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中山世鑑と源為朝伝説

森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

鎮西八郎為朝、九州で暴れ回っておおかた平定したのは13歳から15歳にかけて。いわゆる神童系のヒーローです。『椿説弓張月』の主人公。民間伝承では、その子、尊敦(たかあつ)は初代琉球王・舜天王となったと言われます。

2012-04-24 23:48:30
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

鎮西八郎為朝の琉球渡り伝説についてのメモ。文字として最初に現れるのは『鶴翁字銘井序』で、16世紀の臨済僧・月舟寿桂が、鶴翁智仙という琉球出身の僧から聞いた話と共に、「相伝へて曰く」として「走赴琉球、駆役鬼神、為創業主」とする伝説を、半ば疑わしい話として紹介している。

2012-09-18 15:03:50
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

為朝伝説が形をとり始めたのは、15世紀末に即位した尚清王の時代であったように思われる。明国と日本の間で危ういパワーバランスの上に立っていた琉球王国が、源氏(すなわち日本の皇統)との繋がりを持ち出して、日本との繋がりを深めようとしていたのかも知れない。

2012-09-18 15:06:56
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

なお、「てだ一郎子が てだ八郎子が」というフレーズが存在することで、為朝渡琉説の根拠として持ち出される琉球古謡集『おもろさうし』の編纂が始まったのも、尚清王の時代である。

2012-09-18 15:08:29
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

17世紀半ばになると、琉球王国の正史『中山世鑑』にはっきりと、琉球王家尚氏の先祖として源為朝の名が掲げられている。伊豆大島を脱出した為朝が嵐に遭って今帰仁に漂着し、「運を天に任せた」ことからその地は運天港と呼ばれるようになった--といったエピソード。

2012-09-18 15:12:00

参考

∞音∞ a.k.a. 風*月(𝕗𝕦𝕙𝕘𝕖𝕥𝕤𝕦)𓆈 @fuhgetsu

琉球処分とは。 1872年、明治政府は鹿児島県管轄の琉球藩を設置。 宜湾朝保は源為朝伝説を元に日琉同祖論を主張。 日本に従属しながら、琉球国最後の尚泰王を継続させ、清国との冊封関係も続けた。 1876年8月6日、宜湾朝保が死去。 1879年に沖縄県が設置され、琉球王朝が終焉する。

2014-08-06 18:02:20