『福島県南相馬市〜孤立無援の街で生き抜く〜』

NHKの番組紹介文より。 「福島県南相馬市は、福島第一原発の事故の際に20キロから30キロ圏に出された屋内退避指示のため、放射能汚染地域とみなされ、一切の物資が入ってこなくなった。当時、市内には5万人の市民が残っており、たちまち食料、生活物資、燃料の窮乏に苦しむことになる。孤立無援の人々を助けたのは、避難をあきらめて店を開け続けた鮮魚店主や、市の要請を受けて避難先から戻り支援物資を運んだ運送業者ら南相馬の市民たちだった。番組では、津波に続く原発事故で危機感が高まり屋内避難指示に至る南相馬で、深刻な物不足の中、人々がいかに生き抜いていったかを証言で綴る」
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まど🙋DBS @mama_jp

「段ボール1つだったりとかあとは袋一杯のお米だったりとか、そういう個人の方から送っていただいた物資が目に入ったので、まだ大丈夫なのかなと。忘れられてはいないのかなというふうな感じはしました。日本全国の方がそういう手助けをしていただいたので、ありがたいなと思って」

2014-09-29 23:21:23
まど🙋DBS @mama_jp

上田さんは相馬市と南相馬市の往復を繰り返した。物資を運んだ先は、南相馬市の集積所小川町体育館。(体育館の半分以上のスペース)このぐらいまではもう、ずっと物資が通路が3本くらいありました。物資はすぐに体育館いっぱいに。配給所には長蛇の列

2014-09-29 23:24:11
まど🙋DBS @mama_jp

上田さん達が運んだ物資が、町に残らざるをえなかった人たちの命を支えた。上田さん「困っている人、動けない人のところに何とか届けなきゃいけないと」

2014-09-29 23:27:20
まど🙋DBS @mama_jp

「普通の人間であれば移動するか避難をするか残るかっていう判断は自分で出来ますけど、体の不自由な方とかそういう方は自力で移動するっていうのがなかなか難しいということで。避難できないんだって言って残ると決めた方もいらっしゃるようなので。でもそれに食料品を届けない訳にはいかないと」

2014-09-29 23:28:41

4月22日屋内退避指示解除

まど🙋DBS @mama_jp

配給品を頼りに南相馬市民は1ヶ月以上物資不足の日々を耐え忍んだ2011年4月22日。枝野官房長官「これまでの屋内退避の指示は解除致します。物資輸送等に関わる皆さんにおきましては、是非しっかりと関係物資生活関連物資等の当該地域への運送運搬についてご対応宜しくお願い申しあげます」

2014-09-29 23:33:53
まど🙋DBS @mama_jp

遮断されていた南相馬市への物流が38日ぶりに回復し、町に人が戻って来た。今も相馬市の卸売市場に通い、魚を買い付けている山田護さん。物流が復活し始めた時の気持ちを忘れることはない。「日ごとにどんどん支援物資が入って来ましたから。当時は。もう魚関係も徐々に量が増えていきましたからね」

2014-09-29 23:37:12
まど🙋DBS @mama_jp

これなら何とかなるとも思いましたね。みんな一生懸命だから(南相馬市は)復活すると思います。そう信じないと残った人、希望無くしちゃいますね。だから信じて、必ず復活しますよ。15年後に来てください」今、南相馬市の人口はおよそ5万人。震災前より2万人減ったまま

2014-09-29 23:40:02
まど🙋DBS @mama_jp

原発事故等の深刻な災害が起きたとき、屋内退避地域への支援をどうするか。南相馬市が投げかける未来への宿題です。(終)

2014-09-29 23:41:49
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