『福島県南相馬市〜孤立無援の街で生き抜く〜』
「段ボール1つだったりとかあとは袋一杯のお米だったりとか、そういう個人の方から送っていただいた物資が目に入ったので、まだ大丈夫なのかなと。忘れられてはいないのかなというふうな感じはしました。日本全国の方がそういう手助けをしていただいたので、ありがたいなと思って」
2014-09-29 23:21:23上田さんは相馬市と南相馬市の往復を繰り返した。物資を運んだ先は、南相馬市の集積所小川町体育館。(体育館の半分以上のスペース)このぐらいまではもう、ずっと物資が通路が3本くらいありました。物資はすぐに体育館いっぱいに。配給所には長蛇の列。
2014-09-29 23:24:11上田さん達が運んだ物資が、町に残らざるをえなかった人たちの命を支えた。上田さん「困っている人、動けない人のところに何とか届けなきゃいけないと」
2014-09-29 23:27:20「普通の人間であれば移動するか避難をするか残るかっていう判断は自分で出来ますけど、体の不自由な方とかそういう方は自力で移動するっていうのがなかなか難しいということで。避難できないんだって言って残ると決めた方もいらっしゃるようなので。でもそれに食料品を届けない訳にはいかないと」
2014-09-29 23:28:414月22日屋内退避指示解除
配給品を頼りに南相馬市民は1ヶ月以上物資不足の日々を耐え忍んだ。 2011年4月22日。枝野官房長官「これまでの屋内退避の指示は解除致します。物資輸送等に関わる皆さんにおきましては、是非しっかりと関係物資生活関連物資等の当該地域への運送運搬についてご対応宜しくお願い申しあげます」
2014-09-29 23:33:53遮断されていた南相馬市への物流が38日ぶりに回復し、町に人が戻って来た。今も相馬市の卸売市場に通い、魚を買い付けている山田護さん。物流が復活し始めた時の気持ちを忘れることはない。「日ごとにどんどん支援物資が入って来ましたから。当時は。もう魚関係も徐々に量が増えていきましたからね」
2014-09-29 23:37:12「これなら何とかなるとも思いましたね。みんな一生懸命だから(南相馬市は)復活すると思います。そう信じないと残った人、希望無くしちゃいますね。だから信じて、必ず復活しますよ。15年後に来てください」今、南相馬市の人口はおよそ5万人。震災前より2万人減ったまま。
2014-09-29 23:40:02