『福島県南相馬市〜孤立無援の街で生き抜く〜』
西谷地さん「このままでれば本当に生活が立ち行かなくなるのではないかということを、恐ろしいっていうふうな畏怖感を持ちながら感じました」
2014-09-29 22:02:19山田鮮魚店にはひっきりなしに電話が。妻和子さん「お店やってますか?何でもいいからもうあるのを売って下さいということで」護さん「とにかく食べ物が無いから何か無いかという 電話があったでしょう。それで、やるだけやるかと」。店を開けた山田さんは、冷蔵庫に残っている魚を連日売り続けた。
2014-09-29 22:04:57避難できない人々が店に行列を作った。お客は日増しに増えていく。お年寄りを抱えた人が多いと山田さんは感じていた。「若い人じゃなくて、年配。もう60代以上の方がほとんどじゃなかったですか。自分の家族がそうだから。たぶんよそもあるなとは感じていましたね」
2014-09-29 22:07:44食料不足は病院でも深刻だった。小野田看護師長「ここが給食室になります。ここで全部患者さんの給食を作っていたところなんですけれども」給食を作っていた業者が避難してしまっていたため、看護師達が食事を作ることに。しかし、新しい食材は補充されない。
2014-09-29 22:12:15小野田さん「何とか食料を少しでも調達できないかということで、院長先生自ら職員の畑に行ってネギを持って来たりとか、あとは院長先生も自分のご実家の畑から色々な野菜を取ってきたりとか、そういうのを実際にやってそれを材料にしたりとか」一食の量は半分に。鮭の切り身は職員が自宅から提供。
2014-09-29 22:15:58小野田さん「なんで物が入ってこないの?って。屋内退避って屋内でいていいっていうことなのに、そこで生活出来ないようなことっていうのはどういうことなんだろうねっていう。そういう疑問でみんないましたね。結局やれないじゃないって。そんなこと言ったら」
2014-09-29 22:18:32患者の命にかかわる医薬品も枯渇。太田医師「いちばん危機的に不足していくかなって思ったのは酸素ですね。震災が起こってから残り数日分しか残っていなかったんですね。やっぱり病気っていうのは酸素が必要な病気がどうしても多いので、酸素を自由に使えなくなってしまうと患者さんの命に直結する」
2014-09-29 22:22:06インスリンや血液製剤など治療に欠かせない薬も屋内退避指示以降、急激に減った。太田医師「他の病院とか薬局で対応していた物が、うちの病院に全部集まってきてしまうという形になりましたね。なので、特に薬に関しては他の病院でもらっていた薬でもうちで何とか貰えないかという方が殺到しましたね」
2014-09-29 22:27:45太田医師「屋内退避という指示が住民の身を守る指示だと思うんですけど、やっぱりそれに即した支援がないとすごく孤立を招いたというか、孤立という言い方よりは、ただ外部と隔絶させただけっていう意味合いがまず先行してしまったっかなとは非常に思いますけどね」
2014-09-29 22:30:073月16日とそれ以降。
3月16日。ニュース番組に南相馬市の桜井市長が電話出演し、物資不足の実情を訴えた。市長「物資が、ガソリン生活物資が本当に入って来ません。30km以内に屋内退避の指示が出ても、30kmの外でもう交通規制がかかっているんですよ。だからほとんど我々物資尽きます。このままでは」
2014-09-29 22:33:11市役所では連日災害対策本部会議が開かれ、市民を窮状から救う方策が話し合われた。西谷地さん「家の中にとどまっていろという風なことの指示でしたのですが、食料も生活物資も市内から調達できない。ですから、市民の方からこういう所から脱しないといけないんじゃないかという思いはしてました」
2014-09-29 22:37:22「バスをチャーターをして、市外・県外の方に避難させるという独自の計画を立て始めたのがその頃だと思いますね」しかし、問題が。車を動かすガソリンがない。市内のガソリンスタンドは手持ちのガソリンを売りつくして休業状態。タンクローリーは30km圏内に入ってきてくれない。
2014-09-29 22:40:12「もうガソリン不足は食糧不足と同じように、あるいはそれ以上に顕著だったと思います。それは分かってました」 南相馬市から60km離れた郡山市。その頃、南相馬市の要請で政府が用意したタンクローリーが4台到着していた。関東から運んで来た運転手は放射能を恐れ、郡山市で車を降りてしまった。
2014-09-29 22:44:33タンクローリーを南相馬市まで運ぶには、新たな運転手と危険物取り扱い免許を持っている人が必要だった。危険物取り扱い者として市から依頼を受けたのは、南相馬市でガソリンスタンドを営む若盛かほるさん。「危険物(免許)持っているのは私なので、市の職員というか迎えに来てくれた方がいたので」
2014-09-29 22:48:12「乗って下さいと言われたので、乗って郡山に向かいました」郡山市から南相馬市に向かうには難所と言われる八木沢峠が。その夜、山道に雪がつもって危険な状態になっていた。関東からきた車は雪道用のタイヤを装着しておらず。峠を下る時にはじめてその事実を知る。
2014-09-29 22:51:33「しがみついて怖いので。こう揺れるし。もう真っ暗だし。もう雪だし。もう周りが見えないし。何にも。でも慎重にお願いしますみたいな感じで」急カーブが続く道でブレーキを使うと、車はスリップしてしまう。運転手は時速20kmでゆっくりと雪の山道を下る。
2014-09-29 22:54:49若盛さん「そのままもう崖っていうか、山の落っこっていくだけだから。突っ切ってガードレール落っこっていくだけだからもう本当に怖かったです」運ばれたガソリンは南相馬市内のガソリンスタンドに配られ、車1台につき10ℓずつ無料で配給。南相馬市に閉じ込められていた人々はこのガソリンで脱出。
2014-09-29 23:00:26車がない市民は、市が用意したバスで市外、県外の避難所に。3月20日までに3万人以上が町を離れていった。市立病院に残っていた107人の入院患者も、自衛隊によって全員移送された。一部の患者は相馬港に停泊した巡視船からドクターヘリで青森の病院に搬送されていった。
2014-09-29 23:04:05入院患者がいなくなっても看護師長の小野田さんは南相馬市から避難しなかった。「入院患者さんはゼロになりましたけど、町にまだその当時残っている住民がいるんだから、院長先生のお考えとしては外来を閉める訳にはいかないと」
2014-09-29 23:07:43「今まで目一杯やってきて、ちょっとゴールが見えて、ここまで患者全搬送すればちょっと自分たちも休めるかなとは正直思いましたけど、やはり開いてみれば毎日120人ぐらいの人がいらっしゃる訳で、それだけ困っている人がいるのに、はいじゃあ閉めますっていう訳にはやっぱりいかなかったので」
2014-09-29 23:09:48「正直がっかりもしましたけど、あまりがっかりしている暇もなく、また新たな処方箋とかの対応になった感じですね」 市内に残った人はおよそ1万人といわれる。その3割は寝たきり等介護を必要としている人と、その世話をしている人だったと推測されている。
2014-09-29 23:13:10市は、残された人々の為の生活物資を集める計画を立てる。HPに支援物資の送り先として相馬市の卸売市場の住所をしるし、そちらに送ってもらうよう全国の人に呼びかけた。相馬市の市場が30km圏外にある。南相馬市までは物資を運ばない業者もここまでなら物資を運んでくれる。
2014-09-29 23:15:48集まった物資を南相馬市からトラックで取りに行くという仕組み。南相馬市からの依頼を受けて、物資を運んだのは、福島市に避難していた運送業者上田さん。「自分の生まれた所でもありますし、育った所でもありますし、一刻でも早く市民の人に届けたいという思いでお受けしました」
2014-09-29 23:18:49