『福島県南相馬市〜孤立無援の街で生き抜く〜』

NHKの番組紹介文より。 「福島県南相馬市は、福島第一原発の事故の際に20キロから30キロ圏に出された屋内退避指示のため、放射能汚染地域とみなされ、一切の物資が入ってこなくなった。当時、市内には5万人の市民が残っており、たちまち食料、生活物資、燃料の窮乏に苦しむことになる。孤立無援の人々を助けたのは、避難をあきらめて店を開け続けた鮮魚店主や、市の要請を受けて避難先から戻り支援物資を運んだ運送業者ら南相馬の市民たちだった。番組では、津波に続く原発事故で危機感が高まり屋内避難指示に至る南相馬で、深刻な物不足の中、人々がいかに生き抜いていったかを証言で綴る」
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まど🙋DBS @mama_jp

屋内の値は屋外の3分の1程度。その当時、どれくらいの値が健康被害をもたらすのか、病院の医師でも分かっていませんでした。太田医師「病院って言う頑丈な建物の中にいて、いればある程度は大丈夫なのかなっていうのは感じられていましたね」

2014-09-28 21:44:22
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放射能への恐怖から、南相馬市を脱出する人もいた。運送会社経営の上田さん。妻と三人の子どもを守るため、福島市に避難することに。「娘の携帯に大変なことになっていると。原子力(格納容器?)の底に穴が開いて、もう下まで抜けちゃっているよ、と。もう逃げた方がいいとか死んじゃうよ、と」

2014-09-28 21:48:44
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妻和枝さん「私たちも逃げなくて大丈夫なの?と言う事で何回も娘の方から『どっか行こう、逃げよう』と言うような話はされましたね」 上田さん「娘達がこれから僕たちより長い人生がありますので。影響があるのであれば、一時この場を離れてまあ少しでもいい環境にした方がいいのかなと思って」

2014-09-28 21:51:57
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福島市に向かう途中、上田さんは町に人がいないことに気づく。「駐車場には車が1台も無いくらいの状況になっていましたね。閉店していますよと言わんばかりにシャッターが全て閉まって。人けの無いような感じになっていました」大型店のほとんどは12日夜、店を閉めた。商品はあっても従業員が避難

2014-09-28 21:56:21
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商店街も閑散。「従業員さんが避難なされていたので。大手に関わらず、商店街もシャッターが閉まった状態になっていましたけど。(今のように)こんなに交通量も無かったですし。もちろんこういう人けなんていうのは一切無い状態だったので。

2014-09-28 21:58:54

3月13日

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翌13日早朝。山田家(鮮魚店)の扉が激しく叩かれた。そこには、原発で働く親戚の男性二人が。長男「出てみたんですけど、そしたらいきなり『原発危ないよ。もうヤバいから避難した方がいいよ』って感じで。それだけ一言二言いってすぐ帰っちゃいましたね。走り去っていったんです

2014-09-28 22:02:20
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「これはちょっとただ事じゃないなと思って。そこで色々嫁と相談して」真人さんには、妻と五人の子どもが。子どもへの放射能の影響を心配し真人さんは避難を決意。しかし、護さんは避難を拒んだ。寝たきりの自分の母親。同じく原発事故後避難してきていた寝たきりの妻の父親を連れて逃げる訳にいかず。

2014-09-28 22:07:47
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護さん「やっぱりね。寝たきりの介護人が2人もいると、簡単にホイ来たとは…避難するってどこに行くんだっての。目的はどこなんだって。どの家に誰の家に世話になるんだということが先に浮かぶでしょ」

2014-09-28 22:11:29
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「私の考えですけど、行った先でも寝たきりの老人2人も連れて来て口には出さないけど、いい思いしないはずですね。かえって迷惑かけちゃう。それならここで、どんな被害にあったって、いたら人に迷惑は掛けないしと。大変ですもん。2人も寝たきりの老人抱えて。移動するのにも、食事させるのにも」

2014-09-28 22:15:21

3月14日

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「介護するのにも、これは並大抵じゃないですよ」 山田家は、寝たきりのお年寄り二人と共に残る護さん夫婦と、避難する真人さん一家に別れることに。 3月14日。三号機建屋が水素爆発。その様子を市立病院スタッフはTVで観ていた。太田医師「核爆発がついに起こったという風に捉えましたね

2014-09-28 22:20:17
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「原子力爆弾とかそういったキノコ雲っぽく爆発したのをそうやって捉えてしまって。ここもついにダメだねという話は聞こえてきました。本当にやばい、危なくなったねっていう話ですね。もう逃げた方がいいんじゃないかという話も出ていましたね」 30分後。院長が病院のスタッフ全員に集合を命じた

2014-09-28 22:23:18
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このままでは命の保証はできないので、避難するか残るかはそれぞれの判断に任せる、と。小野田看護師長「ワーッというか。それぞれ隣にいた人とどうする?みたいな。そういう風な…なんていうんだろう我に返るというか、逃げなきゃっていう。ガヤガヤっていうそういう感じになったのを記憶してます」

2014-09-28 22:27:14
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「結構限界のところまで皆精一杯の事をしていたので…どこまで続くんだろうっていう不安と、要するに家に一度も帰れない人もいましたし、自分達の身の安全っていうか本当にこの場に留まっていても大丈夫なのかっていうのは。仕事はしなきゃいけない。でも自分たちとか家族は大丈夫なのかっていうのは」

2014-09-28 22:32:37
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「常にあったと思いますよ。原発が爆発してから」スタッフおよそ250人のうち、150人ほどが避難を選んだ。小さな子どもを持つ親が多かった為。小野田さんにも二人の子が。しかし、小野田さんは子ども達の避難を夫に託し、自分は病院に残ることを選ぶ。

2014-09-28 22:36:07
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小野田看護師長「救急外来の責任者ということで、逃げるとかっていう風には思わなかったですね。子ども達さえ助かれば。自分はどうなってもいいやっていう」 同じ日の夜、運送会社の上田さんは会社に置いて来たトラックをとりに福島市から南相馬に向かっていた。そこで異様な光景を目撃した。

2014-09-28 22:39:16
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上田さん「このあたりで南相馬に向かうのに、警察官の方に止められました」路肩に停めたパトカーから出てきた警察官が上田さんに警告。「『危険ですので南相馬の方には入らない方がいいんじゃないですか』と言う事で

2014-09-28 22:43:22
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「自分の会社の物、また車両を確認したいというのと、車両を引き上げたいということで向かいたいと言ったら、『滞在時間が短いのでしたら気をつけてどうぞ』と言われました。もうすでにマスクとか防護服関係をお巡りさんの方が着用していましたので。昔サリン事件があったようなそういう」

2014-09-28 22:46:56

3月15日

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3月15日午前11時。政府は決定的な指示を出す。枝野官房長官「20kmから30kmの圏内にいらっしゃる皆さんには外出することなく建物など内部にいて頂きたいということをお願い申し上げます。是非その折には窓を閉めて頂き、気密性を高めて頂きたい」

2014-09-28 22:52:03
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20km〜30kmの屋内退避指示により、南相馬市は放射能汚染地域と見なされるように。物資を運ぶトラックは一切入って来なくなった。その時、南相馬市には5万人が残っていた。物流が完全に遮断され、食料、ガソリン、生活用品、何もかもが急速になくなっていった。

2014-09-28 22:54:42
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南相馬市支援物資担当者だった西谷地さん。「ここは小川町体育館と言いまして、3月11日の発災以降被災者支援の物資をここでいったん備蓄をして、被災者の避難所に配給するそういう施設でございました」西屋地さんは屋内退避指示以降、物資の搬入を運送会社に断られ続けていた

2014-09-29 21:54:01
まど🙋DBS @mama_jp

会社の指示ですから入りません。入れません、と。あと民間と言いますか自治体も含めてだったと思うのですが、やっぱり支援物資を運んだ運送会社が依頼者の意思はこの被災地までだったんでしょうけど、途中で止まってそこから行けないという連絡が入ったのもありますし」

2014-09-29 21:56:55
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西谷地さん「原子力災害の放射線による被害よりも、このままだと食料不足による被害の方が時間をそれほど要せずして起きるじゃないかって私危機感じましたので。本当に餓死者が出るぐらいの物資不足の状況だったという感じがします」

2014-09-29 22:00:34