社会運動に「意見する」こと、その「マナー」そして「覚悟」

あなたはお客様ではない。
56
WKT @msadralapse

「それだと暴力的だから中間層を遠ざけて運動が広がらない」話の再燃を見て、二つ思っていた。一つは「暴力的」について。もう一つは「中間層」という観念について。

2014-10-01 01:01:13
WKT @msadralapse

「暴力的なのでは」という懸念の表明は、謙遜で柔和な態度で述べられても、相手の言論に「圧力」をかける行為です。ルール違反だよという指摘は、とりあえずプレイ中止をというアピールだから。

2014-10-01 01:07:23
WKT @msadralapse

「悪に加担しているのでは」系の懸念の表明も同じ。とりあえず繊細な懸念をお伝えします、という柔和な態度でも、やっていることは圧力行為です。ときに、実際に暴力だったり悪に加担している場合もあるので、圧力は言論の一種として必要。ただ自分の側にも相当の覚悟が必要で、それを欠く場合が多い。

2014-10-01 01:10:03
WKT @msadralapse

ひとに「それは暴力的では」とか「悪に加担しているのでは」と指摘するなら、まず、ほんとうに相手の発言などが他者から発言の機会を奪うという意味で暴力的なのかどうか、悪に加担している客観的事実があるのかどうかの確認が、最低限のマナー。

2014-10-01 01:11:52
WKT @msadralapse

個人的な印象で、他人の活動や言動を「暴力的では」と言うとき、そうした最低限の事実確認も応答責任もないまま、繊細な懸念をあえてお伝えしただけです、といった柔和な態度だけとるのは、言論のマナーとして最悪であり、それこそルール違反です。

2014-10-01 01:13:25
WKT @msadralapse

つぎに「中間層」について。「中間層」というのは、それを引き合いに出すことで自分の行動に正当性を作るような、「語り方の政治」に属する単語です。にもかかわらず、イノセントに、客観的な対象だと思い込んで語る人が多い印象。

2014-10-01 01:17:28
WKT @msadralapse

社会活動に共感のある人に限って、「中間層」をナイーヴに(戦略的にではなく)「代弁」したり、想定してしまう。しかし「中間層」のイメージは、人によって驚くほど違う。実際には、自分の身近な人たちで、運動の周縁付近で迷っているあたりを「中間」だと思っていることが多い。

2014-10-01 01:22:33
WKT @msadralapse

自分の想定する「中間層」とか「広い社会」を一般化して、「それでは中間層に伝わらない」と言うのは、「自分が引き寄せたい人たちを優先的に引き寄せさせてほしい」という意味。ならば、運動にとってのそのメリットを説明すべし。正しい場合もある。

2014-10-01 01:25:40
WKT @msadralapse

以上、社会運動に対して「暴力的」とか「中間層」といった単語を投げ掛ける場合、その発言自体が相当の「圧力」や「戦略性」を伴わざるをえない語り方であり、相当に厳しい説明/応答責任を求められるということに自覚のない人が多いという話。

2014-10-01 01:29:45
WKT @msadralapse

この自覚なく、運動に夢中の人たちに対して自分は冷静に広い視野を持ち、比較的中立的な立場から云々、、と本気で感じている人が少なくない気がする。これが自分には理解できない。

2014-10-01 01:31:12
WKT @msadralapse

おそらく社会のポストモダン化(要するに徹底的な多様化)に感覚がついてきてなくて、「世間」にアクセスできると思っているからだろう。ところが「暴力的だ」「中間層に避けられる」と言うひとに限って、自分は旧い社会運動より洗練された意識を持っているとか思ってしまっている場合が多い。

2014-10-01 01:33:21
WKT @msadralapse

とにかく、「それだと暴力的だから中間層を遠ざける」系の発言をするなら、自分が一種の圧力行為(たぶん本人の基準でいえば「暴力」)をやろうとしており、どの層を動かすべきかに関する自分の戦略的判断について高度の説明責任を求められるということを理解してほしい。

2014-10-01 01:36:37
WKT @msadralapse

これは、だからするな、という意味ではなく、むしろ、そういう前提で言い争えばよい。多数者の感性を代弁するというのは、政治的な行為です。客観的な話ではありえない。自分が一方的に「懸念」を抱く側に立てるわけではない。政治的な責任をともなう行為です。

2014-10-01 01:40:04
WKT @msadralapse

ネオナチへの共感を隠せない人々を国政の要職につけてしまっている社会には、「世間」「中間層」といったバランス維持機能はもはや存在していない。運動の「大衆的」広がりとか、「多数者」性というのは、新たに、政治的に創出すべきもの。あらかじめアクセスできる「バランスのいい人」はいない。

2014-10-01 01:57:06
WKT @msadralapse

怒りとか力の表現って、まず恐怖を取り除くことで、ものを考えられるようにする作用がある。だからその機会を他人から奪ってはいけない。

2014-10-01 01:59:06
WKT @msadralapse

政治は、自分にとって大事なことが、自分の知らないところで決まっていたとか、自分で決めていると思っていたことの大半が、社会の仕組みによってそう思わされていただけだと気付くことから始まる。気付くには、声を出せなくしていた恐怖感や、上下意識を破壊しないといけない。怒りの役割。

2014-10-01 02:01:39
WKT @msadralapse

他人から、怒りの公共的な表出の機会を奪うというのも、政治的な行為。

2014-10-01 02:02:32
C.H.A.R a.k.a. どぅーどぅる @TriflingDoodle

ファシストに抵抗する人間の言葉の揚げ足をとり、抵抗する力を削ぐことの暴力性を考えてみたい。

2014-09-30 14:51:29
WKT @msadralapse

とにかく、覚悟なく、政治性の自覚なく、冷静とか中立とか思いこむ習慣は、意味ない。

2014-10-01 02:03:04
WKT @msadralapse

夕べ、「中間層」は存在しない、という趣旨の話をしたけど、一方で、それぞれの「業界」に対して、その業界に関わらない普通の人という意味での相対的な中間層は、当然ある。たとえば、おれはファッション界に対しては「ふつうの人」。

2014-10-01 13:35:03
WKT @msadralapse

ラガーフェルドが70年代をモチーフにしたデモ風のショーをやったという記事、 「それでも最も大きなノイズを作り出したのは(デモ風の小道具でなく)服だった」がみそ。"it was still the clothes that made the most noise."

2014-10-01 13:36:08
WKT @msadralapse

デモに対して「中間層に配慮を」系の話はあまり説得力がないことが多いんだけど、一方で、社会運動に共感してる人、共感したくてうずうずしてる人たちのなかには、文化の何らかの専門分野に関わっていて、そこが変わればマスカルチャーもかなり変わるのに、と思ってる人たちがいる。

2014-10-01 13:38:21
WKT @msadralapse

音楽、ファッション、ゲーム、スポーツ、学問、建築、、なんでもいいけど、自分が職業的に関わってる分野があったり、素人でも好きでお金使ってる分野がある人は、その界隈で「政治」や「民主主義」が動き出せば、マスカルチャーが変わると知っている。ニッチなんだけど、社会的波及効果が大きい。

2014-10-01 13:42:20
WKT @msadralapse

そういう人の専門的な分野での戦いは、いろいろな事情で「ふつうの人」には伝わらない。結果で示すしかない。しかも、その「結果」は、各専門分野の非政治的な基準に照らしてエクセレントだから認められているようなものでなければいけない。政治的ならそれでいいわけではない。

2014-10-01 13:53:52
WKT @msadralapse

で、文化の専門的な分野とか、何らかの界隈で変化を起こすとき、「ふつうの人たち」のサポートが必要だったり、ちょっと意識の高い「ふつうの人たち」に先にわかってもらうと助かったりする場合がある。ところが、「ふつう」から見ると、関係ない感じに見えるので、支持が得られなかったり。

2014-10-01 13:56:18