Ontake 2014 Death Toll

・死者    57 (即死20、外傷性ショック死34、気道熱傷1、毎日新聞10月10日による) ・行方不明  6 ・負傷者   69 (長野県側59、岐阜県側10)  ヘリコプターによる吊り上げは26人。うち23人は陸上自衛隊UH60JAによる。
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

「警察関係者によると、55人の中には、大きな噴石が頭や首に当たったことが致命傷となった人のほか、小さな噴石で体中に多数の傷を負った人もいた。警察幹部は「無数の小さな噴石が銃弾のように飛び交った状況がうかがえる」とみる。背後から噴石を受けた人が多いのも特徴だという。」

2014-10-27 08:29:34

御嶽山の犠牲者9割が即死、半数は噴石直撃か 遺体調査
岡崎明子2014年10月27日07時41分

 57人が死亡、6人が行方不明となった御嶽山(おんたけさん、長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火で、信州大の浅村英樹教授(法医学)は、長野県警の依頼で40人の死体検案を統括した。半数以上が頭に噴石を受けた痕があり、約9割が即死とみられることが分かった。

 浅村教授によると、致命的な外傷が複数ある「多発外傷」と、頭にのみ致命傷がある「頭蓋(ずがい)内損傷」などが大半を占めた。後頭部や首の後ろに外傷が集中し、逃げようとして噴石を受けたと推察された。

 頭を守った際にできたと思われる手の甲の傷も多くあった。即死でない数人は胃や気道の内視鏡検査で外傷によるショック死や気道熱傷死と判断された。死因が有毒ガスの人はいなかった。

 浅村教授は「噴石の衝撃が極めて強かった。火口からの距離と傷の状況を分析し、将来の噴火対策に役立ててほしい」と話す。(岡崎明子)

■「無数の小さな噴石、銃弾のように」

 亡くなった57人について、警察は55人が損傷死、1人が熱傷死、1人が死因不詳としている。

 警察関係者によると、55人の中には、大きな噴石が頭や首に当たったことが致命傷となった人のほか、小さな噴石で体中に多数の傷を負った人もいた。警察幹部は「無数の小さな噴石が銃弾のように飛び交った状況がうかがえる」とみる。背後から噴石を受けた人が多いのも特徴だという。

 山小屋の軒下や岩陰で見つかった人もいる。一方で、山頂付近の山小屋は屋根を噴石に貫かれたが、これによる死者は確認されていない。山小屋内で1人亡くなっていたが、外で受傷した後に逃げ込んだとみられるという。

早川由紀夫 @HayakawaYukio

「28日、、9・5合目の王滝頂上山荘に向かった。中にいた6人は布団の中でぐったりしており、噴石の直撃を受けたとみられるけがで5人は歩けない状態だったが、「みんな救助隊員を見てほっとした様子だった」という。」信濃毎日 shinmai.co.jp/news/20141026/…

2014-10-27 09:22:19
早川由紀夫 @HayakawaYukio

御嶽山噴火 広い山腹に突如猛威 八丁ダルミの惨状証言 shinmai.co.jp/news/20141027/…

2014-10-27 11:46:07

御嶽山噴火 広い山腹に突如猛威 八丁ダルミの惨状証言
10月27日(月)

 遮るものがない広い斜面を行き交う登山者に、噴煙と熱風、噴石が襲いかかった―。御嶽山の噴火犠牲者57人のうち、16人が死亡した「八丁ダルミ」の噴火前後の様子が、複数の生還者の証言で明らかになりつつある。東大地震研究所(東京)の分析によると、噴火口の東に当たる八丁ダルミには、33人が亡くなった山頂の剣ケ峰と同じように噴石が降ったとみられる。当時は剣ケ峰に向かう人、下山する人が大勢歩いており、点在する岩の陰に隠れたり、リュックで体を守ったりできたかどうかが生死を分けた。

 「大きな石も小屋もなくグラウンドのようだった」。計6人で八丁ダルミを登っていた「美ケ原高原パークボランティアの会」の会員で、松本市の会社員鈴木康夫さん(57)は八丁ダルミをこう表現する。仲間3人が死亡し、鈴木さんら3人も大けがをした。

 八丁ダルミは、田の原登山口(木曽郡王滝村)から2時間半ほどで着く王滝頂上を過ぎ、山頂に向かう最後の斜面。王滝頂上から山頂までは直線で500メートルほどだ。噴火した9月27日は天気が良く、鈴木さんは「大勢の登山者が追い越していった」という。

 午前11時52分の噴火直後、同会の別の男性は「噴煙に気付いて5秒ほどで熱風と噴石が来た」。男性はしゃがんで噴石に耐えたが、「痛さより熱風の熱さがすごかった」と言う。視界が開けると、約10メートル以内に仲間2人が倒れていた。1人は首の辺りから出血していた。

 石川県小松市の団体職員中西幸一さん(64)は、八丁ダルミを下っていた。噴火に気付いて走りだしたが、10~20歩で噴煙に巻き込まれた。真っ暗な中で斜面に伏せ、リュックを盾にうずくまった。

 「噴火口の方から『ゴー』という低い音の後に火山灰が降り、『コーン』という高い音の後に噴石が落ちてきた」。「ゴー」「コーン」という音は交互に響き続けた。

 中西さんの口内は火山灰で固まり、鼻の穴も埋まったが、地面近くの空気で呼吸した。膝の肉がえぐれ、肩甲骨が折れていたが、「助かったのは帽子をかぶり、大きめのリュックを盾にできたからかもしれない」と話した。

 山岳雑誌に記事を書いている松本市の垣外(かいと)富士男さん(63)は、八丁ダルミ下部にある「まごころの塔」の数十メートル上で噴煙に襲われた。4、5分前に塔の下で八丁ダルミを見上げて撮影した写真には、登山者が40人ほど写っていた。

 垣外さんは膝まで火山灰に埋まった。「高温サウナ」(垣外さん)のような熱風も押し寄せ、リュックのプラスチック製留め具が変形した。「数十センチ大」の噴石が地面に当たり、「ガシャン、ガシャン」という音が聞こえたという。

 1979(昭和54)年10月28日に御嶽山が歴史上初めて爆発した際、国立防災科学技術センター(現防災科学技術研究所)は調査報告書(80年3月)で、シェルターなどの緊急避難用設備が必要と指摘していた。だが、実行されずに多数の犠牲者が出た。

 山頂の剣ケ峰では山荘などに避難することもできたが、建物のない八丁ダルミでは登山者が噴石にさらされた。東大地震研が上空からの写真で調べたところ、八丁ダルミの北側半分以上では、剣ケ峰と同様に4メートル四方に10個以上の噴石の跡(直径10センチ以上)が確認された。

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