- Zimmyisfakestar
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RT 鍵 本当の辛さは、大学院進学の瞬間ではなく、5年後や10年後に初めて実感を伴って理解される。自分がまだポスドクなのに、同期のトップランナーは早々に海外や国内大学のテニュアポストを取り、非アカデミアの友人は高収入を得たり配偶者や子供に恵まれる姿を目の当たりにすることになる
2014-10-05 08:25:53勉強ができる人はたいてい他のこともできます。むしろ「勉強はできないが他のことは完璧にできる」なんて人のほうが珍しい。そもそも学校が勉強を教えるようになったのは勉強を教えることが「社会に役立つ人」を育てるのに最も効率的だったからです。(ynabe39)
2014-10-02 22:10:41単に「入るのが難しい」という意味ではENAということになるだろうが、ここはテクノクラート養成に特化したエリート校なので、当然ながら世界大学ランキングなどとは無縁の存在ということになる。
2014-10-02 23:20:56実学はグランゼコール、基礎研究は大学、というのがフランスでの基本的な分担だが、じっさいにはグランゼコールと大学で大学院相当のプログラムを持ったりと、その関係はかなり複雑だし柔軟でもある。グランゼコール=教育機関とも言い切れないのな。
2014-10-02 23:24:31なので本来ならば国全体の枠組みのなかで限られたリソースをうまく配分し、教育機関・研究機関の役割分担をうまく進めるべきこと。単独の大学を取りあげて「世界ランク総合○位じゃ」とはしゃぐことがアホらしいってことなんだよね。
2014-10-02 23:26:25まあ、THEのランキング自体は英米の大学(とくに米私大)の経営戦略のためにあるようなものだろうから、日本の大学がそれに乗ってくれると、「英米ランキングではなくて世界ランキング」と標榜したい人たちには好都合だわな。
2014-10-02 23:33:00まあ世代間格差があって昔は楽だった、というのは基本的に事実だとしても、昔は昔で競争はあって、そこに敗者もいた。内田先生と私は同じ大学院の出身で、博士課程が終わった時に内田先生は母校の助手になったわけだが、そうなれるのは相当に優秀な人で、実際私はそうなれずに東京を離れた。
2014-10-03 04:44:16@ynabe39 少し世代が違うので違うかもしれませんが、ポストに付けてもそれなりの業績を出さなければ辞めざるを得なくなりますよね。昇進するならなおさら。ある意味一番ひどかったのは独法化の頃の助手だけ任期制でしょうかね。まぁ地方大は優秀な方が来ないとかで戻しましたが
2014-10-03 04:49:51法学部の学士助手はその極端な例だが、昔は若手研究者の評価というのは学位や業績のように客観的に見えることよりも「日々の活動についての偉い先生方からの評価」みたいなことで決まっていた。
2014-10-03 04:50:08じっさい1980年代に人文系で大学院博士課程を終わって最初の就職をするときに博士の学位や今でいう査読論文を持っている人というのは少数派だった。「博士課程単位取得退学(博士論文を書かずに博士課程の年限を修了したこと)」というのはダメでもなんでもなく圧倒的多数派だったと思う。
2014-10-03 04:52:49@dandonban 昔は大学院を出てポストについてからちゃんとやった人は母校や都会の有名大学に戻って、そうでない人は地方に残る、という仕組みでした。地方には学位もなく著書も論文も実質ゼロの大学教員がいっぱいいたんですよ。
2014-10-03 04:55:50その「研究業績はまだほとんどない時点で人物評価で就職が決まる」仕組みで楽をした人もたくさんいるけれど、それで損をしたり悔しい思いをした人も、私を含めたくさんいた。
2014-10-03 04:58:22@ynabe39 出身大学の文学科が上の方がそんな感じでしたが、先行研究をされるような方もいらっしゃって、まぁ博士号なくともやる人はやるんだなと思いっていました。理系でも何をやっている人だろうって先生もいらっしゃいますね。特に情報系… おや?教授なにかごようで(ry
2014-10-03 05:04:49一番大きな違いは、当時は大学院の定員が学部の定員との比率でも著しく小さかったので、大学院入試で相当の選抜がされていて、旧帝大やそれに準ずる大学院に入学すればその時点ですでに「なんらかのアカポス」が期待できたことだと思う。私だって東京を離れれば食っていく道はあった。
2014-10-03 05:05:17そもそも心理だと旧帝大やそれに準ずる有名大学にしか博士課程がなかった。自分が卒業した東洋大には修士課程すらなかった。大学院はずいぶん狭き門で、修士に入るために浪人している人、修士終わったら今度は博士課程に入るために浪人している人が結構たくさんいた。
2014-10-03 05:09:44いま現役の心理学者として活躍している人の中にも、私より年上だけど大学院受験で浪人して、修了年次は私より後になっている人を何人も挙げることができる。
2014-10-03 05:11:41昔は大学院入試が春だけだったので卒論の評価が大学院進学に決定的に影響したし、一貫制でない博士課程の入試では修論が評価された。大学院入試も「試験の成績」以外のことで相当に合否が左右されていたと思う。
2014-10-03 05:31:01そして大学院に入れば多くの人が返還免除の期待できる奨学金と学費の減免を受けていたのだけど、自分はその恩恵にも最初は預かれなかった。恨みをいえばきりがなくなるw。
2014-10-03 05:33:21@ynabe39 友人が希望する院の進学が決まったとき、就職が決まった同期たちが「祝 入院」とデコレートされたケーキで祝ってくれたそうです。そのケーキ、店で何度も確認されたとか。院進が素直に祝福されるのどかな時代もあったわけですね。
2014-10-03 05:37:48そもそも教員がほとんど学位を持っていないのにどうやって院生に学位をだすのよ、というのが1980年。その点私の指導教官は当時では珍しい課程博士(たしか都立大心理で史上2人めの課程博士)だったのだが教え子に学位を出すことにはほとんど意欲がなかった。
2014-10-03 05:39:39@massa27 「入院」とか言って笑ってられたのもそれがある種のエリートコースだという同意があったからですね。今だとシャレにもならない。
2014-10-03 05:41:04