元映写技師がつぶやく20数年前の場末の成人映画館
蘭童セルで昔のことを思い出した。 場末のポルノ映画館の映写技師兼モギリをやっていたのはもう20数年も前のことだ。ちょうど「となりのトトロ」「火垂るの墓」のカップリングが封切りされていた頃。
2010-11-24 21:05:10その映画館は市の中心部からはずれた小さな商店街のさらに外れにあった。かっこよく言えばアミューズメントビルってことになるか。かつては映画館3軒が入っていた。ウチの館の隣のテナントも元は同業者だったが、先のない映画館をたたんで当時流行っていたビリヤード場にさっさと商売替えをしていた。
2010-11-24 21:09:53うちの館は日中10数人、夜20〜30人入ればいい方で、どう考えても赤字だったと思う。でも、毎日粛々と営業していた。
2010-11-24 21:16:34昼間の客はほとんどが老人。ビデオが普及していたけど、家では見られなかったんだろう。あと、多かったのが高校生。
2010-11-24 21:18:49高校生は顔を見なくてもすぐわかった。テケツ(チケット売り場)で必ず「大人一枚」と言うのだ。それこそ判で押したように全く例外なく。背伸びがしたかったのだろうか。
2010-11-24 21:22:43映画館の賃金はめちゃくちゃ安かった。まあ今思えば、なんであの客の入りで、少ないながらも遅配もなく毎月給料が出ていたのか、不思議でならない。 給料が安い代わりに、ということなのか、市内の映画館どこにでも入れる無料パスがもらえた。この頃がたぶん一番映画を観た時期だった。
2010-11-24 21:33:55向かいのビリヤード場の支配人、まあ元々はうちと同じ成人映画館の支配人だったんだが、毎朝うちに新聞をたかりに来ていた。返してくれるのはいつも昼過ぎ。これぐらいやらないと勝ち組にはなれんのだなあと当時つくづく思ったものだ。
2010-11-24 21:23:25末期には作品自体も少なくなってたんだろうか。その辺の事情はよく知らない。とにかくもはやにっかつの封切り作品だけでは番組が埋まらなくなっていた。封切館のプライドをかなぐり捨てて、洋ピンや別の会社の作品もかけた。
2010-11-24 21:47:58面白い試みもいろいろやった。というか、いろいろやらないとどうにもならなくなっていたのだと思う。 今村昌平監督作品の上映会をオールナイトでやったり。「豚と軍艦」「にっぽん昆虫記」「神々の深き欲望」など。
2010-11-24 22:00:46たぶん邦画にとって一番の冬の時代だったと思う。その中でももろに時代の波を受けたのが成人映画だった。のちの邦画を背負って立った監督たちを育てた頃の面影は既になく、キネコ(ビデオに撮ってフイルムに落とす)でコストを削ったお粗末な作品も出はじめていた。
2010-11-24 21:43:46「神々の深き欲望」は大作だった。プリント(上映用のフイルム)の入った帆布の袋が映写室に山積みになってたのを思い出す。大作ゆえ本編の真ん中あたりのプリントの終端が「休憩」と書いたボードて終わっていて、これが画面にでかでかと表示され、ここで映写機を止め、客灯りをつけるお約束だった。
2010-11-24 22:27:53そうそう、最新のシネコンはどうだか知らないが、通常映写室には映写機が2台あった。プリントは直径30センチぐらいのリールに巻かれている。これは確か10数分ぐらいで終わってしまうので、2台の映写機を交互に回し、一方が終わったらもう一台に切り替える。
2010-11-24 22:44:56映写機の切り替えの目印になるのが画面の右上に表示される穴(名前は忘れた)。これは今も残ってると思う。各ロールの終端近くになると1回目が表示される。ここでもう一台の映写機を回し始める。2回目が表示されたところで切り替える。もっともこんな風に目で確認するのはずいぶん古いやり方。
2010-11-24 22:57:35もうちょっと時代が下ると「銀紙」と呼ばれる金属の箔がプリント終端近くの縁に貼られるようになる。映写機がこれを検知(と言っても接点が触れて通電するだけのことだが)すると自動的にもう一方に切り替わる仕組み。
2010-11-24 23:05:20もっともこんなふうに切り替えを自動化しても、映写技師が汗だくになりながら2台の映写機に交互にプリントをかけ、映し終わったプリントを巻き戻さなければならないことに変わりはない。
2010-11-24 23:08:56映画が娯楽の花だった時代、一つのプリントを複数の小屋で使いまわす「同時上映」は結構普通のことだったらしい。当時先輩が話してくれた。最初の館が最初のロールを映し終わって巻き戻したあと、それを自転車に乗せて次の館に運ぶ。そのまた次も…
2010-11-24 23:17:40こうすれば配給元からプリント一つ借りるだけで荒稼ぎができる。しかし、いつもうまくいくとは限らない。途中で事故でもあると敢えなく中断となる。
2010-11-24 23:21:44わたしが映写をしていたのはもう映画がすっかり斜陽産業になっていた時のこと。「同時上映」もなかったし、上映中に映写技師を映写室に釘付けにできるほどの余裕は大抵の映画館にはなかった。だから、というわけではないが、さらなる自動化が進んでいた。
2010-11-24 23:26:38映写室には水平の三段式の巨大なリールが設置されていた。番組が切り替わる数日前になると、次のプリントが届く。これを順にスプライサーで繋ぎながら、空いているリールに巻いていく。にっかつの成人映画は3本立てなので、上映順に全部つないでしまう。
2010-11-24 23:35:25このリールはロールの中心からプリントを引き出す仕組みになっている。それを映写機に掛け、巻き取りリールの軸に先端を固定すれば準備完了。音楽を止め、ブザーを鳴らし、客灯りを落として映写機を回せば、3本回り終わるまでの3時間、映写室を空っぽにできた。あとはこれを繰り返せばいい。
2010-11-24 23:43:48こうして仕掛けたら、映写技師は下におりてモギリに早変わりする。テケツとモギリは一つになっていたので、一人いれば用が足りた。と言っても映写の状況は常にモニターで確認しなければならなかった。映写機の具合や最初に一本につなぐときのミスなどで画面がズレることがあるからだ。
2010-11-24 23:56:33映画のフイルムは銀塩カメラと同じ35mm。縁の穴(パーフォレーション)のビッチも同じ。違うのは映画の場合縦方向に回すので、一コマがちょうどハーフサイズのカメラで撮った写真と同じ大きさになる。
2010-11-25 00:11:04余談だけど昔京セラのサムライってカメラがあって、フイルムが縦に回るようになってた。ハーフサイズなんだけど、この頃まだハーフのカメラってフルサイズより劣るってイメージがあったのか、「シネマサイズ」と呼んでたっけ。
2010-11-25 00:17:02さて閑話休題。映画の場合一コマあたりパーフォレーションが4つ(だったと思う)。しかしこれがなんかの拍子でズレる。あちこちの映画館で同じ様につないだり切り離したりしてるので、つなぐ前からズレてることもある。
2010-11-25 00:27:39