NHK ETV 特集「ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会」(thouautumn さん バージョン)

ETV特集「ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会」(10月 18日) thouautumn さん @thouautumn の 視聴ツイート。
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thouautumn @thouautumn

広島アメリカ文化センター館長(当時)アボル・フツイ氏、日米の懸け橋になりたいと願った。原爆資料館の展示の在り方に、日米の大きな隔たりを痛感。公文書とは別に記した『フツイ手記』を残した。 Eテレ ETV特集 「ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会」

2014-10-18 23:23:43
thouautumn @thouautumn

『フツイ手記』より: 原爆資料館の収蔵品は、原爆による被害の実態を示し、将来の紛争に対する忌避感情を引き出そうとしている。テーマは、「ヒロシマを2度と繰り返すな」である。 (Eテレ ETV特集 「ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会」)

2014-10-18 23:27:54
thouautumn @thouautumn

『フツイ手記』より(続き):実際のところ、この資料館は、一部の訪問者がいうように "ホラー・ミュージアム" (horror museum) である。そこは、放射線被害者のぞっとするような写真、瓶に保存された皮膚(ケロイドの皮膚が入っているガラス容器、白黒画像)。 ETV

2014-10-18 23:31:17
thouautumn @thouautumn

『フツイ手記』より(続き):1945年8月6日の犠牲者が体験した、恐怖のさまざまな証拠が醸し出す、不自然な、不気味な空気が漂っていた。 ETV

2014-10-18 23:34:12
thouautumn @thouautumn

『フツイ手記』より(続き):アメリカ人の来館者は、日本人よりも恐れおののき、祖国に恥をかかせるホラー展示を何とかしてほしいという、観光客の怒りの矛先が、私に向かったことが何度かあった。 ETV

2014-10-18 23:34:57
thouautumn @thouautumn

アボル・フツイ氏の娘、ファリダさん「アメリカ人観光客が父に言いました。”原爆資料館はひどい。アメリカ人がまるで悪者だ。おぞましい遺品や社員を撤去すべきだ。アメリカに対する侮辱だ” と。これに対し、父は言いました― ETV特集

2014-10-18 23:39:01
thouautumn @thouautumn

娘、ファリダさんによる、フツイ氏の言葉(続き)「"実際に起きたことだから展示は残すべきだ。核戦争の真実を伝える大切なメッセージだ。アメリカが撤去を求める筋合いはない"と。これが父の強い姿勢でした」 ETV特集(原爆資料館の展示はアメリカ人を悪者扱いしているという人に対して)

2014-10-18 23:42:32
thouautumn @thouautumn

翻って今の日本の政治家は、と。(感想)

2014-10-18 23:43:31
thouautumn @thouautumn

改進党代議士 中曽根康弘議員ら中心とした超党派の政治家が、アメリカによる「原子力の平和利用」受け入れを推進。1954年原子力予算提出。1955年 アメリカからの濃縮ウラン受け入れを定めた日米原子力協定 仮調印を実現させた。 ETV

2014-10-18 23:57:11
thouautumn @thouautumn

同1955年 日本で初めての原子力平和利用博覧会。東京日比谷。主催は読売新聞社。2か月後に原子力委員会の初代委員長になる、読売新聞社主 正力松太郎が準備。紅白幕を背に挨拶している様子。(アメリカ広報文化交流局 USIS 制作記録映画『平和の力』 ) ETV

2014-10-18 23:59:57
thouautumn @thouautumn

「医療現場では放射性コバルトががん細胞を破壊してくれます/放射性リンを継続的に使用するとアザが消えます」(使用前使用後のマネキンを見る人たち) (アメリカ広報文化交流局 USIS 制作記録映画『平和の力』 ) ETV

2014-10-19 00:01:54
thouautumn @thouautumn

ファリダ・フツイさん「博覧会は "原子力の平和利用" を進めようとしてアイゼンハワー政権によるものです。博覧会は世界を巡回し日本でも開催予定。父はそれを広島に予防と考えました。1950年代の空気は、"未来に向かって前進しよう。過去はもういい。戦争はもうたくさんだ"」 ETV

2014-10-19 00:07:41
thouautumn @thouautumn

「広島の友人、そして地域の一員として、私は、広島の人々が原子エネルギーが人類にもたらす恩恵について学べる機会を用意したいと思う」 フツイ手記より ETV

2014-10-19 00:08:35
thouautumn @thouautumn

広島での博覧会開催、反対をどう抑え込んでいったのか/1956年『広島におけるUSIS原子力平和博』(フツイ氏の上司が書いた)"地元の反対は、複数の共催者によって効果的に抑え込まれた。そのメンバーは、広島県、広島市、地元新聞社、そして広島大学だった" ETV

2014-10-19 00:18:41
thouautumn @thouautumn

「フツイが博覧会に協力する人々とともに力を入れたのがマスコミの活用でした。地元の政財界の要人や広島大学の教授陣らが、原子力の明るい未来を語る記事を次々と掲載しました(画面に、記事 『第二の太陽 原子力物語』 広大工学部原子力工学研究グループ、など)。映画も活用。 ETV

2014-10-19 00:25:19
thouautumn @thouautumn

アメリカ広報文化交流局(USIS)制作『原子力の恵み』(BLESSINGS ATOMIC ENERGY)。フツイ氏の要請で早期に完成。博覧会の10か月前から広島で上映。 ETV

2014-10-19 00:31:42
thouautumn @thouautumn

Atomic Energy Can Be A Blessing: youtu.be/eYd3qYBAj8U @YouTubeさんから >雰囲気はこんな感じだった。『原子力の恵み』

2014-10-19 00:32:27
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thouautumn @thouautumn

でも、反対の人も入れて公開討論会やるところは今よりマシ。 ETV

2014-10-19 00:34:42
thouautumn @thouautumn

フツイ氏と対決した被爆者団体代表森瀧市郎さん。著書『各絶対否定への歩み』より、博覧会の一か月前。「私はついに、かなり語気強く言った。私があなただったらそんなことは絶対にしないと。すると、フツイ館長も開き直って言った。「私も、平和利用、平和利用、平和利用で広島を塗りつぶして」ETV

2014-10-19 00:42:08
thouautumn @thouautumn

「温厚な父がこういう言葉を使うのは、本当に心底怒っていたと思う」(森瀧さんの娘さん、春子さん) ETV

2014-10-19 00:43:21
thouautumn @thouautumn

福島のメディア(テレビ局と新聞)、50年後ぐらいにドキュメンタリーの主役になっているかもしれない。国との向き合いっぷりが。

2014-10-19 00:58:07
thouautumn @thouautumn

アメリカ広報文化交流局(USIS)文書『原子力平和利用展示物の寄贈』1957年「原子エネルギーの展示品を原爆資料館に寄贈する。そうすることで広島の資料館の陳列品を締め出し、ホラー展示("horror" materials)を可能な限り薄める」(原文でもホラーに引用符付き)ETV

2014-10-19 01:03:03
thouautumn @thouautumn

1957年 原子力平和利用博覧会、日本全国巡回終了。アメリカはマジックハンドや原子力飛行機の模型展示品を広島に寄付。当時の新聞見出し「魔法の手や原子力の枠 復興博へ米国から模型」、本文に、マジックハンドや原子炉の各種模型、放射能測定器など十点 時価数百万円。 ETV #復興

2014-10-19 01:08:03
thouautumn @thouautumn

模型は1958年 広島復興大博覧会で使われたあと、原爆資料館で常設展示されることになった。当時、博覧会を見たわたなべさん、原爆資料館の展示がある比変わっていることに気が付いた「ケロイドとかくらい展示ばかりでしたが、最後に原子力の飛行機とか利用。希望が持てる向きに」ETV #復興

2014-10-19 01:11:31
thouautumn @thouautumn

その狙いについて、USISの文書1958年『原爆資料館の平和利用展示』:来館者は、まず資料館オリジナルの日本の展示品を見て回った後、最後に平和利用の展示品を目にする。つまり、最初に見たものの印象を、原子力についての前向きな見方で和らげる。 ETV

2014-10-19 01:14:00