【視聴メモ】テレ朝『ザ・スクープ』原発と原爆 日本の原子力とアメリカの影④「原子力の平和利用という幻想:原発導入を推進した日米の宣伝工作」編
- tkatsumi06j
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秀逸なサマリー的なまとめ(全容をすぐ掴みたい方向け)
第三章 1950年代 ビキニ-広島(後編)
「原子力の平和利用」と日本
あらためてお早うございます。今日は午前中に、このテレ朝『ザ・スクープ』の番組視聴メモを完成させたいと思います。なにより私自身が続きを見たい。いよいよ #日米原子力協定 の闇に迫るからです。|特集「日本の原子力とアメリカの影」 http://t.co/XdwY1PZKVf
2013-08-15 06:22:43アメリカの宣伝工作
#日米原子力協定 1954年6月、旧ソ連が世界初の商業用原発の稼働に成功。これを受け1955年3月の国家安全保障会議NSC報告書は危機感露わに標的を日本に絞った。「原子力分野でのアメリカの優位が揺らいでいる。電力不足で電気料金の高い日本にとって、原発は経済的に魅力であろう。」
2013-08-15 06:28:56#日米原子力協定 NSCの報告書発表の同1955年3月から「日米原子力協定」が結ばれるまでの間、正力松太郎を社主とする読売新聞は #原子力の平和利用 に向けた宣伝工作をさらに強化してゆく。この時に暗躍したのが日テレ創始者柴田秀利。 http://t.co/fLGQuFsBNW
2013-08-15 06:45:17原発導入の極秘シナリオ
#日米原子力協定 アメリカは読売柴田を通じて宣伝工作を強化する中で、濃縮ウランの配分を申し出るなどして、日本政府に態度決定を迫る。そして4月18日、日本政府は「原子力の平和利用に関する基本的態度」を決定。ターニングポイントを迎える。 http://t.co/7znfClvhlT
2013-08-15 06:52:48#日米原子力協定 外交機密文書によれば、決定には「我が国民は、三度までも原水爆の被害を被った不幸な経験を有するが、原子力は人類への貢献に役立たせるべきである」と記されていた。この政府決定を受け、アメリカは5月に「原子力平和利用使節団」を派遣。これを出迎えたのは正力松太郎だった。
2013-08-15 06:56:21#日米原子力協定 1955年6月、当時の重光外務大臣は駐米日本大使に次のような極非電文を送信:「濃縮ウラン受け入れに関する件:結論として右方針を決定するものである」。日本政府が「日米原子力協定」の受け入れを表明した瞬間だった。 http://t.co/X9EacpJzV2
2013-08-15 07:04:50幻の「広島原発」計画
#日米原子力協定 第五福龍丸事件からわずか1年3か月。1955年6月21日、日米原子力協定は仮調印される。この間、日本国民の意識を大きく変えたのが、アメリカが仕掛けた宣伝工作だった。そのターゲットは、広島。日米原子力推進勢力が放った「毒を以て毒を制す」戦略の一環だった。
2013-08-15 07:09:26#日米原子力協定 余談だが、この戦略の提唱者は実は正力松太郎ではない。柴田秀利だった。 「日本には『毒を以て毒を制する』という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、希望を与えるほかはない。」(NHKアーカイブズより)
2013-08-15 07:12:14#日米原子力協定 広島平和研究所の田中利行教授はこう振り返る。「核兵器の被害者が、原子力平和利用に賛成だということになれば、これほど都合のいいことはない。ひとつのプロパガンダとして」 http://t.co/dz0thzbmed
2013-08-15 07:17:50#日米原子力協定 コメント:この1955年に広島で使われた戦略が、福島でいま実施されようとしていることに皆さんはお気づきだろうか。国や福島県が、福島に何を建設しようとしているか、覚えているだろうか。戦略の類似性というより、同じ戦略が通用すると未だに思われているのだ。
2013-08-15 07:21:48#日米原子力協定 実は1954年秋には米原子力委員会のマレー委員長がこのような提言を行っていた。「広島・長崎の記憶が鮮明なうちに、日本に原発を作ることはドラマチックであり、原爆の惨劇の記憶を乗り越えるだろう。」(1954年9月22日付けニューヨークタイムズより)
2013-08-15 07:26:30#日米原子力協定 1955年1月、米連邦議会では、民主党のイエーツ議員が6万KWの原発を広島に建設する決議案を提出していた。その演説記録によると、イエーツ議員は「アメリカの技術と善意の永遠の記念碑」として原子炉を贈ろうと考えらしい。 http://t.co/KsMsYWszt4
2013-08-15 07:33:18#日米原子力協定 「平和利用のための原子炉は原子力で破壊された場所に建設されるべきだ。アメリカの援助でできた原子炉は、我々の技術と善意の永遠の記念碑となるだろう。」(1955年1月、米連邦議会本会議で行われた民主党シドニー・イエーツ議員の演説記録より)
2013-08-15 07:34:57#日米原子力協定 しかし核アレルギーの強い日本では、当初原発への反感は大きかった。駐日アメリカ大使館は日本の核アレルギーについて本国にこう報告した。
2013-08-15 07:39:07#日米原子力協定 「報道の多くが懐疑的意見を載せている。核兵器と広島の原子炉が結びついている」 (1955年2月、駐日米大使館のメモ) http://t.co/zzl2PWFe7v
2013-08-15 07:40:31#日米原子力協定 しかしアメリカ(+読売)の宣伝工作が強化されることにより、しだいに状況が変わっていく。1955年1月には、地元中国新聞でさえ原発導入を歓迎する社説を発表するようになっていた。 http://t.co/lZYNVEWaB9
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