渡邊芳之先生ynabe39の「そしてその「処罰を下す」のは司法であって,われわれではないのです。」
@ynabe39 刑法学における「因果関係」という言葉の使い方も似たような感じがありますね。純粋に客観的な因果関係ではなく、「この結果はこの行為のせい」という価値判断が含まれる感じです。例えば、「殺人犯を産む」という母親の行為は、殺人犯が行った行為との因果関係が否定されます。
2014-10-21 01:47:57「誰に責任を取らせるか」「誰を罰するか」の議論と「その事象がなぜ起きているかを解明しようとする」議論とではフェイズだとかレイヤーだとかそういうものが違うのだと思う。
2014-10-21 14:45:08@fujikko0041 その人が殺されて他の人は殺されていないなら被害者に「も」なにかの原因はあるでしょう。しかし悪いのは常に殺す方です。
2014-10-21 16:45:28「いじめられる側に原因があってもいじめはいじめ」ということになると「これはいじめではない」「正当な批判であり,制裁である」と言いにくくなることのほうがほんとの問題のような気もする。
2014-10-21 16:45:30「攻撃される方に原因がある場合はいじめではなく,攻撃される方に原因がない時だけがいじめである」と考えようとすることのほうが間違っていると思う。
2014-10-21 16:48:50「本人に原因がある」場合にはそれはいじめではなく「正当な私的制裁」であることにしておきたいということ。だから「いじめ」と認定するからには「本人に原因はない」ことにしなければならない。
2014-10-21 16:53:06それはいじめではないことにしたいんですよ。 “@jun_1123: @ynabe39 「A君の悪いところをみんなで指摘してあげたのに直らないから苛めました」みたいなことですね”
2014-10-21 16:55:13はい。ですから「学校における私的制裁は本人に原因があっても認めない」というのが「いじめ撲滅」だと思います。 “@keikougyo: @ynabe39 法的には私的制裁も許されないのでは。”
2014-10-21 16:57:49それを「いや本人に原因がある場合には私的制裁してもかまわないだろ」としておきたい,というのが「いじめは本人に原因はない」論の向こう側に透けて見えるのです。
2014-10-21 16:59:20「いじめられる側にも原因がある」ということが間違いなのではなくて,「いじめられる原因があればいじめていい」というのが間違いなのである。
2014-10-21 17:04:48「脳のネットワークを保持していること」を意識と考えるなら植物状態でも意識はある,という話。「呼びかけに応えられること」「刺激に反応すること」を意識と考えるならこのとき意識はない。
2014-10-21 17:07:14@ynabe39 @keikougyo そこをまとめると「ひょっとして小中学校で法律をがっつりと学ばせれば(主要5教科並に)いじめは激減したりしないだろうか?」などと思ったりしますね。 (※私の持論は「義務教育で法律を学ばせろ」です)
2014-10-21 17:09:11