形而上学的実在論の定式化について

秋葉剛史『真理から存在へ』(春秋社,2014年)第1章の形而上学的実在論の定式化について,@at_akada さんと議論したことのまとめ.後から @iklog さんとの議論も追加.
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is @iklog

@Zahlangabeheft ううむ、二番目の意味での独立性はそこまで不明瞭でしょうか。確かにもっとはっきりさせた上でないと前提してはいけないという議論はわかります。

2014-11-01 00:45:54
is @iklog

@Zahlangabeheft あと、「実在論的直観」がどういうものであるかは明日争点になると思います。

2014-11-01 00:47:50
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog そうですね.特に「われわれが何を語ったり思ったり知ったりする(しうる)か」から独立だ(p.28)と,「語ったり思ったり」することからも独立と言っている点が,「1つ目の意味での独立性」との混同を誘うし,「2つ目の意味での独立性」としての不明瞭さをもたらしますね.

2014-11-01 00:56:47
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog んーでも反実条件文として定式化すれば理解できる気もしてきたな….

2014-11-01 00:57:16
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog んー,やっぱり,「ここにテーブルがあるとかないとかわれわれに語りえなかったとしても,ここにテーブルがあるかどうかは決まるはず」とか「ここにテーブルがあるかどうかわれわれに知り得なかったとしても,ここにテーブルがあるかどうかは決まるはず」というのは意味不明ですね.

2014-11-01 01:07:50
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog というともう反実在論者の主張になってしまうか.しかし前者はやはり無理筋ではないかという気がする.

2014-11-01 01:11:15
is @iklog

@Zahlangabeheft うーむ。(1) ある文の意味を現実世界のところで固定しておいて、それを言語を使うものがいない状況で評価することは可能であり、(2)さらにそれがその状況で真でありうると認めるとする立場は無理でしょうか。

2014-11-01 01:12:00
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog それは「ここにテーブルがある/ないとわれわれが語らなかったとしても,ここにテーブルがあるかどうかは決まるだろう」と言っているのでは.それなら反実在論者でも肯定できるでしょう.

2014-11-01 01:13:56
is @iklog

@Zahlangabeheft うーむ、もうちょっと議論が必要そうですね。すみません、明日のために(そして今日あまり寝られなかったので)そろそろ寝ないといけないのですが、続きは明日でもよいでしょうか。(明日山田さんにも来て頂けるとすごいうれしいのですが…。)

2014-11-01 01:20:03
is @iklog

@Zahlangabeheft もちろんWSとは別の時間でもぜひ。

2014-11-01 01:20:46
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog ありがとうございます.WSは本も読めていないし裏番組には一定の義務を感じるので遠慮するかもですが,また明日.

2014-11-01 01:26:06
at_akada @at_akada

@Zahlangabeheft あ、今さら言うべきことに気づきました。この本のこの箇所では、実在論的直観の中身はまだ明らかになっていないので、「前提する」ではなく「それはおいおいわかると思うわー」と書くべきです。

2014-11-01 02:01:31
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog この両者を一緒にしたのはうかつだった.「ここにテーブルがあるとかないとかわれわれに語りえなかったとしても」という想定は意味不明だが,「ここにテーブルがあるかどうかわれわれに知り得なかったとしても」という想定は理解可能で,→

2014-11-01 02:11:47
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@iklog →ただ後者の反実仮想における「ここにテーブルがあるかどうかは決まる」というのが意味不明であるか偽であるかいずれかだ,と言うべき.

2014-11-01 02:12:11