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明日の秋葉本セッションの時間は哲学会の方に行こうと思っていたのだが,何となく秋葉本を読み始めたところ,序章・第1章の時点でかなり腹が立ってきたので祭りに参加したくなってきたどうしよう.
2014-10-31 20:47:33「世界に含まれる存在者は,われわれがそれらを考えたり発見したりする能力をもつかどうかに関わりなく,それ自体によって存在する」(『真理から実在へ』p.28)って,文字通りには偽だよね.人工物はわれわれが設計して作らないと存在しない.
2014-10-31 21:34:00もちろん実在論者は,例えば「ここにテーブルがある」かどうかが私に知りうるか否かとは独立に,ここにテーブルがあるかどうかは決まっている,といったことである(この言い方も所在と存在を混同しているがそれは措く).しかしこれだって反実在論者からすれば,→
2014-10-31 21:42:12→原理的認識可能性と現実的認識可能性にギャップがあるという話として解釈できるし,そういう「すれ違い」を解消していくと,結局実在論と反実在論の違いとして残るのは二値原理を認めるかどうかぐらいでは,というのがダメットの話だったわけで.実在論の表現にもっと気を付けるべきじゃないかなと.
2014-10-31 21:46:11あとあれだね,「ここにテーブルがある」かどうかが私に知りうるか否かとは独立に,ここにテーブルがあるかどうかは決まっている,と実在論を定式化すると,→
2014-10-31 21:54:16→実在論を「実在世界はそれ自体として確定しており,そのあり方は,われわれが語ったり考えたり知ったりするか(しうるか)には依存していない」(ibid.)と表現できるかどうかも怪しい.定式化の中に「ここにテーブルがある」みたいな世界を記述する文を使っているから.
2014-10-31 21:55:50@at_akada 知識の対象が文だという考えを前提したつもりはなくて,少なくとも「語ったりすること」から独立だということは明らかではないと言わんとしていました.しかし,信念や知識の対象は文によって表せるというのは認めてもいいかなとは思いますが.
2014-10-31 22:05:10@Zahlangabeheft 知識の対象が文でないとすると、定式化に使われている「ここにテーブルがある」が文であると解釈する理由がなくなるのではないかという疑問でした。
2014-10-31 22:07:17@at_akada すみません,僕のかぎかっこの使い方がおかしくて誤解を招いたようです.「ここにテーブルがあるかどうかが私に知りうるか否かとは独立に,ここにテーブルがあるかどうかは決まっている」という定式化には,「ここにテーブルがある」という文が含まれていますよね.
2014-10-31 22:10:18@at_akada で,私のポイントは,秋葉本の定式化で「実在世界」とか「実在世界のあり方」で指示されたものが,私の定式化では「ここにテーブルがある」のような文によって表現せざるを得なくなるため,「われわれの語っていること」から独立かどうか明らかでなくなる,ということでした.
2014-10-31 22:14:11@Zahlangabeheft うーん、どうも山田さんの疑問が私にはよくわかってないようです。その定式化では、あらゆる言語的定式化同様に、文が使用されていますが、そのことを言っているのですか?
2014-10-31 22:16:52@at_akada いえ,「実在世界のあり方」と言うと何となく言語と独立しているように見えるけど,それをもっと個別的に「ここにテーブルがある」と言うと言語と独立しているかどうかがそれほど明らかではなくなる,ということです.
2014-10-31 22:20:31@Zahlangabeheft しかしその定式化では、その文は使用されているだけで、言及されているようには見えないですね。つまり、トリビアルな仕方では確かに言語に訴えてますが
2014-10-31 22:26:59@at_akada ええ,文に言及しているとは言ってませんよ.強いて言えば「実在世界のあり方」を記述するような文を使用している点に注目しているだけです.
2014-10-31 22:32:39@Zahlangabeheft ごめんなさい全然わからなくなりました。言語を使って定式化せざるをえないことにどういう問題が含まれていると言っているのかが、私にはまったくわかっていないようです。
2014-10-31 22:41:27@at_akada いえ,言語を使って定式化せざるを得ないこと一般を問題にしているわけではないです.つまり,「…かどうかが私に知りうるか否かとは独立に,…かどうかは決まっている」という部分を言語を使って定式化していることは別にいいのです.→
2014-10-31 22:45:27@at_akada →しかし,この「…」の部分に入るものは,実在論者の言う「実在世界のあり方」であって,「われわれの語ることとは独立」であるべきものですよね.その「…」の内容を「ここにテーブルがある」などのように言語で表現せざるを得ないことを考えた時,→
2014-10-31 22:47:53@at_akada →「実在世界のあり方」が言語から独立していると言われてすぐに何の説明もなく納得できるか,と言いたいのです.
2014-10-31 22:49:31@Zahlangabeheft しかし反実在論者が同意できないならば、対立点を表現できているということなので、実在論の定式化としてはむしろよいわけですよね。そういう意味でいうと山田さんがそれに納得できないことはまさに期待されていることなのではないでしょうか。
2014-10-31 22:52:32@at_akada いや,私は同意できないだけでなく,「実在のあり方が言語から独立」だという主張が意味をなしているとは思っていないので,対立点の表現にもなっていないです.
2014-10-31 22:55:08@Zahlangabeheft あ、ようやくわかりました。真でも偽でもなく、意味をなしていないということなんですね。どういう仕方で意味をなさない文になっているのかはまだよくわかってないですが。
2014-10-31 22:59:01