みんみんぜみ氏による剣道史

剣術がどのように剣道に置き換わっていったか。
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みんみんぜみ @inuchochin

昨晩のTLもだけど、2chやヤフー智恵を見ていると剣術と剣道が、技術的にはともかく人脈的にも歴史的にも断絶無しに地続きだとほとんど知られてないんだな。

2013-12-15 02:02:00
みんみんぜみ @inuchochin

維新後もしくは第二次大戦後に剣道がいきなり出現して剣術を駆逐していった、とか「講道館柔道対古流柔術」みたいな(これも厳密には無かったと思うけど)争いが剣道と剣術にあったとか思ってる人を見る。

2013-12-15 02:02:56
みんみんぜみ @inuchochin

剣術の歴史を書きだしたら富永堅吾の「剣道五百年史」じゃないけど辞書みたいな厚さになってしまうくらい話すテーマがあって、最近剣道史を勉強しだした私もいろいろありすぎてよくわからないww

2013-12-15 02:10:26
みんみんぜみ @inuchochin

柳生新陰流や示現流、香取神道流と剣道はずいぶん違うんだと思う人もいるのかもしれないけど剣術の歴史は三大源流なら500年くらい前にさかのぼるし、袋撓の登場も450年くらい前、防具試合は300年くらい前には始まり、現代剣道的な試合形式で他流試合が全国各地で盛んになるのは200年ほど前

2013-12-15 02:12:48
みんみんぜみ @inuchochin

現代剣道の直接の先祖になる武徳会が出来てからも100年以上たってるわけで、その間に色々な流派や分派が出てきてるから、「これが剣術」なんて言えない。たぶん成立年代だけじゃなくて、現在伝承される形式が出来た年代や師範の考え方でだいぶちがうはず。

2013-12-15 02:13:10
みんみんぜみ @inuchochin

ただ、技術的な断絶は間違いなくあって、最初は「剣の技術を磨くために四つ割竹刀に防具の稽古(今で言う剣道)は有用だ」くらいで取り入れても、そのうち「剣の技術はこれだけでほぼ磨ける。真剣操法は居合で」みたいな感じになってきたり。

2013-12-15 02:15:27
みんみんぜみ @inuchochin

そう考えた師範がやっていた稽古は形稽古で剣術を学んで、もしくは実際の剣の切り合いを知っている人から学んだり、試合形式もいい意味で今よりテキトーだったりしたみたいだから、それでも良かったんだと思うけど、そのうち試合と防具試合の自体の価値がどんどん高くなってきて

2013-12-15 02:17:59
みんみんぜみ @inuchochin

中央集権的な時代背景もあって権威があって、実際社会的地位もある武徳会が剣の中心になると、そこの価値観が全国的に重視されるようになったみたい。ある流派の若い免許弟子とかも武徳会に推薦されて武徳会で修行して武徳会流を身につけて地元に帰ってくる。

2013-12-15 02:19:52
みんみんぜみ @inuchochin

その弟子も武徳会で修行しても○○流と名乗ってたりするけど、組太刀や形、流儀独特の技なんかはあまり教えないで武徳会式の稽古をする。そうすると師匠は流儀の技もできても弟子はそれ(武徳会式)しかできなくなる。でも武徳会式が出来れば全国に通用するからそれでよし。問題ない。

2013-12-15 02:21:55
みんみんぜみ @inuchochin

武徳会式の剣道が出来れば、全国どこに行っても剣道家として通用する。武徳会は戦後無くなるけど、剣連がその代わりに出来て結局同じ事。それで昭和も半ばころには剣術の免許者はまだまだたくさんいても剣道中心の道場ばかりになる。だって剣術の形なんて稽古しても試合に直接役に立たないし。

2013-12-15 02:24:01
みんみんぜみ @inuchochin

その頃になると「そもそも剣術の形は高尚な剣の精神、位を表しているもので、高段者になってから稽古するものだ」という謎の話が出てきたりw 

2013-12-15 02:25:07
みんみんぜみ @inuchochin

というのが、いくらか実際の剣術流派の伝承を見聞きしたり、史料を見た印象です。特に、剣術の形なんか初心から教えるために出来てると思うのに、竹刀剣術となった流派では何故かうやうやしく初心の形を稽古していたり、「剣道○段になったら教えよう」と言った話をいくらか見ます。

2013-12-15 02:28:42
ちていのき @baritsu

剣道も柔道もそうなんだけど、実戦の中で有効と目された技に稽古が集約されていく過程と、それが試合稽古のための技になってしまう時、というのは微妙だけど歴史的にはとても大事なんだよなぁ。それを断絶と捉えるか、変化とするか

2013-12-15 02:31:09
みんみんぜみ @inuchochin

話がずいぶんずれましたが、江戸時代後期から段々と出来あがってきた共通試合様式が、維新後の中央集権的な組織や社会風潮の中で全国の諸流派に広まって出来たのが剣道と言っていいんじゃないでしょうか。

2013-12-15 02:36:43
みんみんぜみ @inuchochin

流派独自にあった形や技は、共通化の中で「○○流だ」という自覚が無くなるのと一緒に段々消えていった感じでしょうね。人によっては「GHQが禁止したから無くなった」という人もいますがw そんな事は無いです

2013-12-15 02:36:57
みんみんぜみ @inuchochin

明治生まれの剣術剣道家の人が「昔の剣道に帰らねば」と言っていた剣道が、その先生が免許を受けた流派剣術ではなく戦前の武徳会の剣道(の精神、技)だったりしたのを読んだ事があります。その流派を稽古する人間としては「形くらいは残しといてくれ!」という気分ですがw

2013-12-15 02:37:06
みんみんぜみ @inuchochin

まぁ、それは昭和までの話で、最近は剣道の画一化が進みすぎて既に剣の術、剣の道として考えると広がりがないのでは、という話をされる方が剣道家の中にもいたり、すこし風向きが変わっているのかもしれません。はっきりって剣道居合道より流派剣術やっている人の方が考え方が全般的に柔軟な気がw 

2013-12-15 02:46:07
みんみんぜみ @inuchochin

とはいえ、有名流派剣術をやってる人には若いのにやたら保守的でおまえはじじいか、、みたいな人もネット上ではたまに見ますがww

2013-12-15 02:48:23
ちていのき @baritsu

明治30年頃の形観の一例 「元来諸流の形は、多くは禅学の意味を以て組織されたるものであるから、先ず太刀筋の吟味よりは寧ろ意識と華法と相半ばする位であると思います。兎に角かの形を覚ふれたとて直くに試合は出来るもので御座いませぬ」

2013-12-15 03:56:13
ちていのき @baritsu

個人的に興味があるのはこの後で、形とそこから抽出された技というよく言われる事のさらに間を語っている「尤も槍の形の如きは直ちに応用されます。そこで陸軍の銃剣術と申しまするは形と云わずして基本といひます。日本の槍の形も、基本といふ方が穏かと考へます」

2013-12-15 03:58:46