私は70〜80年代の、オタクとサブカルが未分化な時代をベースに考えていたから、90年代に中高生を送った人の「オタク差別」は知らないのは確かにその通り。しかし80年代までは明確な「オタク差別」はまだなかったのも事実。中森明夫氏の「おたくの研究」は、文章だけならひどいオタク差別だが、
2014-11-27 08:44:21そもそも「おたくの研究」が連載されたのは「漫画ブリッコ」という元祖美少女漫画雑誌だった。中森氏は有名なアイドルオタク。その後「新人類」と呼ばれたので話がややこしいが、新人類の営業品目はテクノやニューアカと同時にSF・漫画・アニメ・特撮・アイドルだった。
2014-11-27 08:47:04つまり80年代サブカルの騎手であった新人類の正体はオタクであったというのが私の説です。中森氏の「おたくの研究」は、アイドルオタクの中森氏による「自重芸」と私は当時から受け取っていた。ここは中森氏に聞いてみないと正確にはわかりませんが、私がそう受け取ったのは事実。
2014-11-27 08:51:00中森氏は編集長の大塚英志氏に「読者差別は許容できない」として連載を打ち切られたが(中森氏の抜けたページで新連載を始めたのが竹熊)、「おたく」という差別用語は、その年の夏コミではみんなが自重的に使っていた。そのコミケに現れた中森氏がオタクに袋叩きにあったと噂が流れたが、デマだった。
2014-11-27 08:55:37つまり、おたく・オタクという言葉は元祖オタク雑誌で生まれた、当のオタクによるきついジョークだった。おたく差別も「オタクの自嘲」を含んだジョーク。それが90年代に入ってシャレにならなくなった、という流れ。サブカルがオタクを差別した事実は、あったとすれば90年代に入ってから。
2014-11-27 09:00:18そうだったっけ⁉ 完全に忘れている。 「東京おとなクラブJr.」が中止された後、「風雲ライオン丸新聞」がはじまったってこと? RT @kentaro666: (中森氏の抜けたページで新連載を始めたのが竹熊)
2014-11-28 00:04:36@ogwata 中森氏の「おたくコラム」について、担当者としてはどう考えていたんですか? そう言えば聞いた事がなかったけど。
2014-11-28 00:25:42@ogwata あれ、「差別文章」だとは思いました? 僕はきついなあ、と思ったけど、げらげら大笑いした記憶があります。
2014-11-28 00:28:44@kentaro666 そうだなあ、きつかったよねえ。でも中森氏の持ち味だからねえ。まあ、おれが感じたのは「中森くんだって、この中に書かれているおたくじゃないのかなあ」ってことかな。そして「おれもそうだなあ」ということ。
2014-11-28 00:31:25@ogwata そうでしょ? 中森君も小形くんも、僕も、大塚さんだってオタクだよねw それで、本が出て2ヶ月後のコミケでは、もうみんな「おたく」って言い合ってました。最初はオタクが自分の事を自嘲すうスラングでしたよね。
2014-11-28 00:33:46@kentaro666 そうだね。でも、中森氏は一貫して「自分はオタクじゃない」って言ってる。すごい不思議だけど。大塚氏もきっと違うと思っていると思う。確かめたことないけど。
2014-11-28 00:36:01@ogwata 不思議だよねえ。周囲のオタクはむしろ喜んで使ってた感じだったけどねえ。とにかく「あ、それ!」と膝を打つぴったりなネーミングだった。
2014-11-28 00:37:37@ogwata なんかもやもやとあったけど、名前がついて一挙に定着した感じだよね。でもオタクが一般化したのは、やはり7年後の宮崎事件でしたね。あれでマスコミが使い出して自嘲語から差別語になった印象があります。
2014-11-28 00:43:35@kentaro666 あの時、中森氏が電話かけてきたんだよね。「大塚さんの連絡先教えて」って。「悪いけど今は知らないんだ」って答えたけど。自分から大塚氏に連携を呼びかけようとしていた。昔打ち切られたのに、偉いなあってすごく感心した。
2014-11-28 00:46:50@ogwata 宮崎事件の時に。へえー。それは初めて知りました。シャレで始めたものが、7年経ってシャレにならなくなったと。
2014-11-28 00:48:31