茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1364回「政党を選ぶのか、人を選ぶのか」

脳科学者・茂木健一郎さんの11月30日の連続ツイート。 本日は、あまりにも素朴な思い。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート1364回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、あまりにも素朴な思い。

2014-11-30 06:58:27
茂木健一郎 @kenichiromogi

衆議院選が近い。私は、今回の選挙については、特定の政党、特定の候補者を支持する立場をとりません。その上で、最近ずっと考えているのは、「政党」の意味。選挙において、私たちが選ぶのは、政党なのだろうか、それとも候補者個人なのだろうか。そのバランスが、とても難しい。

2014-11-30 06:59:37
茂木健一郎 @kenichiromogi

内閣総理大臣の指名、ということを考えると、通常は、「政党」で考えるのが適切だと思われる。しかし、それだと、単なる「数あわせ」になってしまう。極端な話、自分の意中の政党に「所属」している人ならば、どんな人でもいいのか、という話になってしまう。

2014-11-30 07:01:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

私は、以前から、重要な案件については、党議拘束を外して、一人ひとりの議員の良心、判断に任せるべきだと思っている。賛成、反対の判断に至る人間の認知プロセス、意志決定のプロセスは複雑であり、なかなか人工知能では置き換えられぬ。政党による賛否は、単純化しすぎのように思われる。

2014-11-30 07:02:49
茂木健一郎 @kenichiromogi

もともと、議会というものは、有権者にとって、自らに代わって議論し、投票する「間接代表」を選ぶものである。その本質は「委任」である。この人ならば、信頼できると考えて、委任する。してみると、「政党」という抽象的、観念的存在に「委任」するよりは、生身の人間に「委任」する方が自然だ。

2014-11-30 07:04:08
茂木健一郎 @kenichiromogi

選挙におけるもっとも幸福な状況は、候補者のひととなりをよく知っていて、その人ならば、と委任できる時だろう。一方、候補者を知らず、その所属政党だけで判断する時は、全幅の信頼、というもの以外の何かが介入してくるように思う。イデオロギーや思想は、時に杓子定規になる。

2014-11-30 07:05:34
茂木健一郎 @kenichiromogi

選挙では、必ずしも「政党」ではなく、候補者本人を選び、一度議員に選ばれたならば、委任における可能な限り最大の自由を与える。法案の審議や採決の際、さらには、内閣総理大臣の指名においてさえ、必ずしも党議拘束に縛られずに、自由に判断させる。それが理想であるように、私は思う。

2014-11-30 07:07:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

「政党」の数あわせは、結局、認知的にその方が負荷が低くて、結果が予想しやすい、という事情以外の何者でもないと思う。政党及び政治家に関する情報量が少なすぎる。将来、政治の世界にもビッグデータの時代が来たら、現在の政党による数あわせの投票は、必ずしも最適解ではなくなると思う。

2014-11-30 07:08:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート1364回「政党を選ぶのか、人を選ぶのか」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

2014-11-30 07:09:25