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tomokazutomokaz
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君から色々と親切にしてもらっただけでなく、僕は君のことが好きなので、君に一つ忠告をしておこう。子供の頃から夢見ていた名声を君は全力を尽くして追い求めたまえ。 そして、僕がいつも称賛し愛してきた君の高い志を、誰かの不正行為のために曲げないで欲しい(キケロ書簡集F18の9)。
2015-01-21 13:51:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
君に対する世間の評価は高い。君の心の広さは大したものだし、執政官時代の業績も立派なものだよ。これに属州統治からの名声が加われば、君の功績がどれほど華々しいものとなるかをきっと君も分かるだろう(キケロ書簡集F18の9)。
2015-01-21 13:53:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
とはいえ、君は軍と統治の仕事に取り掛かる際には、こちらの事をあらかじめ考えてやって欲しい。つまり、ローマへ帰る時の準備をして、その事を考えて、そのために行動して欲しいんだ(キケロ書簡集F18の9)。
2015-01-21 13:54:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そうすれば、この国における君の今の最高の地位を保つのは容易だと分かるだろう。もちろんそんなことは君がいつも願ってきたことなので、その地位を手に入れた今ではもう分かっていることだろうが(キケロ書簡集F18の9)。
2015-01-21 13:55:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕のこの忠告が無意味なものだとか理由のないものだと思わないで欲しい。こんなことを僕が言うのは、これからの人生で誰を信じ誰を警戒すべきかよく考えるために、僕たちの共通の体験から教訓を得て欲しいと僕は考えているからなんだよ(キケロ書簡集F18の9)。
2015-01-21 13:57:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
君が知りたいと書いている共和国の現状について言うと、大きな意見の対立があるが、争いは一方的になっている。 財力と軍事力と権力でまさっている方が、相手の愚かさと一貫性のなさのおかげで成果を上げているようだ。今では相手を上回る人気さえも手に入れている(キケロ書簡集F18の10)。
2015-01-21 19:20:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だから、民衆の力を使って暴動でも起こさないと実現できないようなことを、元老院で大した反対もなしにことごとく達成している(キケロ書簡集F18の10)。
2015-01-21 19:22:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
例えば、カエサルの兵士に俸給を出すこともカエサルに十人の副官を与えることも決定したし、センプロニウス法によるカエサルの後任を出さないことも簡単に決まった(キケロの『執政官の属州について』参照、キケロ書簡集F18の10)。
2015-01-21 19:23:45![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕がこんな事を君に簡単に言ってしまうのは、共和国の現状が僕には気に入らないからだ。しかし、君の教訓になることだから書いておくよ。それは、僕たちは名声抜きに身の安全を図るべきではないし、身の安全なしに名声を求めるべきでもないということだ(キケロ書簡集F18の10)。
2015-01-21 19:25:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕は子供の頃から読書に打ち込んできたが、これは本からよりはむしろ経験から学んだことだ。それを君には自分の境遇を損なうことなしに学んで欲しい(キケロ書簡集F18の10)。
2015-01-21 19:26:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
娘とクラッシペースに対する君の祝福を読むと、君の気遣いのほどがよく分かる。この婚姻が我が家に喜びをもたらしてくれることを望んでいるよ(キケロ書簡集F18の11)。
2015-01-21 19:28:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕たちのレントゥルス二世、あの素晴らしい人格者となることが期待される青年には、君がいつも打ち込んでいる学芸だけでなく、何よりも君をよく見倣うことを教えるがいい。 それ以上に優れた教育はないからだ(キケロ書簡集F18の11)。
2015-01-21 19:30:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あの子は君の息子であり、君に相応しい息子であり、僕に昔からなついてくれた子なんだから、僕はあの子を誰よりも愛しく思っているよ(キケロ書簡集F18の11、前56年6月か7月)。
2015-01-21 19:33:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
キケロ『ローマ市民への帰国感謝演説』 geocities.jp/hgonzaemon/DE_… 第3訳、かなり意訳になった。意訳は文意の流れを理解してないと出来ないので大変だな。
2015-02-25 21:36:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
わかった。前後の文脈は「倒れた僕を救える時がきたら一致団結した彼らにどれほど大きな力があるかを明らかにする」ではなくて、「一致団結した彼らにどれほど大きな力があったかを、倒れた僕を救える時がきた時に明らかにする」だな。とすると、あの一節が意味をなす。つまり、
2015-03-02 01:37:50![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「もし僕が倒れる前に彼らが僕のために戦うことが出来ていたら、一致団結した閥族派にどれほど大きな力があったかを、倒れた後の僕を彼らが助け起こせる時がきた時に明らかにする方を僕は選んだ(=亡命した)」となる。倒れる前に助けてくれなかった失望をまるで希望だったかのように書くキケロ。
2015-03-02 01:51:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
キケロー選集13アッティクス宛書簡集の前59年の手紙に頻りに出てくるプブリウスはクローディウスのこと。プブリウス・クローディウスは12番からよく出てくるが、27番からは単にプブリウスになってしまう。27番だけ”プブリウス(クローディウス)“となっていて分かるようにはなっている。
2015-03-07 13:19:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
キケロの『アッティクス宛書簡集』には『縁者・友人宛書簡集』にない前59年の手紙が含まれる。この年はカエサルが執政官になって三頭政治の力で恐怖政治を行ったことが分かる。そのために民衆派のカエサルを含む三人が民衆から嫌われ、気の弱いポンペイウスがこんなはずじゃなかったと嘆いたとある。
2015-03-07 23:16:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
小カトー(マルクス)が前58年にキプロスに行ってから前56年の秋に帰ってくる迄の留守の間にローマではもう一人のカトー(ガイウス)が活躍するという不思議なことがある。後の方のカトーはwikiに項目がないからややこしい。
2015-03-08 20:59:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかも、カトーのせいでぶち壊しだというキケロの言葉が、アッティクス宛書簡集にもクィントゥス宛書簡集にも出てくるが、前者はマルクス・カトーで後者はガイウス・カトー。
2015-03-08 22:17:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
キケロの書簡集がペトラルカによって発見されたことは有名だが、彼か発見したのはアッティクスとクィントゥスとブルータスに宛てた書簡集だけで、縁者友人宛書簡集は知らなかった。縁者友人宛書簡集はその後彼の弟子サルターティによって発見された(『イソクラテスの修辞学校』p252と注)。
2015-03-21 13:24:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ペトラルカがキケロの『アッティクス宛書簡集』を発見したのは1345年、サリュターティが『縁者友人宛書簡集』を発見したのは1392年。だが、後者はこれが最初の発見でなく、半分くらいは既に知られていたらしい。 books.google.co.jp/books?id=qQT3A…
2015-03-21 19:39:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
要するにプファイファーによれば、ペトラルカがキケロの『縁者友人宛書簡集』を知っていたかどうかは分からないということらしい。 books.google.co.jp/books?id=ZXRo7…
2015-03-21 20:38:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
哲学者キケロしか知らなかったペトラルカがキケロの書簡のありのままの姿に落胆した話は岩波新書『キケロ』に出ていたが、その後ペトラルカはローマの政変を経験して政治に目覚め、書簡集に見た真のキケロの苦闘する姿に尊敬を抱くようになったらしい(『イソクラテスの修辞学校』p257以下)。
2015-03-21 22:33:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
キケロ『友人宛書簡集1~20』 geocities.jp/hgonzaemon/Ad_… 1番から20番の和訳の試み。対訳版もある。
2015-04-17 19:51:44