1950年代大阪泉州。母親から聞いた話。

1950年代中盤。大阪。
1
はーと(野いちご) @wiz1129

大阪泉州には、玉ねぎ畑がありました。 #歴史 #大阪

2014-12-19 23:49:40
はーと(野いちご) @wiz1129

石炭は、列車で運ばれたのですが、どこから運ばれて来たのですか。分からないのです。#歴史 #大阪

2014-12-19 23:47:57
はーと(野いちご) @wiz1129

そして、付近の大人や子どもは、バケツをもって、駅に落ちていた、石炭を拾い集めに行きました。その石炭で、お風呂を焚きました。そのお風呂は貰い湯でした。お風呂は毎日ではなく、自分の家ではない日は、貰い湯をし、また、お風呂のない家も貰い湯をしていたのです #歴史 1950年代大阪泉州

2014-12-19 23:43:10
はーと(野いちご) @wiz1129

阪和線。1950年代中盤。泉州は、織物の地域で、たくさんの女工さんと、大きな織物工場が、小栗街道にあり、久米田駅には工場で使う石炭を積んだ石炭列車が留まってました。#歴史

2014-12-19 23:37:07