【鉄道の英国近代史】-19世紀のモーダルシフトと「ジェントルマン資本主義」論-

19世紀前半、世界に先駈けて英国に登場した近代的鉄道。誕生の経緯と、その後の発展の歴史を、社会や経済との関わりを交え素描します。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

【鉄道の英国近代史】 -19世紀のモーダルシフトと「ジェントルマン資本主義」論- 19世紀前半に登場した鉄道は新時代の交通機関として瞬く間に英国に普及。世界に先駈けて社会の在り方を大きく変容させた一方で、旧来の支配層である土地貴族の格好の投資対象となり、彼らの延命にも一役買いました。 pic.twitter.com/dvDahKdZVU

2021-02-26 16:36:27
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本稿では鉄道の歴史的変遷のみを追うのではなく、社会や経済との関わりに目を向け、「世の中が如何に鉄道を必要としたか」、「鉄道の出現によって世の中がどう変わったか」を主たるテーマとして記述します。それ故、本稿の主題は「近代英国の鉄道史」ではなく「鉄道の英国近代史」なのです。 pic.twitter.com/KtmkIDNtLK

2021-02-26 16:36:57
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勿論、このタイトルは鴋澤歩氏の「鉄道のドイツ史」(中公新書)へのオマージュです。センスあふれる倒置に感銘を受け、拝借しました。本書はまさに鉄道を軸としてドイツの近現代を扱う優れた通史であり、是非ご一読をお勧めします。 amazon.co.jp/dp/4121025830

2021-02-26 16:37:23
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近代的鉄道の登場以前、イングランドの貨物輸送を担ったのは河川とそれに連なる稠密な運河網でした。運河の総延長は1830年までに6,400キロに達し、主要都市の間を結びます。 これこそは、18世紀後半以降の産業革命の進展に伴う物流の急激な増大を支えた動脈に他なりません。 pic.twitter.com/RyM6I0FnF7

2021-02-26 16:37:56
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鉄道の原初形態は、運河網に寄生する形で発生・発達しました。運河の広がりは、「イングランドであれば、どんな地点からも10マイル(16キロ)以内で到達できる」と言われるほどでしたが、この距離を担う交通機関が必要だったのです。(画像は立体交差する運河) pic.twitter.com/O8XK00vzSc

2021-02-26 16:38:36
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石炭や穀物などの重量物の輸送は特に困難でした。一頭立ての馬車の運搬能力は1.5トン程度に過ぎず、雨によって道路に泥濘が生じると、たちまち使用不能になる有様でした。そこで、イングランド北東部の炭田地帯を中心に、鉄道馬車が引かれたのです。 pic.twitter.com/3OcE0xIfkf

2021-02-26 16:39:22
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これらは炭鉱事業者によって建設された私的設備で、運河まで石炭を運ぶ用途に供されました。距離は5マイル(8キロ)以下が多く総じて小規模でしたが、馬1頭で10トン以上を搬送出来たのです。こうした路線は1720年代に建設が始まり、18世紀末にはそれまでの木製レールに替えて(続く) pic.twitter.com/P5jdSxNNM1

2021-02-26 16:40:07
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鉄製レールが登場するなど漸進的に改良されながら19世紀前半まで拡大していきます。 同じ頃、英国の石炭産出は年間523万㌧(1750年)から3,000万㌧(1830年)へと急伸。旧来の水力から産業革命を支える動力源の地位を奪った石炭は、運河と鉄道馬車の組合せによって輸送されていたのです。 pic.twitter.com/xAp2XP0NNt

2021-02-26 16:40:37
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このような私的な線路の総延長は1800年には470キロに達していました。一方、1803年には世界初の公共的な鉄道であるサリー鉄道(画像)が開通。これはロンドンの外郭に位置するテムズ河畔のワンズワースと南方のクロイドンを結ぶ14キロのルート(2年後に13.6キロ延伸しマーサムに至る)で、 pic.twitter.com/NgmSIkQJoZ

2021-02-26 16:41:17
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沿線の工業地帯で生産された製品を一大消費地であるロンドンへ向け送り出し、ロンドンからは石炭を運び込むことを目的としていました。サリー鉄道は法人格(株式会社)を有し、興味深いことに上下分離方式を採っています。つまり、会社が所有するのは土地と線路、付属設備に限られ、 pic.twitter.com/Rz5RuOFe9I

2021-02-26 16:41:50
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実際の貨物輸送(旅客輸送は無い)は外部の業者が行っていました。彼らは会社が定めた通行料を支払い、自前の貨車や馬を持ち込んで物資を運搬したのです。これは、それまで運河で行われていた方式と酷似しており、英国の経済界には馴染み深いものだったのかも知れません。 pic.twitter.com/i9rRGqZatW

2021-02-26 16:42:34
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また、特筆すべきは、運河と比較して鉄道馬車が費用対効果で優位(コストは運河の半分)と判断されたことでしょう。結果、運河になる筈だったサリー鉄道は計画変更されたのです。その背景には、レールや貨車の改良、運河の限界(馬子が徒歩で馬と進むため速度が出せない)などがある物と思います。 pic.twitter.com/euSMc4R9NY

2021-02-26 16:43:06
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実際、公共の鉄道馬車建設はその後ちょっとしたブームになり、1819年までに14路線、計297キロが建設されています。1807年には、世界初の旅客輸送を行ったSwansea and Mumbles Railway(画像)が開通しました。 然し、これらの路線は多くが短距離で、依然水運の補完的位置づけに過ぎません。 pic.twitter.com/KmsjVnfvpu

2021-02-26 16:44:17
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鉄道が水運に替わって英国の内国運輸の主役に躍り出るには、機械力の導入が不可欠だったのです。そして、ここでも、鉱山事業者の私設鉄道が公共鉄道に先行しました。但し、最初期に実用化されたのは定置式蒸気機関によって貨車を牽引する一種のケーブル・カーでした。(画像はヘットン炭鉱鉄道) pic.twitter.com/JrnzjzoRSO

2021-02-26 16:44:43
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当時の人々の感想を紹介しましょう。「石炭を積んだ貨車が長い列を組んで平地の上を疾走しているのを、あちこちで見ることができる。馬や御者がいるわけでもなく、何で動いているのか分からない。…あの車列は悪魔が押したり、引いたりしているに違いない」(湯沢威「鉄道の誕生」) pic.twitter.com/niRnN8yQL8

2021-02-26 16:45:09
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一方で、エンジンを搭載して自走する蒸気機関車の製作も、早くから行われていました。1804年には鉄工所から資金援助を受けたリチャード・トレヴィシックが世界ではじめての蒸気機関車の走行実験(画像)を行っています。彼自身は遂に実用的な車両を完成させることが出来ませんでしたが、 pic.twitter.com/P63NwCJdwC

2021-02-26 16:46:06
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彼の技術的遺産は後発者たちに引き継がれ、1812年、マシュー・マレーが初の実用可能な蒸気機関車「サマランカ号」(画像)を完成させます。同型の車両は他に3両製造され、鉱山鉄道で使用されました。この後、近代鉄道の嚆矢とされるストックトン・ダーリントン鉄道が開通する1825年までに、 pic.twitter.com/GU8Bv7DKaa

2021-02-26 16:46:34
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英国では27両の蒸気機関車が生産されています。これに対し、外国は3両(独2、米1)に過ぎません。更に、1826年からの5年からでは英国は65台を生産したのに対し、外国は3(米2、仏1)。かかる圧倒的ともいえる英国の優位は如何にして得られたのでしょうか? pic.twitter.com/OYraVmEeOG

2021-02-26 16:48:00
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一つの要因は、陸上輸送に対する旺盛な需要です。殊に、英国の石炭消費量は19世紀初頭の時点で年間1,500万㌧(当時の欧米の8割強を占める)に達していました。そして、ストックトン・ダーリントン鉄道開通以前に完成した前述の27両の機関車の内、24両が石炭を運河へ運ぶ鉱山鉄道で運用されています。 pic.twitter.com/6Nhy1aagHo

2021-02-26 16:48:35
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また、有力なパトロンの存在も挙げられましょう。それはイングランド北東部の炭田地帯ウィラムの大地主ブラケット家です。同家の所有する炭田は運河から離れており、輸送コスト削減こそは切実な問題でした。実際、当主クリストファー(画像)はトレヴィシックや、後続の技術者たちを支援しています。 pic.twitter.com/3SjlIR83k0

2021-02-26 16:49:09
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彼の資金で、トレヴィシックは1804年に2台目の機関車を製作し(実用化には至らなかった)、ウィリアム・ヘドレーは1813年にパフィング・ビリー号(画像)を完成、鉱山鉄道での実運用に成功します。この機関車は50トンもの石炭を載せた貨車を牽引することが出来ました。 pic.twitter.com/jDE5sT3SAT

2021-02-26 16:50:28
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詳細は追って述べますが、英国の貴族や地主階級には、ブラケット家のように時代の変化に適応し、地代に依存する旧弊な所領経営から脱却したものが多く存在し、19世紀後半に至っても政治・経済へ強い指導力を維持していました(ジェントルマン資本主義)。鉄道は、彼らの格好の投資先となるでしょう。 pic.twitter.com/FAvHmcurxr

2021-02-26 16:51:04
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かくしてウィラムを中心とするイングランド北東部には蒸気機関車を製造する技師や職人、生産設備が揃い、一種の産業集積の観を呈したのです。このような土壌の中から生まれ、育ったのが「近代鉄道の父」と称されるジョージ・スチーブンソン(後述)に他なりません。 pic.twitter.com/6IiuDtrn2M

2021-02-26 16:51:37
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更に、英国の製鉄産業が19世紀初頭、世界に先駈け軽くて丈夫な錬鉄の工業的生産に成功したことも幸いしました。錬鉄は建築物(エッフェル塔やクリスタル・パレスはその一例である)や船舶の構造材として用いられましたが、鉄道レール用の素材としても極めて有用だったのです。 pic.twitter.com/rhZUSaGh5q

2021-02-26 16:53:19
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HIROKI HONJO @sdkfz01

なんとなれば、初期の機関車はまだ小型だったとはいえ6~8トンの重量があり、レールにかかる負荷は鉄道馬車とは比較にならなかったのです。このため、それまでの鋳鉄製レールでは破断が多発(トレヴィシックが挫折したのもこのことが一因となっている)していました。 pic.twitter.com/RzEiUbiM0U

2021-02-26 16:53:58
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