胎児分離埋葬事件と山口弥一郎
最近買って積んでおいた『怪異と身体の民俗学 異界から出産と子育てを問い直す』(安井眞奈美 せりか書房)をパラ見。第一章で取り上げられる、1950年に福島県で起きた「胎児分離埋葬事件」に民俗学者山口弥一郎が関わったという話が面白い。伝奇小説ばりの設定だ!
2014-12-28 18:52:07”……担当の法務府意見局首席参事官が、現場を訪れることとなった。そのとき、東京在住の民俗学者関敬吾の紹介で、地元を案内することになったのが、東北で精力的にフィールドワークを行っていた山口弥一郎であった” ――『怪異と身体の民俗学』より
2014-12-28 18:56:101950年、福島県で、死亡した妊婦の腹を斬り裂き、胎児を取り出してから埋葬する「身二つ」などと呼ばれる習俗が実際に行われたとき、警察がこれを死体損壊罪にあたるとして摘発しようとしたことがあり、その法解釈を巡り法務府が調査を行った時、民俗学者が関係していたというのは面白い話だな
2014-12-28 23:54:32(承前) 担当の法務府意見局首席参事官が現場を訪れるときに地元を案内することになったのは東北でフィールドワークを行なっていた民俗学者山口弥一郎。彼を紹介したのが関敬吾である、というのだからますますもって面白い。
2014-12-28 23:58:08(承前) 山口は主席参事官に対して、会津地方では「子育て幽霊」の昔話に似た「おぼだき地蔵」や「オボダキ幽霊」などの伝説があり、これに基づいて人々は亡くなった妊婦が幽霊にならぬよう腹を割いて胎児を取り出したのだと説明したという。
2014-12-29 00:03:03(承前) 刑法学者たちはおおむね「迷信に基づく行為であり、犯罪とするのが当然」との意見であったが、担当首席参事官の植松正は山口のこの説明を聴き、罪にはならないと判断し、結局不起訴処分になったのだという。 いやはや、現実は時として不出来な虚構をしのぐ。
2014-12-29 00:13:17「かような行為は、たとえ非科学的であるとはいえ、死者の霊魂の安静を期するため一層礼意を厚くする趣旨において行われるものであることは客観的に明白」 ――植松正主席参事官が山口弥一郎に送った礼状の一節。最後がちょっとブロントさんっぽいのは客観的に明らか
2014-12-29 00:29:59植松先生らしい御判断と納得 QT @magonia00: 「かような行為は、たとえ非科学的であるとはいえ、死者の霊魂の安静を期するため一層礼意を厚くする趣旨において行われるものであることは客観的に明白」 ――植松正主席参事官が山口弥一郎に送った礼状の一節。
2014-12-29 00:54:40『怪異と身体の民俗学』によると、山口弥一郎自身による「死体分離埋葬事件――妊婦葬送儀礼」という報告が1953年の『民間伝承』(17-5)に寄稿され、後に『葬送墓制研究集成Ⅰ 葬法』(名著出版 1979)に再録された模様
2014-12-29 01:09:21@magonia00 山口弥一郎、は確か人文地理学系の民俗学者でしたっけか。自分の歩みを振り返った著作(名前失念……どこかに埋もれてる)はいろいろ細部が興味深かった記憶があります。
2014-12-29 00:04:19@magonia00 ( ´・ω・)つ明治35年生。会津の旧肝煎農家の長男。大正14年に磐城高女赴任。昭和6年田中館秀三から地理学、昭和10年柳田に民俗学を学ぶ。磐城民俗学会を創設。戦後は亜大教授。もともと数学志望だったのを人文地理学などに転向した人ですね。為念。
2014-12-29 00:22:30参考: 山口弥一郎の三陸集落調査 (サイト「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」内記事) d.hatena.ne.jp/meiji-kenchiku…
2014-12-29 00:37:18@kingbiscuitSIU 今読んでいる『怪異と身体の民俗学』(安井眞奈美 せりか書房)という本の第一章にこの話が出てくるのですが、山口は当時は学校の教師をしていた、とありますね。そこいらからすると当時の典型的な地方の民俗学研究者なんでしょうか。
2014-12-29 00:08:15@magonia00 戦前の民俗学講習会あたりで「入門」した地方の教員で、「郷土」に根ざした報告を積み重ねながら柳田に忠誠を誓い、戦後の過程ではそれが報われて新制高等教育の教員として配置されていった、ある意味典型ではあるかも、です。
2014-12-29 01:09:54