「小宮・北田の反ヘイト側の問題をめぐる論争」から見えてきた「だから社会学者は嫌われる」
- mtcedar1972
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また、ぼくはおそらく世界で最大規模の社会学部で教えているが、まともな同僚でカウンター運動に批判的な人はいない(まともじゃない人もほぼいない)。同僚たちは、反レイシズムのカウンター運動には参加していなくとも、それぞれの問題関心からフィールドにコミットして実践にも取り組んでいる。
2014-12-31 11:46:16理論家ですら、反レイシズムのカウンターにシンパシーを感じてアンテナを張ってくれている。例えば貴戸理恵さんのこの記事 pic.twitter.com/KVN8Apl0GF ぼくはカウンター運動に参加してくれたものと理解している。路上ではなくともカウンターの現場はいくらでもある。
2014-12-31 11:51:30一方で、彼らが「社会学者」を嫌う理由として、「もしかしてこういうことかな?」と思うことがいくつかないわけでもない。
2014-12-31 11:53:12ひとつには、いわゆる調査公害の問題。調査というのは多かれ少なかれ調査対象への侵襲性をともなうので、それに見合うだけのものが研究者側には要請されるのだけど、(キャリア的な意味だけでなく)さまざまな意味で未熟な研究者は、しばしば調査対象を一方的に略奪してしまう。
2014-12-31 11:57:55関西のカウンターでも、ある大学の先生が事情も理解しないまま卒論生を連れてきて、被害実態を視野に入れずに学術的な問題としてザイトク現象を観察させようとしていたことがあった。その場にいた学者たちからあっという間に学生ともども認識不足を指摘されていたが、そうでなければ不快だったろう。
2014-12-31 12:02:43関西では幸い調査公害といえるような事例は耳にしていないが、東のほうでは研究者人口が多いだけに、そうしたリスクは高いだろうと思う。人を対象とする学問には、当然のこととして厳しい研究倫理が要請される。現実に被害が生じているセンシティブな問題であれば、なおのことだ。
2014-12-31 12:07:51調査に関わる人々にはあらためて研究倫理の基本に立ち返ることを求めたい。また、実際に問題と思われる事例があれば、遠慮せずに名前を挙げて批判してもらっていい。人を対象とする研究者は、その批判にこたえる責務があるし、その責務を前提として学問をやっている。
2014-12-31 12:11:03二つ目には、これはむかしから関東方面の大学でしばしば聞くことなのだけど、「政治的」な問題にコミットすることを忌避することが学問に要請される「価値中立」であると誤解している人々が社会学分野ですら一定のクラスターを形成していて、たとえば差別問題を研究することすら敬遠されることがある。
2014-12-31 12:15:211990年代末になるまで、日本には在日コリアンを対象としたまともな社会学的研究がほぼ皆無だったというところにも、そうした問題があらわれている。駆け出しのころのぼくは、学会や研究会に行くたび、そうした冷淡な態度が問題の所在を不可視化することになっていると糾弾したものだ。
2014-12-31 12:17:57日本で在日コリアン研究が始まったのも、実質的には、欧米から「エスニシティ」という流行の学術概念が輸入されたことで、ようやく国内にも調査対象がいると《発見》されたからなんだよね。そうした無理解に対する歯がゆい思いというのは、ぼくはとてもよく知っている。
2014-12-31 12:21:01三つ目には、昨年当たりからレイシズム研究がある種の「流行」になってしまって、若い研究者の卵が、手っ取り早い業績稼ぎのためかどうか知らないけど、粗製乱造に近い論文を投稿してくるようになった。中には、「どっちもどっち」のスタンスのものから、ほとんど差別を追認するようなものまである。
2014-12-31 12:25:10たとえ、まだ卵であろうとも、学者の話すこと、書くことには、一定の権威をともなう。それが、有名どころ数本しか先行研究を読まず、重要な議論を学ばないまま、ナイーブに偏見を垂れ流しされては、当事者に対して非常に有害な影響を及ぼすことだってある。今一度、基本に立ち返ってほしい。
2014-12-31 12:30:28四つ目、これは関西でも大学院生あたりにしばしばみられることなのだけど、特定の思想的立場への過剰な自我包絡から、路上のカウンター運動に対してずいぶん薄っぺらい嫌悪感をあらわす人がいる。
2014-12-31 12:34:34「特定の思想的立場」がどういう外延を持つのかまだぼくにはよく理解できないのだけど、ポストコロニアリズムの影響が強い人たちがその一角を占めている印象はあるかな。
2014-12-31 12:37:53ポストコロニアリズムが提起した議論はきわめて重要で、それは反レイシズムに関わる上で、ぼくは大前提とすべきものだと思っている。その一方で、あくまで前提にすぎないともいえる。ポスコロの議論を踏まえた上で、現状の抑圧をどう乗り越えていくかという智恵を見出していくことが重要なんだよね。
2014-12-31 12:43:13頭でっかちに思想に寄りかかることなく、思想すら乗り越えていこうという実践の中からいまのカウンター運動が立ち上がってきている面があることをしっかりみてほしい。そして、特定の思想への自我包絡が、マイノリティ当事者を逆に抑圧することになっていないか、しっかり内省してほしい。
2014-12-31 12:45:51何度も書いてきたことだけど、関西のカウンター運動は、参加者の3割がたは在日コリアンだ。他のマイノリティを含めると半数近いんじゃないだろうか。中には、サイードが翻訳される以前から、ポスコロの議論を実践していた人たちだっている。その人たちの声を、安易に拒絶せずにちゃんと聞いてほしい。
2014-12-31 12:48:08東の人たちが「社会学者」を嫌う理由として、「もしかしてこういうことかな?」とぼくに思いあたるのは以上の四点。関東方面でそれらがどの程度深刻な問題としてたちあらわれているのか、ぼくにはよくわからない。でも、そうした問題があれば、腹が立つのもまあわかる。ぼく自身が怒ってきたのだから。
2014-12-31 12:56:28でもね、批判の網があらすぎるんだよ。てきとーに「社会学者」とかカテゴライズしてdisってる場合じゃないだろ。とくに二つ目に指摘した問題はけっこう深刻で、てきとーに批判されると、そういう状況を改善するための運動にとっては背中から撃たれているのと一緒なんだよ。やめてくんないかな。
2014-12-31 13:01:32さらにいうと、「社会学者」を机上の論理をもてあそぶアカデミシャンの記号としてあげつらっているようだけど、あなたたちが具体例に挙げたのは、そういう批判を受けるべきタイプの人たちじゃない。批判は精緻にやろう。でないと、批判の効力も薄れるからね。
2014-12-31 13:06:11