祖父が終戦時北京にいてソ連の捕虜になった話

@Loliida21のツイート群をまとめました。
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Lolida(ろりいだ) @Lolida21

詳しい軍事オタクに聞きたいのだけれど、終戦時に北京にいて、直後に満洲に移動して奉天で武装解除を受けソ連の捕虜になった補給中隊(輸送中隊?)、という情報で確定はできるのでしょうか?祖父が所属していたらしい

2015-01-01 21:38:45
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

じいちゃんから聞いた断片的な情報をまとめただけで従軍記を一冊書けそうな気がするんだけど、固有名詞を覚えられない。今日の話だけで「南方への移動中に船ごと沈められて死んだ身内」が3人出てきたんだけど、全員覚えられていないし……

2015-01-01 22:26:14
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

薄くだけれど血の繋がりがある人達が何人も戦争で死んでいる、という事実は知って凄く寒くなってるよね

2015-01-01 22:28:21
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

自分が忘れるかもしれないから、あとで聞いた話をついっとしておこう

2015-01-01 22:30:24
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

じいちゃんの話を録音しておくべきだよ、本当に……固有名詞なんて一切覚えられない。でも今日ぽつりと言った「戦争を知っている人も殆どいないからなあ」って言葉はたぶん一生忘れない

2015-01-01 22:57:21
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

折角だし祖父の話を軽くまとめておく。(聞く側が)うろおぼえの、一兵卒の従軍記な

2015-01-01 22:58:53
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

横浜市磯子区生まれの祖父は義務教育終了後に「大日本兵器」へと就職する。そこで銃を作っていたらしい。調べてみたら、大日本兵器は20mm機銃を作っていた会社だった。設立時期と祖父の年齢から見て、創立直後か翌年に就職している。

2015-01-01 23:02:30
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

兵器工場で働いていると徴兵されないらしい。祖父は開戦後も徴兵されることはなかったそうだ。しかし祖父は軍隊に志願して入隊した。志願した理由は詳しく話してくれなかったし、怖くて聞けない。

2015-01-01 23:05:33
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

これは祖父の話ではないのだけど、いわゆる赤紙は全員に来ていたわけではなかったらしい。長子とか、家柄の良い子供は戦争にいかなかった。国に残って戦争を生き残った彼らは、終戦後に警察官になった。と祖母談

2015-01-01 23:07:32
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

祖父の話に戻る。小柄だが体力のあった祖父は「豆タンク」と呼ばれていた。訓練では体格の大きい相手と競争して(何の競争だったのだろう?)、勝ったりしていたらしい。先輩からは嫌われていて、教官には気に入られていた。

2015-01-01 23:10:09
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

日本で訓練をして、その後配属先が決まった。祖父は支那に行くことに決まった。同期のほぼ全員は南方に行くことになった。周りは暖かいところにいけて羨ましい、と祖父は思ったらしい。南方に行った同期は、乗っていた船が攻撃されて全員死んだ。

2015-01-01 23:13:39
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

このあたりの話から時系列がよくわからなくなる。

2015-01-01 23:14:18
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

祖父の兄弟が何人いたのか、ぼくは覚えていない。少なくとも2人は陸軍に入った。うち一人は輸送中に船が潜水艦の標的になって死んだらしい。もうひとりも同じように船ごと死んだと聞いている。

2015-01-01 23:16:22
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

支那に行った祖父がどのような戦闘をしたのかは話していない。基地が襲撃された話は聞いた。基地の見張りをしていた時、空襲があった。咄嗟に伏せた直後に、後方で爆発が起こり、土を頭からかぶった。

2015-01-01 23:19:31
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

支那人に家には大きな石が置いてある。その石をどかすと、地下倉庫の入り口が隠されている。倉庫の中にある野菜や鶏は貴重な食料だったそうだ。

2015-01-01 23:22:06
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

戦時中に関することがあと何個かあった気がするけど思い出せない

2015-01-01 23:24:19
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

終戦時、祖父は北京にいた。情報自体は当日に届いたらしい。祖父は輸送中隊の人事?帳簿係?で、中隊の名簿を管理していたらしい(詳しい人教えて)。その関係で伝令も兼ねていた。伝令のために電車を降りたら、そこにいた兵士に終戦だと知らされた。

2015-01-01 23:29:05
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

そこで「軍隊手帳を持っていると殺される」という噂が立った。何故そんな噂が出たのかはわからない。それだけ混乱していたのだろう。皆で手帳や教本を燃やした。祖父は教本に10円札をへそくりとして糊付けしていたのだが、同時に燃やしてしまったらしい。なんと勿体無い。

2015-01-01 23:32:27
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

話は前後するが、1945年7月にソ連が満州に攻め込んだ、という情報が中隊に届いていた。そのため中隊は満州に移動することになっていた。終戦直後、中隊長は満州へ向かう命令を出した。既に先遣隊が出立していたため、「隊は極力固まるように(うろおぼえの要約)」という軍規に従った他にも理由が

2015-01-01 23:36:13
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

中隊長は「このまま支那にいると現地人に殺されるかもしれない」と考え、味方と合流したかったらしい。当たり前のように略奪をしているし、そもそも敵地の中だし……

2015-01-01 23:37:53
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

中隊は満州へ向かった。奉天で食料を探すために兵が外に出て行った。司令直属だったらしい祖父は優雅に風呂に入って待った。極楽だったらしい。そして戻ってきた中隊は武器を持っていなかった。「武装解除された」と彼らは言った。そこでソ連軍の捕虜になり「あとはずっと貨車の中だ」と祖父は言った。

2015-01-01 23:41:03
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

祖父はロシアで強制労働をさせられていたのだけど、その前にちまちま思い出した中国の話を書いておかなきゃ

2015-01-01 23:42:10
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

支那にいるときに補充の兵が入ってきた。その兵士は30歳を超えていた。当時20代前半だった祖父から見て彼は「ヨボヨボに見えた」そうだ。 隊の移動中に劇場で1時間程度の小休止をとることになった。休憩が終わった後、その兵士は死んでいた。

2015-01-01 23:45:15
Lolida(ろりいだ) @Lolida21

祖父が捕虜になった後の話をしよう

2015-01-01 23:46:58